お彼岸特集
平等寺 丸子孝法師に聞く

あなたの足元に彼岸はある

聞き手=石原恵子(地域情報紙・『りんかいBreeze』、『BRISA』編集長)

 聖徳太子の開基といわれる名刹、奈良県桜井市の三輪山平等寺。静かで涼やかな境内には、奈良時代様式の本堂をはじめ、二重塔や鐘楼堂、鎮守堂などが美しく佇む。
 明治の廃仏毀釈でほとんどのものを失いながら、住職の丸子孝法師が十六年にわたる勧進托鉢行でみごと再興された。
 その老師に、お彼岸の実践徳目である「六波羅蜜」、すなわち布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧について、ご自身の行の極意をまじえ、語っていただいた。



丸子孝 法師
山形市出身。1965年に県立山形工業高校を卒業後、東洋レーヨンに入社。同年秋に退社、平等寺に入山。
1970年に駒澤大学を卒業し、永平寺に安居。
翌年、平等寺に帰ってから托鉢行脚で寺の再建に取り組み、本堂、鐘楼堂、鎮守堂、翠松閣、釈迦堂(二重塔)などを復興。
現在、三輪山平等寺、妙光山久松寺住職、曹洞宗特派布教師を務め、全国の講演に東奔西走。



【石原】 「彼岸」というのはむこう岸ということで、「さとりの世界」のことですね。そこには「六波羅蜜」の行いによって近づくことができるのでしょうか?

【丸子】 一般には、今おしゃったように「迷いの世界」と「さとりの世界」があって、修行によってさとりの世界へ行くという受け止め方があります。しかし本来は、こちらの岸も向こうの岸もないわけです。今現在のこの一点をどう生きるか、それがわたしたちの修行の眼目です。
 釈尊が亡くなる前にお説きになった『遺教経』の中に、「我が諸の弟子、展転して之を行ぜば、即ち是れ如来の法身常に在して而も滅せざるなり」とあります。たゆまず教えを実践しなさい。実践するところに、わたしはあなたたちとともに生きているという思いですね。これはとても大事なことで、わたしはいつでも「仏教」よりも「仏道」という捉え方をしています。その「仏道」の部分に布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧という六波羅蜜もあるわけです。彼岸は「彼」の「岸」というふうに書きますが、それは向こう岸ではなくて、今の現実のわたしの脚下にその場があるということです。あくまでそこを大事にしていきたいと思いますね。

【石原】 「六波羅蜜」の最初の布施は、施しをするということですね。

【丸子】 施しをするということを、道元禅師は貪らないという実践行であると捉えていらっしゃいます。貪らないということは、この大自然そのものがわたしと一つだという受け止め方です。今ここにある事実は全部、わたしも含めてひとつの命です。この木も命、流れている空気も命、全部同じ命なのですね。

 平等寺山門

●生きとし生けるものはみな同じ

【丸子】 このごろ特に感動を受けましたのは、小柴昌俊先生の元素の話です。

【石原】 ニュートリノの観測に成功され、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊先生ですね。

【丸子】 先生のメッセージの中で、「地球そのものには百八の元素がある。その中の九十二個の元素で人間ができている」という話に大変感動を受けました。
たとえばこの木も、九十二個の元素の中の幾つかが集まってできているのです。飛んでいるハエも、猫も、そこの池の金魚も、ありとあらゆる、目に見えるすべての世界は百八の元素の幾つかをいただいているんですよ。それをよく味わうと、ああ、人間というのはこの大地の命をいただいているのだなと分かる。

【石原】 同じ地球上で、みんな百八の元素の中の幾つかを持って生きているのですね。

【丸子】 そうです。そんな思いを持つと、今までは人間だけが特別だという人間中心のものの考え方をしていたのがひっくりかえってしまいます。お釈迦さまもさとりを開かれたときに、「我と大地有情同時成道す」と言われたといいます。「大地」というのは大自然、大きくいえば、宇宙、地球そのものです。「有情」というのは、人間をはじめとする生物ですね。この大自然も、人間も、生きとし生けるものすべてがわたしと同時に成道した。みんな仏だよとお釈迦さまはおっしゃるわけです。
 わたしは、そういうことは仏教学的には教えられていましたが、長らく心の中で納得がいかなかった。それが小柴先生の説を拝見して、「ああ、本当にそうなんだ」と思った。表面的な格好が違うだけで内在するものは皆同じなのですね。みんな地球の命をいただいて生きている。そう見てみると、この六波羅蜜の考え方もちょっと視点が変わってくるんですね。人間が修行を積み上げて仏様になるのではなくて、本来みんな仏様なのですよ。それなのに仏様に一番遠いのが人間なんです。

