お盆特集
板橋興宗禅師に聞く
お盆には「ふるさと」が呼んでいる
聞き手=石原恵子(地域情報紙・『りんかいBreeze』、『BRISA』編集長)
福井県大本山永平寺からほど近い越前市庄田町。
自然豊かなこの地に瑩山禅師生誕の地と目される「御誕生寺」があります。
曹洞宗管長・大本山總持寺貫首を務められた板橋興宗禅師はこの「御誕生寺」で、十八人の修行僧とともに日々坐禅に取り組んでおられます。昨年の六月には本堂と坐禅道場も落慶しました。
良寛和尚を髣髴とさせるやさしいお人柄に、昨今は人間ばかりか猫たちまでそばを離れないともっぱらの評判です。今日はそんな板橋禅師を訪ね、お盆にちなんだお話をうかがいました。
板橋興宗 禅師
1927年(昭和2年)宮城県多賀城の農家に生まれる。
東北大学卒。
1953年(昭和28年)渡辺玄宗禅師について禅門に入る。
その後、井上義衍老師に参禅。福井県武生市・瑞洞院住職、石川県金沢市・大乗寺住職などを歴任。
1998年(平成10年)神奈川県横浜市の大本山・總持寺貫首、曹洞宗管長に就任。
2002年(平成14年)貫首・管長の公職を辞し、現在福井県越前市の御誕生寺住職。
主な著書
『良寛さんと道元禅師―生きる極意』『興宗和尚の人世問答』『混沌に息づく
禅の極意』『坐りませんか』『ありがとさん』など多数。
【石原】 自然に囲まれた広い境内、新しくまばゆい本堂と明るい坐禅道場、そして清々しい空気と草の匂い、とても居心地の良いお寺ですね。
【板橋】 曹洞宗には、道元禅師が開かれた永平寺と瑩山禅師ゆかりの總持寺と、二つの大本山があります。その瑩山禅師がこの辺りでお生まれになったということで、以前からあるお坊さんが「御誕生寺」という寺籍までつくっていました。そのときは伽藍も土地もなかったのですが、わたしの知っているある篤志家が「御誕生寺」を立派な寺にしようということで多大な寄付をされたんですね。そんなことで、わたくしがこの寺の運営を任されることになったのです。その篤志家はとくに曹洞宗の檀徒というわけでもないのに、ほんとうに奇特なかたです。
【石原】 今、ちょうどお盆の季節を迎えています。多くのかたがお盆になると、郷里に帰って先祖のお墓参りをします。それが日本の国民的行事になっていますね。
【板橋】 お盆に「ふるさと」に帰るというのはいいことです。「ふるさと」ということばの響きの中には、自分が生まれ育った土地の土の匂い、一木一草の香りまでが溶け合っています。「ふるさと」のあらゆるものは、そこで育った一人一人の人間と遺伝子のうえでどこかつながっていると思います。都会のコンクリートには遺伝子はありません。だから、お盆の時期には、みんな「ふるさと」に呼び寄せられるような気持ちがするのではないでしょうか。
実際、いま、多くの芸術家が生活の場を田舎に移して、創造的な仕事にいそしんでいるという話も聞きます。芸術というのは人間の心、魂の響きですからね、彼らが田舎へ帰るというのはよく分かります。芸術家というのは、時代の流れを先取りするところがありますからね、これから人々が必要としているものを暗示しているのかもしれません。
【石原】 ここ御誕生寺では具体的にどのようなお盆をお迎えになるのでしょうか。
【板橋】 この寺には檀家は一軒もないんです。広い敷地ですから、一部に墓地も造りました。そのときに、檀家とか関係なくご利用くださいと言ったら、次々と皆さん、集まって下さった。それでたまに、三カ月に一遍くらいですが、墓地を持った人にお経を頼まれることがあります。
ですから、お盆といっても特別なことはなく、朝は二回の坐禅と朝課、午前中に托鉢、午後は作務(労働)をして、夜はまた二回の坐禅、それが日課です。それから週に一回、市内のトイレの掃除を奉仕で行っています。
一般に、お盆というと、お墓参りをして先祖供養をする期間だとされているわけですが、わたしの大ざっぱな考えでは、お釈迦さまの仏教にはもともと、先祖供養とか葬式というのはなかったと思うのです。日本でも古い時代にできた法隆寺とか東大寺とかでは、昔も今もお葬式はしません。中国でもそうで、お坊さんが葬祭にかかわることは少なかったと思います。
