禅に惹かれた人々

仏像彫刻に魅せられ、独創的世界を開花
遅咲きの、"仏像彫刻家"は七十の手習い

とげぬき地蔵仏像彫刻教室
株式会社ビーエス観光社長

水野 優さん(77歳)


「仏像彫りは七十の手習いで始めたんだよ。」
 そう語るのは、株式会社ビーエス観光社長の水野優さんだ。なんと、昨年七十七歳の喜寿。七十八歳である!
 さて。読者のみなさんの中で、一度は巣鴨のとげぬき地蔵へお参りに行ったことがある方も多いだろう。このとげぬき地蔵尊。2009年1月に本堂が国の登録有形文化財に登録された曹洞宗萬頂山高岩寺のことだ。その高岩寺が主催している仏像彫刻教室がある。
 毎週金曜日、13時から20時まで開講しているこの仏像彫刻教室は、自分の好きな時間に来て、気の済むまで仏像彫りに熱中するもよし、数時間集中して仏像彫りをするもよし。型にはまったルールは一切なく、自分が彫りたいと思う仏像を自分のペースで彫ることができる。
 生徒数は約七十名。先生は全部で五名。講師のひとりで彫刻家の八柳尚樹氏は、高岩寺の"洗い観音"、聖観世音菩薩の製作者だ。「自分で彫った仏像は、自分の分身。鏡で見るよりもはっきり分かります。その方の生き様が出ます。だからこそ、作り方を教えるのではなく、個性がより引き出されるよう、お手伝いするのが私たち講師です。迷ったり考えたりすることが彫刻。失敗はないのです」。
 この仏像彫刻教室へ、水野さんは10年前から通っている。
 水野さんが仏像彫刻教室に通い始めたのは、高岩寺先住夫人・来馬和子さんに誘われたのがきっかけだ。「やってみなければ分からないじゃない」。彼女の言葉が、水野さんの人生を変えたという。
 仏像彫刻教室へ通い始めて数年が過ぎた時、福井県小浜市神通寺先住西垣文隆師から「坐禅堂を建立するため、僧形文殊菩薩像を作ってほしい」との依頼を受けた。仏像試作中に西垣師は遷化され、坐禅堂の建立もなくなったが、この事を機に水野さんは「製作は寺に寄進する像を彫刻する。」と決めた。
 自薦で永平寺に達磨像、總持寺に瑩山像、大乗寺に徹通像、宝塚大宝寺に十六羅漢像、群馬舒林寺に鉄心像、名古屋東昌寺に釈迦像、滋賀慈眼院に十一面観音像の寄進を申し出て、了解を受けたのだが、達磨像、徹通像は試作したものの持参出来ず、瑩山像と共に寄進を断念した。
「依頼を受けて製作したのはただ一像。山代温泉の松籟荘には、旅館の社長でおかみさん穂積眞理子さんをモデルに、千客万来・招福・聖観世音菩薩像を、社長室に祭ることを前提に彫りました」。
 その像に、眞理子さんは生母・敏子さん、義母・達子さんに感謝を込めて、敏達観音と命名したという。「仏師でも彫刻家でもない」という水野さんだが、朝3時から朝食を食べる8時まで仏像彫りをし、夜7時には寝る生活をしているのだ。「この時間帯は、電話も食事も何の束縛もない時間だから、仏像彫りに集中できる。4時間半から5時間、目が覚めたら彫る生活だね」。
 そんな水野さんの趣味は囲碁。水野さんの仏像彫りと囲碁は大きく関係している。囲碁仲間の高岩寺先住の来馬規雄師を通じて来馬和子さんに出会った。また、囲碁仲間である西垣文隆師から仏像寄進の依頼を受けたことを機に、仏像彫刻に信念を入れて彫ることに。まさに、囲碁がつないだ御縁なのだ。
 現在、水野さんは仏祖伝(東土)をモチーフにした仏像を衝立に彫る大作製作に取り組んでいる。縦92センチ、横128センチと実に大きい。
 この仏祖伝は、水野さんの大先輩である長野県大安寺東堂の中西道贍師が書いた物語を、衝立の絵になるように水野さんご自身が構成をして構図を考え、彫っているのだ。
 登場人物は全部ご自身でポーズを取り、デジタルカメラで奥様に撮影をしてもらい、それを見ながら彫るという。仏像の顔は仏像資料を参考にするそうだ。
「彫っている時は何も考えていない。彫るものだけを考えています。」
 そんな水野さんのことを、八柳さんや西山多寿子さんといった講師の方々は絶賛だ。
「水野さんはスケジュールを決めて彫る方なのです。予定通りにいかないと論理的に修正をする。こういう合理的なタイプは彫刻家にはいないので、非常に新鮮です。仏像に対する思いが強く、すごく上達しましたね。感動する仏像を彫る方です」。
 仏像は鏡以上にその人を写すもの。力強さの中にも、優しく温かみがあり、そして愛情あふれている。そして、周囲を元気にしてくれる。水野さんの作る仏像には、そんな水野さんのパワーがぎっしりと詰まっている。