【石原】 人間はあれこれ考えるからでしょうか。

【丸子】 それはもう、いっぱい迷いがありますもの。お釈迦さまは、「奇なるかな、奇なるかな、一切衆生皆ことごとく如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるをもっての故に証得せず」と述べていらっしゃいます。妄想執着というのは、迷いですね。その迷いの心があるから、自分が仏様であるということが分からない。人間が一番分からないんです。大自然のほうがはるかに分かっていますよね。

●生かされているわたしに出会う

【石原】 多くの人が、迷いや苦しみのなかにあって、ときには自分ひとりが苦しいと思ったりします。

【丸子】 小さなわたしというものに閉じこもらないで、大きな生かされているわたしに出会うことが大切です。わたしはこういう人間だと思ってしまいがちですが、もともとそんな枠組みはありません。本来とてつもない命なのだということが分かれば、自ずと生き方が違ってくるんですよね。
 わたしは、計算が好きでね。わたしの親が二人いて、その親には四人の親がいる。そういう風に積算していって三十二代まで計算したら、何と答えは八十五億八千九百九十三万四千五百九十人です。

【石原】 すごい数ですね。

【丸子】 もしこの三十二代の中の一人でも違ってごらんなさい。今のわたしはいなかったわけです。華厳教学では「重々無尽縁起論」といって、縦、横、斜めに全部縁が重なっていると教えていますが、正にそういうことです。すごい縁に恵まれて今自分がいる。なんと得難い命であったかということです。自分は貧乏だから駄目だとか、頭が悪いからいい仕事に就けないとか、そういう枠組みを自分でつくってしまうのですね。本来そんなものではないわけですよ。

●禅定とは坐禅そのもの

【石原】 そう思うと、一人ひとりの命はとてつもなくすばらしい命ですね。

【丸子】 それを学んでいくのが釈尊の教えの根幹ですね。それをまた一つの実践行として行じる場合には、六波羅蜜などがそこに関わります。特にその中で大事なものは「禅定」です。

【石原】 「禅定」というと、どんな時にも迷ったり動揺せず、静かな落ち着いた気持ちでいることですか?

【丸子】 禅定とは坐禅です。『般若心経』の中の冒頭に「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。」と出てきますよね。「観自在菩薩」というのはお釈迦さまご自身です。「深般若波羅蜜多時」というのは、お釈迦さまが坐禅をなさった時という意味です。そこで「照見五蘊皆空」、この世界は皆「空」であることが分かったということは、世界はどんどん移り変わっていて、一つのもので成り立っているのではないということに気がついたということですね。そのあと「度一切苦厄」とあって、一切の苦しみを越えることができたと述べておられます。

【石原】 さとりに達したわけですね。わたしは坐禅経験は少ないですが、それでも落ち着いた静かな気持ちになります。

【丸子】 このごろ脳生理学が非常に発達して、脳の研究が進んできましたね。われわれ人間の心を調整し安定感をもたらすといわれるセロトニンという神経伝達物質は、ヨガとか坐禅のときに多く出るようです。
 わたしは駒澤大学の竹友寮におりました。寮の一番北側の部屋が研究室になっていて、そこで坐禅中の脳波を測定するわけですよ。そうしますと、われわれのような新米の僧や在家の素人の方であっても、あるいは何十年坐禅した方でも、同じ結果が出るわけです。

【石原】 初めての方でも、長く坐禅した方でも、同じ結果というのはおもしろいですね。

【丸子】 道元禅師は『普勧坐禅儀』の中で、「坐禅は習禅にあらず」と言い切っておられます。そのことが八百年過ぎた今、証明されているわけです。ですから、「諸縁を崩捨し、万事を休息す」とおっしゃっている。日ごろ、あれもしようかこれもしようかといろいろ思っている、そうしたものをすべて捨て去り休息しなさいと。