それが、時代を経るにつれて、しだいにお坊さんが葬祭に関わるようになったのは、日本仏教の特色だと思います。それも江戸時代の始めころから、「うちはキリスト教ではありません、仏教です」ということを証明させるために、お寺が戸籍係のような役割を果たすことになり、村ごとにお寺を建てていった。日本仏教が葬式仏教化して行ったのには、そうした江戸幕府の政策とも深い関係がありますね。
●日本人の大らかな宗教観
【石原】 日本人は年始には神社にお参りに行き、お彼岸やお盆はお寺でお墓参り、冬にはクリスマスを祝い、大晦日にはお寺で除夜の鐘をつく。宗教の違いをまったく意識していないありさまですが、それをあまり違和感なく受け止めていますね。
【板橋】 日本人はそういうところはじつに大らかですね。何でも受け入れてしまうというのが、日本人の特性でもある。そして、日本人の文化の特徴は何かというと、曖昧模糊としているところです。
例えば、「明日、ゴルフに行きませんか」と言われたら、「はあ、いいですね。でもじつは息子の運動会があって、どうしたものか…」とか言って、最後までノーと言わない。これは非常に遠回しだけども、相手の心を重んじてノーと言うことができないのです。
西洋ではノーならノーとはっきり言わなかったら返答になりません。ところが、日本人は、相手の気持ちを慮るがゆえに日本人独特の曖昧さを生じさせてしまう。そこに日本文化の特色があると思います。
【石原】 禅師さまの著書を拝見すると、「日本宗」といったことばをお使いになっていますが、それも日本人の独特の宗教意識を表わしているのでしょうか。
【板橋】 そうです。葬式をして四十九日とか百カ日とか年回法要とかをしないと、死者が成仏できないとか、先祖が浮かばれないとか、世間ではいろいろおっしゃいますね。そういうことはお釈迦さまの教えそのものからは出てこないのですが、日本では、仏教が長い時間をかけて人々のなかに浸透していく過程で、日本古来の祖先崇拝を仏教のなかに受け入れていったわけです。
それから、日本本来の宗教は神道です。山を見ても石を見ても手を合わせ拝む。自分がお参りする神社の神さまの名前を知らなくてもお参りする。そんなふうに、日本人に根付いているのは神道とか民間信仰が仏教と融合したものですね。どこからどこまでが土着的なもので、どこからどこまでが仏教なのか分からない。それがわたしの言う「日本宗」です。お盆の習慣などはもっとも「日本宗」的なものの一つだと思います。
御誕生寺本堂
●お天道さまを拝む心
【板橋】 わたしはじつは、これから、お天道(てんとう)さまを拝む心を日本人に復活させる運動を展開したいと思っているんです。
【石原】 おテントウさま、ですか。
【板橋】 お天道さまがなかったら、生き物は生きていけないし、地球はただの瓦礫の山です。朝、お天道さまがぱあっと射すだけで、こんなに明るく暖かい。この年齢になって冬を過ごすと、それを身体で感じて分かります。そんな恵みを与えて下さるのがお天道さまですからね。お天道さまに対する信仰というか、崇拝というか、感謝の念を、日本人にもっと復活させたい。
昔のいい意味での温かい心、泥臭いというか田舎臭い人情というものは、太陽信仰から来ます。昔の人は一生懸命手をたたいて拝んでいましたね。お天道さまが山から上がる、海から上がる、そしてやがて沈んでいく。それを見たら、その素晴らしい、美しい光景に驚嘆します。
わたしはお天道さまという言い方でそれを感受してきた日本人の温かい心を復興したい。今の子どもたちは、太陽をサン、月をムーンとか英語で言って、まったく物体としてしか見ていませんね。
【石原】 わたしの祖母が「お天道さま」と言っていたのを思いだしましたが、わたしはやはり太陽と言います。
【板橋】 そうでしょう。日本人は一番大事なお天道さまということばを亡くしてしまった。今では一番大切なものはコンピューターだとか、IT(インフォメーション・テクノロジー)だとか言っているが、そうしたものが人類を衰亡に導く元凶にならなければいいがと心配しています。
