柳緑花紅

カイラース巡礼行

宗教学者 正木 晃
1953年、神奈川県生まれ
筑波大学大学院博士課程修了
国際日本文化センター客員助教授などを経て、現在、慶應義塾大学非常勤講師
専門は宗教学


 去る九月の初旬から下旬にかけて、西チベットのカイラース巡礼に出かけた。カイラースはインド系の言葉による呼称で、チベット語では「カン・リンポチェ(雪の至尊)」あるいは「カン・ティセ(雪の王)」とよばれる。
 この聖山は海抜六六五六M。仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教・ポン教(チベットの固有宗教)にとって、共通の聖山として、古来あがめつづけられてきた。かつてチベット仏教の聖者ミラレパ(一〇四〇〜一一二三)が登頂したという伝承はあるものの、事実か否かはさだかではなく、いまも絶対不可侵の未踏峰として、天空高くそびえている。
 一説には、インド型の世界観で宇宙の中心に位置する須弥山のモデルともいう。また、その南麓にひろがるマロサナワール湖は、仏典にある「無熱悩池」にあたるとされ、極楽浄土のモデルという説もある。たしかにその名に恥じない、壮絶なばかりの美しさである。
 ただし、たどり着くのは容易ではない。まず首都のラサ(海抜三六〇〇M)に入って三日間、高地順化をこころみたのち、西に向かってランドクルーザーを走らせること四日間。標高はしだいに高くなって、四五〇〇Mを超える。ベースキャンプに相当するタルチェンの町はすでに海抜四八〇〇M。空気は平地の約半分しかない。
 ここを起点に、いよいよカイラース巡礼にすすむ。道は現地の言葉で「コルラ(周回路)」といい、聖山を南から時計回りに一周する。その距離は五四km。わたしたちは二泊三日の行程を組み、歩きはじめた。
 最高所はドルマ・ラ(解脱母の峠)とよばれ、海抜五六四二M。この峠をはさんで、五二〇〇M内外のキャンプ地で、それぞれ一泊する。むろん寒気はきびしい。毎夜、雪と霰にみまわれた。
 ドルマ・ラへの道はすこぶる険しく、一歩一歩が文字どおり難行苦行である。一〇〇年ほど前、この地をおとずれた河口慧海は、ヤクというウシ科の動物の背に乗っていたにもかかわらず、「空気が希薄ですからじっとして居っても、心臓の鼓動がいかにも苦しいような感じが生じた。幸いにもヤクに乗って上ったものですから非常な苦しみを受けなかったけれども、もし歩行して上ったのならばとても今日ここまで到達することは出来なかったであろうという感じが生じたです」と書きのこしている(『チベット旅行記』)。
 私たちはあくまで自分の足で歩きとおそうとしたが、五人の参加者中、満行できたのは、私自身を含め、三人のみ。二人は体力の限界を超えてしまい、脱落せざるをえなかった。
 この地では、無理は死に直結する。毎年、かなりの数の死者が出ている。現に一日目に出会った欧米人は高山病の兆候があらわだった。あとで聞くと、死んでしまったらしい。
 それにしても驚くべきはチベット人たちの信仰心である。かれらのなかには五体投地しながら、一五日間をかけて、一周する者すら少なくない。現代の日本人ではとうてい不可能な、悽愴きわまりない行というしかない。
 幸い、そんな方々から話をうかがうことができたので、ご報告したい。まず、カイラス巡礼の目的は、今生の罪を懺悔して、来世もまた人間界に生まれることだという。悟るとかなんとかいう理屈はない。とにもかくにも人間界に生まれることこそ、切なる願いである。しかも、チベットに生まれたいとかれらはいう。現時点におけるチベットの状況は、さまざまな報道でご存じのとおり、けっして好ましいものではない。にもかかわらず、再びチベットに生まれたいとかれらはいう。その誇り高さは、現代の日本人には求めようもなく、うらやましいほどだった。
 そして、もうひとつ、かれらから諭されたことがある。聞けば、かれらは西チベットの遊牧民だという。家畜を飼い、家畜を屠殺して、生きている。これは罪が重い。しかし、ほんとうに罪が重いのは、自分の手で殺さず、だれかに殺してもらった動物を、なんら罪の意識なく食べる者たちだという。この言葉は、じつ重かった。まことに、真に懺悔すべきは、私たちの気まぐれな食欲を満たすために、生命を失う動物たちがいるという厳然たる事実に、気づこうともしない私たち自身なのだ。



(挿絵・長谷川葉月)