【石原】 全部捨てて休みなさいというのは大胆ですね。単純にそうできたら嬉しいですが。

【丸子】 人間があれもこれもと思っているのは、自分の頭でそう思っているだけでね。その辺の木なんか、「今日は暑いな」とか、「雨が降った。ちょっと涼しくなったなあ」くらいでしょ。それが本当は大事なのですね。人間は頭で全部処理しようとするから大間違い。それを一遍捨て切ってしまう。
 彼岸という世界が、実はそういう世界だということですね。向こう側に素晴らしい世界があるというのではなく、己自身の中に全てがある。そして、その自分自身が努めなければならない世界が布施であり、持戒であり、忍辱であり、精進であり、禅定であり、智慧である。自分が修めるべき世界が六波羅蜜なのです。

【石原】 修めるとは修行ということでしょうか?

【丸子】 六波羅蜜を全部修めなさいといっても、なかなかそう簡単にはいきませんから、そのうちのどれか一つでも、ポイントを絞りながら欲張らずにやっていただくしかないですね。

【石原】 そう言っていただくと、何か非常に安心します。一つでも何か努力してみようと前向きになりますね。

● 断わられても合掌礼

【石原】 ところで、このお寺は勧進托鉢をされて再興されたとお聞きしましたが。

【丸子】 世の中の人から応援をいただいたからできたのです。

【石原】 応援をしていただくためにはどういうことをされたのでしょう。

【丸子】 それはみなさんの布施ですから、それを求めてはいけません。「貪らない」ことです。これは本当に仏教のあり方そのものです。托鉢に出て、ここではいくらいただきたいな、といった気持ちを持ったら大ばか者です。勧進托鉢自体が、わたし自身の貪らないということの修行でした。「お断り」と言われたときも合掌礼。水をかけられても合掌礼。それに対していささかも自分が不足不平を持たず、全部ありがとうございますと受け止めていく。それが托鉢の大事なところです。「ここはちょっといただけそうだな」とか、「ここはちょっと怖いな」とか、そんなことを思うこと自体が駄目なんですよ。

【石原】 どこにでも行かれたのですか?

【丸子】 選り好みをせずに、銀行でも警察でもどこでも行きました。断られてもいいわけです。あとで、「先ほどはすみません。ちょっとこれだけでもどうぞ納めてください」と、追いかけてきてくれた時もありました。「誰が来ても絶対に断ったけれど、あなたの顔を見ていると断り切れない」なんて言われたりもしました。

【石原】 ご人徳ということですね。

●師匠との三つの約束

【石原】 プロフィールを拝見しますと、山形県にお生まれで、高校を卒業後、一度会社にお勤めになってからこのお寺に来られた。その後、駒澤大学に通われ、永平寺に安居されてのち、お寺に帰られたわけですね。当時は、明治の廃仏毀釈で荒廃していたそうですが、今はたくさんのお堂がありますね。

【丸子】 じつは師匠の広島秋正老師と約束があったんです。師匠ががんで倒れまして、前の古い本堂で看病しながら、永平寺に修行に行くときに使ったふとんの裏地で七条衣を縫った。そうすると、「お前、いい袈裟を縫ったな。今どきこんなお袈裟を縫う人いないわ」と喜んでくださって、そのときに突然、「お前、三つ約束してくれ」と言われました。

【石原】 三つの約束ですか。

【丸子】 一つは「二足のわらじを履かんでくれ」と。わたしは教職課程を修めていたので教員もやろうと思っていたのですが、「お坊さん一筋で」という意味でした。二つ目が、「わしの墓はこの寺の中に建ててほしい」。これはできると思いました。三つ目は、「お前は、苦労するだろうけれども、托鉢をしてでも本堂を建て直してくれ」と。

【石原】 お堂一つ建て替えるだけでも大変なのに。

【丸子】 そこに掛け軸がありますが、この寺は七堂伽藍と塔頭が十二房、境内が四万五千坪もある大きい寺でした。東大寺や法隆寺と肩を並べるほど力があった寺だったのです。
 昭和四十六年の十月二十六日に師匠が亡くなり、大変なことを約束してしまったなあと思いましたが、ひと月経った日の朝、師匠の墓の前に立ち、「今日から托鉢に出ます。本堂再建ができるかどうか、とにかく頑張ってみます。見守っていてください」と師匠にお願いして托鉢に出かけました。それ以来、六十二年の夏までですね。ひと月に二十日から二十二日間、朝の八時から夜七時ぐらいまで、托鉢三昧でした。

●選り好みはなし

【石原】 托鉢を十六年も続けられたのですね。場所は奈良県が中心ですか?

