人生の糧になる仏教のことば


恩恵を受けて美しい花を咲かせる


  長野県
  柳原寺住職 池田魯參


十方仏土の中

  泥のなかから蓮が咲く。
  それをするのは蓮じゃない。
  卵のなかから鶏が出る。
  それをするのは鶏じゃない。
  それに私は気がついた。
  それも私のせいじゃない。
       (金子みすず「蓮と鶏」)

 初めてこの詩を読んだとき、何かこう大きなものに包まれたような深々と温かい感じがしました。 とても気持ちのいい詩ですね。生命現象の真実を紡ぎ出しているからでしょう。
 一人だけでは生きていけないことを知っていながら、つい私たちは自分一人で生きているかのように振る舞っています。 この詩のように、天地いっぱいの大きな恵みに生かされていることを、祈り祈りに想い出す必要があるのではないでしょうか。
 蓮は泥の中に太い蓮根を育て、季節が来ると美しい蓮の花を咲かせ、豊かに実を結ぶのです。これらの条件が整って初めて、 こうして美事な一時が実現するのです。そのことに気づかされた私も、実はそれと同じだったというのです。 そういうことに気づかされるほど周囲のさまざまな恩恵を受け、これまで生かされて来たわけです。四方八方、天地の間に、 私たちは皆共々に大きな恵みをいただいて生かされているのです。
 四季折々に変わる山の景色も、梢を渡る風の音も、岸辺を洗う波の音も、物皆仏さまのお姿であり、仏さまの説法のお声である。 この世はそれほど素晴らしいところである。そのことを忘れないようにしたいものです。


情けは人のためならず


  東京都 天徳院住職 大薮正哉


利行は一法なり

 道元禅師のお言葉です。「利行」というのは、「相手のためになることをする」ということです。
 古い諺に「情けは人の為ならず」とあります。これも「相手のためになることをする」ようにという意味がありますが、 この諺の方は、「相手のためになることをしておけば、めぐりめぐって必ず自分にとってよい報いが返ってくるものですよ」という、 結局は「自分にとってためになりますよ」ということですが、「利行」の方は「自分のため」ということを考えて 「相手のためになることをする」というのではなく、あくまでも「相手のため」にするということですが、 実は「相手のためになることをする」ということができる、ということが、「自分にとってまことにありがたいことである」 ということをお示し下さっています。
 「相手のためになることをしよう」と思っても、自分のからだが自由にならず、それをするだけの力が無い、 ということも考えられます。「相手のためになることをする」ということができるということが、実は人生の「至福」の ときであると考えることができます。「相手のためになることをする」ことができることは、そのまま「自分のためになっている」 ということです。「利行は一法なり」ということは、「相手のためになる」ということは、そのまま「自分のためになっている」ということです。



(イラスト 有本 恵)