日本ではキリスト教の信者が人口の一%にも満たないのです。それはやはり、日本人にとって神道も仏教も融合した宗教、わたしが言うところの「日本宗」がもう血液というか体質になっているからですね。わたしはべつにキリスト教がダメと言っているのではないのです。ただ、キリスト教のような一神教は、もともと自然宗教である日本人の感覚にはなじめないということでしょう。
同じ仏教国である韓国ではなぜ、戦後、急激にキリスト教に改宗する人が増えたかというと、韓国の仏教のお坊さんたちは、結婚もしないし、財産も持たない立派な人たちばかりなんですね。そういう意味では、韓国は大乗仏教の最後の砦だとわたしは見ているのですが、ただ、そうしたお坊さんたちと一般庶民との間が隔絶しているんです。韓国のお坊さんたちは、「出家としての戒律をしっかりと守っている自分たちは一般の在家の人たちとは違う。尊敬されたり拝まれるのは当然だ」と、そんなふうに思い込んで、それがおごりになってしまったんですね。だから庶民の日常的なささやかな祈りや願いなどを無視してしまった。そこから、仏教と庶民との乖離が起こっていたのだと思います。
われわれ日本人は、殺生をしたら地獄に行くとか、よいことをすれば極楽へ行くとか、お釈迦さまと聞くとなんだかよく知らないけれどとにかく手を合わせて拝むとか、それから先祖の供養をしたりとか、そういう感覚はもう骨身に染み込んでいる。だから「横文字の宗教」には違和感を感じるんでしょうね。
私もたまにテレビを見ますが、どうして今の日本の女性たちは寒いときでも素肌を晒すような服を着るのかなと思います。昔は十二単(ひとえ)という着物すらあったのにね。わたしは西洋的な文明が進めば進むほど、犯罪や殺人、ノイローゼや自殺が増えるのではないかと心配しています。日本の年間の自殺者はこのところ三万人を超えるありさまですからね。
ところで、私は小学生の時には総理大臣になろうと思っていたんですよ。(笑)
【石原】 内閣総理大臣ですか?
【板橋】 中学に入るときの口頭試問で、「あんたは将来、何になる?」と聞かれたので、「政治家になります」と答えた。すると、「政治家って、どんな?」と聞くから、「内閣総理大臣になります」と言った。みんなに大笑いされましたけれどね。当時、われわれ小学生のイメージでは、内閣総理大臣というのは、人格識見ともにすぐれ、日本人の中でもっとも高潔で立派な人という印象だった。
それが今ではどうですか。政治家はもうお互いの悪口ばかり言っている。自分の票を増やすためには相手の欠点を探してあげつらう。そうしたことを、お互いにやるから、もう人間としての人格うんぬんではなくなってしまっている。古来の日本人の相手に対する思いやりとか、慎ましさとか、ゆかしさ、そうしたものが今の日本文化からすっかり遠ざかってしまっている。
●猫は禅の要諦をあらわす
【石原】 ところで、境内にはたくさんの猫がいますね。何冊か猫の本やカレンダーも出版されているとか。
【板橋】 私は小学校のころからいつも猫を抱きながら勉強していたり、猫を抱いて寝たりしていました。お坊さんになって修行中はそんなことはできなくなったのですが、總持寺の住職しておりました時にはですね、あの辺りには捨て猫がいっぱいいるんです。いつも餌をやるおばあちゃんが来ると、四十匹ぐらいがぱっと集まる。そのうちの一匹が、わたしになついて、とうとうわたしが抱いて寝るまでになってしまったんです。
ところが、本山の庫裏のなかですから、その猫が木で爪をがりがり研いだり、便をしたりということで始末に終えなくなってしまった。それで困って外へ出したんですが、「キャーッ」という猫の鳴き声が聞こえたりすると、ああ、いじめられたのではないかとか、もう気が気でなかった。それで結局、わたしのお弟子さまで、時どき名古屋から本山にお手伝いに来ていた尼僧さんに預けました。その猫は今でも元気ですよ。
そんなこともあったのですが、こちらに来てからはあるていど自由ですから、捨て猫を飼っているうちにだんだん集まってきてしまいまして。
【石原】 今、何匹くらい居るんですか?
