柳緑花紅

秋のバイト

作家 太田治子


 秋になると、大学三年生の娘の万里子は熱心にアルバイトを探すようになった。二学期に入ってしばらくは、授業のやりくりで忙しくしていたのである。ネットで、晴海あたりの展示会場のバイトを募集していることを知った。かつてそうした展示会場の設営や撤収にでかけていたことがあった。男の子らしい女の子の彼女にはぴったりの仕事だったと思う。作業中にかぶるヘルメットをショルダーバッグにしのばせて、夕方遅くにでかけていった。そのまま朝まで、仕事をしているのであった。
「ケガしないようにしてね」
と玄関先で声をかけると、
「道を歩いていても、ビルの上から物が落ちてくることがある」
 彼女はいつもそう答えるのだった。そのバイトを手配していた事務所が解散して、もう半年になる。
 万里子は面接に、いつものジーンズにラフなTシャツ姿ででかけた。夕方戻ってくると、なんとなくしんとしている。
「想像と違っていた」
 彼女は、ポツリといった。面接会場は、ミニスカートの女の子がいっぱい集まっていたという。どうやら、展示会場の案内係の募集が中心だったらしい。
「万里子ちゃん、やはり男の子らしい服装には無理があると思うの」
 私はここぞとばかり、声を大きくしていった。一緒に街を歩いていても、「坊ちゃんですか?」と知り合いの紳士に聞かれることがあった。当人は、むしろそういわれて「やった!」と思っているようだった。しかし母親の気持ちは、複雑である。このような風態になるとは、思ってもみなかった。小学校に入学したころまでは、おかっぱ頭の普通の女の子だった。スカートからみえる太い足も可愛かったのである。どうしてこんなことになってしまったのか。
「万里子ちゃん、今のままの男の子のようでは、普通の会社の就職はむつかしいと思うわ」
 いつになく相手がおとなしくみえるので、こちらはいよいよとはりきっていった。
「服装もだけれど、その山賊のような髪形もよろしくない。ボーイッシュは素敵だと思うけれど、あなたの髪はただむさくるしい」
 彼女は、小学校以来髪を自分で切っているのだった。「トラ刈り」は、しょっちゅうだった。かまやつひろしさんの歌う「腰に手拭いぶら下げて・・・・」という雰囲気そのままのばんカラ学生を地で行っているのだ。
「これでいいの」
 いつもの強い調子であった。聞く耳を持たない娘が、情けなかった。
 それから数日たって、こんどはすぐ近くのラーメン店のアルバイトの面接へでかけた。まもなく帰ってきた娘は、店と自分の都合のよい日の折り合いがむつかしいといった。元気のない様子に、やはりねとこちらは思うのだった。一度入ったその店のバイトの男の子は、こざっぱりとタレント風の感じがした。決して「ばんカラ風」ではなかった。私はそれ以来、そのラーメン店に入っていない。お味が今一歩ということもあるけれど、どうしても面接の日の娘を思ってしまう。親馬鹿である。
 


(挿絵・長谷川葉月)


太田治子(おおた・はるこ)

1947年神奈川県生まれ。父は太宰治、母は太田静子。
明治学院大学文学部卒業。
高校生の時、瀬戸内寂聴に勧められ「手記」を書き、執筆への感触を得る。
1986年、「心映えの記」で第一回坪田謙治文学賞を受賞。
NHK「日曜美術館」初代アシスタントを三年間務める。現在、NHK「ラジオ深夜便」の「私のおすすめ美術館」に出演中。2007年にはNHKカルチャーアワー文学の世界「明治・大正・昭和のベストセラー」を担当。
主な著書に『絵の中の人生』(新潮社)、『恋する手』(講談社)、『小さな神様』(朝日新聞社)、『石の花 林芙美子の真実』(筑摩書房)などがある。