柳緑花紅

明るい方へ

作家 太田治子


 文章を書くことだけでの生活は、いつの時代もとてもむつかしいと思う。
 かくいう私も、NHK『ラジオ深夜便』の「大人の旅ガイド−私のおすすめ美術館」のコーナーに出演させていただいたり、カルチャーセンターのエッセイや芸術鑑賞の講師をお引き受けするなど、書く以外のギャランティールがあってやっと大学生の娘との母娘二人の生活を維持できている。エッセイ教室の生徒さんたちの中には、今私が書いているものよりぐっと胸にくる文章を書かれる方がいらっしゃる。しかし、その方にプロになるようにおすすめすることはできなかった。これまでに何冊もエッセイ集を出してきた私も、ここ数年その手の本は売れないということで本がでていない。昨年は、「石の花−林芙美子の真実」という評伝が筑摩書房から刊行された。三年がかりで彼女の真実を追ったことを自負しているものの、まだ再販がやっとというところである。
 他の副収入があればこそ、書き続けることも可能なのだった。今年の九月には、朝日新聞社出版「明るい方へ−父・太宰治と母・太田静子」という本が出る。こちらは、発売の一週間後にNHK教育テレビ「ETV特集」で放映されることが決まっている。私がナレーションも担当させていただくことになった。或いは売れるかもしれないという希望を持っている。折りしも、「太宰治生誕百年」である。決してそれを当て込んで書いていたわけではなかった。たまたま林芙美子さんの作品に三年間向き合ううちに、太宰治の作品はあまり読んでいないことに気づいたのだった。父の作品に向き合うことは、私の宿題のような気がしてきた。今までずっとそこから、逃げてきたのである。
 「太宰治の娘」そういわれることが悲しかった。
 殊に細々と文章を書く生活に入ってからは、ますます嫌になった。太宰とは関係のないロマンスや美術エッセイを書いていても、なおそのようにいわれるのだった。自分の書く小さな世界を大切にしたい。父の作品を読みだして、それにスポイルされてしまったら大変だと思った。
 一方で私は、太宰治の作品を少し読んだだけでも心が重くなることがあった。わざとらしさやキザなところが嫌だった。しかしそれは、よく考えてみると私自身の欠点でもあった。そのことがわかると、ますます父の作品からは遠去かっていきたくなった。
 しかしこの二年間は、その父の作品と共に彼に『斜陽』の元となる日記を提供した母、太田静子の文章とも向き合うことになった。母は、「未婚の母」として私を生む時にとても苦しんでいたのがわかった。その母の苦しみの中から私が生まれてきたのだと思うと、書きながら私も苦しくなってきた。それでも二年間、「明るい方へ」を書き続けていたのは、女手ひとつで倉庫会社の食堂で働きながら娘の私を育ててくれた母の明るさを思いだすからであった。母は自分の心をあざむくことなく生きてきたことに、後悔していなかった。
 「ママ、太宰さんも静子さんも他人だと思って書けばいいのよ」
 はたちになる娘の真里子のその一言にも、励まされた。「このわたしは決してあなたでもなければかれでもない」作家パールバック女史の言葉を思い出した。「みんな違ってみんないい」という金子みすずさんの詩にもつながる。たとえ父や母であっても、人間は皆一人なのだった。生まれてきてよかったと二人に心から感謝しつつ、「明るい方へ」を書き上げた。この秋は、いつになく心が明るい。


(挿絵・長谷川葉月)


太田治子(おおた・はるこ)

1947年神奈川県生まれ。父は太宰治、母は太田静子。
明治学院大学文学部卒業。
高校生の時、瀬戸内寂聴に勧められ「手記」を書き、執筆への感触を得る。
1986年、「心映えの記」で第一回坪田謙治文学賞を受賞。
NHK「日曜美術館」初代アシスタントを三年間務める。現在、NHK「ラジオ深夜便」の「私のおすすめ美術館」に出演中。2007年にはNHKカルチャーアワー文学の世界「明治・大正・昭和のベストセラー」を担当。
主な著書に『絵の中の人生』(新潮社)、『恋する手』(講談社)、『小さな神様』(朝日新聞社)、『石の花 林芙美子の真実』(筑摩書房)などがある。