【板橋】 捨てられたり見放されたりした猫が二十数匹、雲水が連れてきたプレハブに住む猫もいれると三十匹くらいですか。ところが思わざることに、われわれ人間よりも医療費がかかるんです。去勢する、風邪をひいた、車の事故に遭ったとかね。
【石原】 ああ、大変ですね。
【板橋】 うん、いろいろお金のかかりはしておりますけど、思わざるのに、地元の子どもたちが猫を見に来たりします。
【石原】 猫ちゃんたち、ここではみんなのんびりして、何かゆったりと安心していますね。
【板橋】 それは当たり前です。みんな食い放題ですから。(笑)
【石原】 禅師さまは、『猫は悩まない』という本をお書きになっていますね。
【板橋】 そう。わたしよく言うのですが、悩むのは人間だけです。なぜかというと言葉で考えるからです。猫は寒さとか、空腹とか感じても、それをなぜとは考えない。人間はいつでも、あの人がああ言ったこう言った、それが原因でこちらはこういう迷惑をこうむったとか、そんなことばかり考えている。そういうのはみんな言葉の連結なんです。猫はそれがないのです。
もちろん好きな人が来ると体で覚えているから、その人に寄りますけれどね。でも、何で今日は食べるものを持ってこないの?というようなことまでは考えません。その「ことばで考えない」ということが、それこそ禅の要諦であり、宗教の要諦であるとわたしは思っています。
●女房だけは怒らせるな
【石原】 猫カレンダーの標語の一つに、「女房だけは怒らせるな」とお書きになっていますね。
【板橋】 わたしの人生の処世術は、「負けながら勝つ」ということです。女房、あるいは子どもと本気になってけんかをしたらアホですね。やはりこちらが、「ああ、まいった、まいった」「ごめん、ごめん、悪かった」といって女房に叱られてみせる。そうやって、負けたつもりでちゃんと勝っているわけです。勝っているということはどういうことかというと、離婚しないということです。離婚した夫婦というのは、どちらも負けですよね。
【石原】 「ほかの女性を褒めてはいけない」とも書かれていますね。
【板橋】 そうです。女性の前で他の女性を褒めちゃいけない。話題にしても駄目です。
【石原】 話も駄目なのですか?
【板橋】 うん、ほかの女の悪口ならいいよ(笑)。それは冗談としても、昔からお釈迦さまも子どもと女は度しがたしとおっしゃっている。女は執念深く欲が深いというんですよね。たとえば、奥さん方に、お菓子をどうぞと言うとみんな遠慮してすぐには食べない。では、みんな持って帰ってと言って、住職がいなくなると、菓子皿の中はみんなきれいになくなっていますよ。
【石原】 何か分かるような気がします。
【板橋】 男なら、うまいな、もう一回ここへ来たいなとか考えますが、女性の場合、絶えず子どもか亭主のことが念頭にあります。これを食べさせてあげたいとかね。それが家庭を守り、子どもを育てる母性本能です。母性、それこそが女性なんですよ。男のほうがその介助者です。女性は種族本能でつながっている。女性は種族の直系なのです。
だから自分の生まれた国は母国、そのことばは母国語、出身校は母校、自分の出発した港を母港という。母国を父国なんていうのは聞いたことがありません。そのくらい「母」がものの根源となっているわけです。男はそれを外部から守っているわけで、婚姻によって、せいぜい遺伝子の組み合わせを多くしているくらいのものです。
ですから、女性はどうしても家庭中心で、夫や子どものために欲深くなり、執着心が強くなる。それで「度しがたし」といわれるわけですが、それは仕方のないことなんです。母性本能というのは、そういうものなんですから。その点、男は淡白ですね。
●がんといっしょに坐禅
【石原】 禅師さまは、お見受けするところ、お顔色も良くお元気そうですが、がんになられたと聞きましたが?
【板橋】 そう、がんですね。三週間に一遍、点滴に行っています。そのほかにも、以前、心筋梗塞を患いましたので、そういう薬などを毎日十種類以上飲んでいます。がんは手術しましたが、そっちこっち、骨にも転移してね。でも、がんの数値は高いけど、あまり進行しないようです。
【石原】 痛くないのですか。
【板橋】 痛くないね。痛くなったらじっとしていられないでしょうし、気になると思いますね。お医者さんも、「数値が高いけどこんなに元気なのはなぜかな。やはり坐禅の生活をなさっているからですかね」と言ってくれます。
坐禅は下腹、丹田で呼吸しますから、自然に体内のホルモン分泌とか血流をよくし、免疫力を高めてくれます。それが、肉体の安定を保つことにつながるのです。わたしは、そういう確信を持っていますから、それが、がんがひどく悪さをしない原因ではないかと思っています。
【石原】 きょうは、お時間をいただき、ありがとうございました。