夏 お盆特集
死後の世界が信じられれば最高の幸せ
─老いを生き生きと生きるために─

お話し
作家・納棺夫 青木新門

青木新門
1937年、富山県入善町生まれ。早稲田大学中退後、富山市内で飲食店を経営したが倒産。その後、新聞の求人広告を見て、冠婚葬祭会社オークスへ入社。納棺夫(納棺専従社員)となる。専務取締役を経て、現在は非常勤監査役を務める。「納棺夫」とは青木氏の造語であり、その体験を『納棺夫日記』として出版し、ベストセラーとなる。著書に、詩集『雪道』、童話『つららの坊や』などがある。


穏やかで光り輝く世界
それが「死の瞬間」


 2009年2月23日。第81回米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞し、日本中を感動で沸かせたのが映画「おくりびと」。主演本木雅弘氏が、ある本を読んで感銘を受け、16年後。映画「おくりびと」が完成した。その本こそ、今回の対談相手である青木新門氏の著書『納棺夫日記』である。
 三千体を納棺したご自身の実体験から得た「いのちの光」の素晴らしさについて。また、死の瞬間とは一体どんなものなのか? 安心して生きるには? 生と死を真正面から向き合うヒントなど、青木氏に本音で語って頂いた。


【まさとみ☆】『納棺夫日記』の「ウジも命なんだ。そう思うとウジも光って見えた」というお言葉。とても印象的でした。

【青木】それが僕の本のテーマです。人間であろうと、ウジであろうと、全部ひとつの生命体としてとらえる世界が美しい世界です。31歳で他界した井村和清医師の手記に、こんな行があります。
 「がんが肺へ転移した時、覚悟はしていたものの、私の背中は一瞬凍りました。その転移数はひとつやふたつではないのです。レントゲン室を出る時、私は決心しました。歩ける所まで歩いていこうと。その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、私は不思議な光景を見ていました。世の中がとっても明るいのです。スーパーへ来る買い物客が輝いて見える。走り回る子供たちが輝いて見える。犬が、垂れ始めた稲穂が、雑草が、電柱が、小石までが光って輝いて見えるのです。アパートへ戻って見た妻もまた、手を合わせたいほど尊く輝いて見えました」。
 これは、井村医師が全身にがんの転移が判明した日の晩に書いたものです。ウジが光って見える世界と一緒です。しかし、我々生きている者にとっては、ダイヤモンドは光って見えても、砂利や小石は光って見えない。

【まさとみ☆】死んだ瞬間というのは、どんな顔をしているのですか?

【青木】僕は三千体を納棺して気が付いた。死の瞬間のお顔は、皆さん良い顔をしておられる。それはどんな死に方であっても。でも、しばらく経つと違う。

【まさとみ☆】死後硬直ですね。

【青木】30分で起こる人、1時間かかる人、12時間かかる人、全く死後硬直しない人。人によって全部違います。早く硬直する人は、死ぬのは嫌だと固執したり、恐怖感を持っている人。硬直した時、不安や恐怖の顔に戻るのです。だからあまり良い顔とはいえない。ところが、死を受け入れた人はいつまでも柔らかい。大往生した人は硬直しないのです。

【まさとみ☆】死と聞くと、恐怖心が必ず付いて回ってきます。でも、死んだ瞬間というのは誰もが本当に穏やかなお顔なのですね。

【青木】死者はみんな、あらゆるものが輝いて見える世界に進んでいるのです。末期患者には説教も言葉も要らない。自分よりちょっと前にいる人が一番頼りになる。その後に付いて行けば安心だから。
 ところが、今の社会は死にゆく人のそばへ行って頑張れ頑張れって言っている。だから、苦しくなる。きれいな青空のような瞳をした透き通った風のような人がそばにいるだけでいい。そんな世界にいたのなら、死を恐れなくなるのです。

【まさとみ☆】実に目指したいところです。

人生最大の転機

【青木】僕の学生時代はちょうど60年安保で、唯物論とかハイデッガーの実存哲学などしか読んでおらず、宗教を頭から馬鹿にしていました。そんな僕の転機は、絶縁状態だった叔父が死に際に言ってくれた「ありがとう」の言葉。生前の叔父は家柄にとてもこだわる人でした。そんな叔父が早稲田大学進学のために学費まで作ってくれたのに、大学は中退。経営をしていた店を倒産させ、やがて死体を拭いて歩くという状態の僕を、叔父は親族の恥だと言っていた。
 その叔父がいよいよ死ぬ時、ぽろっと涙を流して震える手を出し、構えて見舞へ行った僕の手を握り、「ありがとう」と言ったのです。その言葉に涙が止まらなかった。「叔父さん、すみません」という気持ちで。その翌年から、毎年墓参りへ行くようになりました。

青木氏を救ったありのままの承認

【まさとみ☆】その時、青木先生の中ではどんな心境の変化があったのですか?

【青木】結局、俺が俺がと生きてきたことに気付いたのです。思想的にも全てひっくり返った。僕が救われたのは、叔父の「ありがとう」の言葉。そして恋人の「瞳」です。

【まさとみ☆】かつての恋人の実家で彼女の父親の納棺の際、涙をためながら青木さんの作業が終わるまでずっと横に座り、青木さんの汗を拭き続けた。その彼女の「瞳」ですね。

【青木】それは何かといったら、まるごと認めるということです。まるごと認める力が、今日の社会ではなくなっている。それは何故かというと、ヒューマニズム(人間中心主義)で育っているから。命は大切だと言っていますが、個の命なのです。自分の命は自分のものだから、自分がどうしても構わないと思っている人が圧倒的に多い。
 残る人たちに勇気を与え、命は大事なものだと教えて死ぬ。そのバトンタッチがあるべきなのです。その伝達がないのに、大人たちは墓を守れだとか、命の大切さを訴えている。

