平成二十三年新春
家門繁栄 無病息災 笑門来福



一如

大本山總持寺貫首 大道晃仙

 平成二十三(二〇一一)年の新春を言祝ぎ、謹んで皆さまのご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
 本年は、大本山總持寺が能登から横浜・鶴見に移転して九百年となる記念すべき年です。老衲としても、本山貫首として本年を迎えるという有難きことこの上ない御縁をいただきました。感謝の至りであります。
 さて、高祖道元禅師は『辨道法』の中で「動情 大衆に一如す」と示され、それに基づき叢林では、修行する上で基本的なきまりとして「大衆一如」ということが日常の中で言われます。
 修行する者は、皆全く同じ行動をとらなければならないという意味です。同じ時間に起床し、同じ食事をいただき、共に声を合わせて読経し、一緒に作務をします。
 大切なことは、様ざまな個性や性格、あるいは能力のちがいを持った者同士が和合して、一つのことを共に行うというところにあります。お互いに相手に関心を持ち、互いのちがいを認め合い、一つひとつの行持を助け合いながら勤めます。
 「一如」を行ずるには、そういった他の人びとへの思いやりのこころが大前提となります。
 そしてこのこころを堅持し、さらに展開させて、社会ないし民衆と積極的に関わり、共に支え合う和合の世の中を希求されたのが太祖瑩山禅師です。
 新年にあたり、「一如」の意味するところをよく味わっていただきたいと思います。
 皆さまにとって、本年がよい一年であることを重ねて祈念申し上げます。


流汗悟道

大本山永平寺貫首 福山諦法

新年明けましておめでとうございます。
皆様は夫々の地に在りまして、心気しく正月を迎えられたことと存じます。
わたくしもの永平寺にて、無く新年を迎えました。
元日や ゆくえもしれぬ 風の音
渡辺水巴
という句がありますが、私は今、傘松峰下に建つ不老閣ので、に耳を澄ましております。に風のし、行く方は悠久であると感じます。
は常住でありますから、この中で誰れもが正しい生き方をしなければなりません。自らの行いを整えながら丁寧な生活をしたいものです。「庶民は田を開き鍬をとるまでも何人も身をやすくして世をすごす」「是れを逃れて叢林に入って虚しく時光を過ごす、じて何の用ぞ」と天童如浄禅師さまは、衆僧の坐睡を叱責なされました。在家なおに汗して労働しているのです。出家は一夜のも許されるはずはありません。
馬の話があります。西域に産するこの馬は、一日にく千里を走り、五百里を過ぎると血の汗を流し、風を切って疾走するとわれます。前漢の将軍はの戦に勝利して名馬を手に入れました。血の汗、の汗を流してこその駿馬と言えるでしょう。修行道場における坐禅は元より、寒暑の中での作務も厳しさを伴いますが、これを「いばかりだ」とせずに、の行持と心得て努めれば、次第に精進の喜びが湧くでしょう。廻廊掃除や雪作務に専心する時、妄念は払われ、『流汗悟道』の修証が現成されると信じます。改歳の令辰、皆様の日々が充実しご健勝でありますよう祈念して、年賀の祝詞といたします。