【丸子】 講演や説教で地方に出たときはご縁でその周辺を托鉢しましたが、あとは主に奈良県です。奈良の寺を再建するわけですから、奈良を托鉢するのが一番です。最初はなかなかご理解いただけなかったのですが、いつの間にか村々の話題になるんです。「三輪の若い和尚が、毎日毎日托鉢に来ているぞ」と。お茶話にその話題が出るんですね。それがだんだん広がって、「あんさん、よう頑張っているな」と言われるようになって、皆さん応援してくださるようになった。
 とにかく毎日行っていました。托鉢の浄財を一円もわたくしのためには使わないと、最初からその気持ちで進みました。でも、そのうち結婚し、子どももできましたので、なかなか難しかったのですが、幸いにして二十四歳のときから説教とか講演とかを頼まれていましたから。講演などは今までに二千六百回ぐらいこなしました。(笑)

【石原】 今でも一年に百回以上講演をされるとか。どのようなお話をされるんですか?

【丸子】 企業に頼まれたときは主に人間教育です。会社の中で一番難しいのは人間関係です。自分の我ばかり張っていると成り立ちませんね。ですから、人を思いやる心を涵養するように、わたしの托鉢の経験を通した話などをします。もちろん宗門のお寺さんからも頼まれますが、わたしは選り好みしませんから、来てくれと頼まれたら、学校、新聞社、警察、税務署、病院、どこでもはいはいと行きます。それも一種の托鉢ですから。
 わたしは若いころから説教師になりたいと思い、師匠にお伺いを立てて、宗務庁の布教師養成所に行きました。受講生八十名の中でわたしが最年少で、当時一緒に勉強した方々は、日本中の偉いご老僧ばかり。指導してくださった金子帰山老師は説教の神様と言われた方でした。若いときにそういう出会いをいただき、本当に貧乏学生でしたが幸せでした。

【石原】 本堂、鐘楼堂、鎮守堂、釈迦堂などはその講演や托鉢の浄財から建てられたわけですね。

● まず自分の心を開く

【丸子】 本堂を再建するということが主眼でしたが、その前に色々ありまして、台風で南側の石垣が崩れてしまった。それで、業者さんから建築現場の要らなくなった石材を譲ってもらい、托鉢から帰ってからの大工仕事で修復しました。門も自分で図面を起こし、小さな屋根ですけど、宮大工の仕事と同じように釘を使わずに全部「組み」で建てた。
 そのときに、「昔の建築はすごい」と思いました。相手の木を引き寄せるためには、我が身を欠いて引き寄せるのです。本当に貪っていないのです。これが日本建築、木造建築の最高の知恵で、それを知ったときに、上代建築、奈良時代の建築を勉強してみようと、いろいろ本を買い、毎日夜なべ仕事で勉強しました。ですからこの本堂の設計も十五回ぐらいやりました。

【石原】 本堂の設計図まで書かれたのですか。

【丸子】 はい。設計図ができ上がった段階で、材木屋さんに見積りを出してもらったら、材木だけで九千八百万円、総工費は規定どおりだと五億円くらい。そうすると、托鉢の浄財ではとても追いつかず、半ばあきらめていました。そしたら、うちの総代さんがカナダのヒノキを扱っている方を紹介してくださり、その方が商売抜きで応援してくださったおかげで材木はおよそ半額くらいになりました。その方は今、うちの檀家さんになってくださっています。

【石原】 檀家さんもそうやって増えたのですね。月々の行事や日曜坐禅に加え、チャリティーコンサート、空手教室なども開かれ、電話相談もされていますね。

【丸子】 わたしだけでなくて、副住職もおります。わたしたちは、人さまに何かあったときに気楽に相談できるお坊さんでなければならない。人々がぱっと心を開けるためには、わたしたち自身が受け皿といいますか、まず自分自身の心を開かなければならないと思っています。

【石原】 本日はどうもありがとうございました。