青木氏の原点

【青木】僕は8歳の時、満州で終戦を迎えました。父はシベリア戦線へ行き、母は発疹チフスで隔離。数えで4歳になる妹と2人だけで難民収容所にいました。朝起きたら妹が死んでいた。妹を抱えて、仮の火葬場みたいな、ぽんと石炭と骨がばらまかれている所へ置いてきた。その時見たものは、妹を捨てた時に見上げた夕焼け空だけなのです。その時のことが、生涯貫いています。
 あそこで感じたものは何だったのか、少年の頃は何も分からなかった。ただ何となく、大きな悲しみに包まれ、自分の運命を暗示するような感じだけだった。過去を色々と話していますが、全部の因縁がひとつになって今の僕がある。頭で考えていては駄目。五感で認識したのです。触れたり、目で見たり、音を聴いたり。全部がトータルでないと。そのことを色というのです。

【まさとみ☆】シキですか?

【青木】色即是空の色。今の社会は、視覚だけになっている。私の思想は、死体を三千体手で触れた触覚の世界です。そこには必ず嗅覚、視覚、聴覚、五感全部が働いているのです。死の瞬間、五感で現場にいることなのです。しかし、今はそれが全くない。
 本来、お通夜とは死者と親族だけのコミュニケーションの場です。今は全く死者と生者のつながりがない。本尊を中心に祭壇が飾られていたものが、今は遺影中心。ヨーロッパ近代思想の個の命の世界です。故人がどこへ行くのか、そのことには関心がない。

【まさとみ☆】関心がないのは何故でしょうか?

【青木】結局、誰も信じてないのです。

【まさとみ☆】人が死んだ後どうなるのかを信じていないということでしょうか?

【青木】そう。行先が不明瞭だから。人間にとっての最高の幸せとは、母の羊水の中ですくすくと育ち、父母の愛の中で安心して育つ。そして社会に出て結婚して、安心した社会生活を送り、安心して老いを迎え、死を安心して迎えることだと思います。
 人間って、明日どうなるか分からないことが不安なのです。老いを生き生きと生きるには、老後の安心が一番大事なのです。そのために宗教が存在しているのだと思います。

【まさとみ☆】死後の世界は安心な世界と聞いても、実際には腑に落ちていないですね。

【青木】僕に言わせたら、死の実相を知らない人は不安なのです。僕が死体に対して嫌だと思わなくなったのは、死の実相を知ったから。死ぬってどういうことか、死後ってどんなことかを知ったからです。

【まさとみ☆】死の実相とはどんなものなのですか?

【青木】
ゲーテが言った「なんらかの形で死を克服した人の生き方は明るい」の言葉に尽きると思う。いかに安心して死ぬか。僕はそれだけを考えています。『納棺夫日記』を書く55歳までは、他人を踏み台にして、とにかく自分が生きることだけしか考えていなかった。しかし、人生っていう収支決算をしなくてはならない。そういう発想は、上野動物園の元園長・中川志郎さんとの対談がきっかけです。彼は「自然界の動物は、常に自然界で生き生きしている」という。例えばアフリカ。シマウマがちょっと足の具合が悪くなると、その日のうちに跡形もなくなる。ライオンに食われ、ハイエナに食われ、ハゲワシに食われ。毛だって鳥が巣を作るために持っていく。生き生きしたヤツだけが老いるのです。自然界のあらゆる動物の平均寿命は、生物的DNAの寿命に対して5割余力を残して死ぬのです。
 中川さんに言わせれば、動物園は医療や科学といった人間の都合で、動物を寿命いっぱいまで生かそうとする。先進国は、もはや国中が動物園になっている。

【まさとみ☆】病院で管を通されて、寿命いっぱいまで命を永らえて。脳死や介護問題など、クローズアップされていますね。

【青木】自然界というのは、常に生き生きしている。人間は後から出てきて、ごちゃごちゃ言ってでかい顔をしていますが。それらを全部つなげた世界を「山川草木悉有仏性」としてとらえたのが仏教です。

死ぬ瞬間が大切

【まさとみ☆】青木先生は死んだら何になると思いますか?

【青木】死んだら何もならないよ。でも、僕は死後に対するイメージがある。

【まさとみ☆】どんなイメージですか?

【青木】死ぬ瞬間、あらゆるものが輝いて見える美しい世界に出遇うのです。そして、あらゆるものを許し、あらゆるものにありがとうと感謝する。そして、残された人たちに命のバトンタッチをする。喧嘩をしていた人にとっては和解の場になるのです。死んだらどうなるかではないのです。死に臨んだとき、生死を超えていなければ、妻にありがとうも言えないし、孫に笑顔も見せれないですよ」。

【まさとみ☆】怩ィくりびと揩ニして感謝の気持ちで送ることができたら、お盆やお墓参りを自発的に行えますね。今、臨終の時に立ち会うという機会を完全になくしてしまっている。それが問題なのですね。

【青木】臨終しかないから臨終なのです。本当は仏陀のような人がいたら一番良いのです。そうしたら、何もしゃべらなくても我々に伝わってくる。

【まさとみ☆】それは究極ですね。

【青木】僕は仏教というものに出会って、仏教はすごいなと思っています。年を取ってくると、自分の身に付けたものをいかにして切って捨てるか。そう生きていくことこそ、安心して死を迎えることができるのだと思います。

【まさとみ☆】執着という贅肉をそぎ落として、シンプルに生きる。まさに、道を求める人は質素倹約を旨とする道元禅師のお言葉につながりますね。お盆が、先祖への感謝の気持ちを子孫へとバトンタッチする機会になったらと思います。本日はどうもありがとうございました。