柳緑花紅

理想の男性

作家 太田治子


 小さい少女のころのあこがれの男性は、喜劇俳優の花菱アチャコさんであった。昭和二十年代後半のある年の夏、神奈川県葉山の海に近い空地で、野外映画大会が開かれた。小学校入学前の私は、母につれられて夜の会場へ出かけたのである。アチャコさんと横山エンタツさん、二人の扮する二等兵が、空襲警報の発令する中をニワトリを抱いて逃げていくシーンがあった。途中でニワトリが、卵を生む。その卵のアップは金の卵のように輝いてみえた。それを手に、大喜びするふたりの泣き笑いの表情が忘れられなかった。チョビ髭のみるからにひょうきんそうなエンタツさんよりも、大柄でいかにも生真面目なおとうさんにみえるアチャコさんを、いっぺんに好きになった。
 「あのようなおとうさんがいたらいいな」
 映画会場を出て、夜道を母と手をつないで歩きながらいった。空には、お星さまが輝いていた。
 「あなたのおとうさまは、空の上のお星さまなのよ」
 母はそのようなことをいった。ものごころつくころから、そう教えられてきていた。小説家である父に、私はこの世であったことがなかった。お星さまの父は、童話の主人公のようにも考えられるのだった。決して生身の父親として感じることはなかったのである。しかし今みたばかりの映画の中のアチャコさんには、まぎれもないおとうさんの匂いがたちこめていた。
 東京の目黒の小学校に入学してまもなく、ラジオからなつかしい声が聞こえてきた。あのおとうさんの声だった。
 「もうムチャクチャでござりまする」
 浪花チエ子さん扮するしっかり者のおかあさんにやりこめられておろおろするおとうさんの声に、私はいつも元気づけられた。NHKラジオの人気番組『お父さんはお人好し』は、ずっと長く続いていた。母が倉庫会社の食堂から帰ってくるのが遅い晩、「かぎっ子」の私は一人でラジオのおとうさんお声に耳を傾けていた。
 理想のおとうさんは、いつしか理想の男性へと変わっていた。みかけはがっしりしていても、どこか気弱そうな男性に惹かれた。おすもうさんの柏戸関の大ファンになった。中学生のころのことである。土俵に立ってからの今にも泣きだしそうに眉を八の字にした顔に、たまらなく魅力を感じた。友だちのほとんどは、同じ横綱の大鵬のほうをいいといった。「巨人・大鵬・卵焼き」の時代であった。
 「太田さんは、変わっている」と友だちからいわれたけれど、私はますます柏戸にのめり込んでいった。彼が負けると、涙がでそうになった。
 しかし不思議なことに、大人になってからの私は、アチャコさんとも柏戸関とも似た方とごえんがなかった。これは、どういうことなのだろう。今も、優しい泣き顔の男性が好きである。 


(挿絵・長谷川葉月)


太田治子(おおた・はるこ)

1947年神奈川県生まれ。父は太宰治、母は太田静子。
明治学院大学文学部卒業。
高校生の時、瀬戸内寂聴に勧められ「手記」を書き、執筆への感触を得る。
1986年、「心映えの記」で第一回坪田謙治文学賞を受賞。
NHK「日曜美術館」初代アシスタントを三年間務める。現在、NHK「ラジオ深夜便」の「私のおすすめ美術館」に出演中。2007年にはNHKカルチャーアワー文学の世界「明治・大正・昭和のベストセラー」を担当。
主な著書に『絵の中の人生』(新潮社)、『恋する手』(講談社)、『小さな神様』(朝日新聞社)、『石の花 林芙美子の真実』(筑摩書房)などがある。