お盆特集南 澤道人老師に聞く

誰でもいつかはさまになる

 今年もお盆の時節がめぐってきました。折りしも、三月十一日に発生した東日本大震災で多くの方がたが被災され、また原発問題で日本経済の危機が叫ばれています。
 そうした未曾有の災禍の中で、わたしたちはどんな心構えで生きて行けばよいのか日々、不安にさらされています。今回は札幌市中央寺に大本山永平寺副貫首・南澤道人老師を訪ね、曹洞宗の教えをどう理解し、日常生活にどのように生かしていけばよいのかお伺いしました。


(インタビュアー/石原恵子 地域情報紙「りんかいBreeze」「BRISA」編集長)



南澤道人(みなみさわ・どうにん)
一九二七年長野県生まれ。
駒澤大学専門部仏教科卒業。四九年大本山永平寺僧堂に安居。二〇〇三年まで長野県龍洞院住職。
大本山永平寺監院などを経て〇八年より大本山永平寺副貫首。
札幌中央寺住職。


――先般の東日本大震災では、たくさんの人たちが被災され、これからどのように生きて行ったらいいのか、大変な困難に直面されています。

南澤 もう想像を絶する大変な災害で、被災された皆さまには、心からお見舞い申し上げます。また、たくさんのお亡くなりになられた方がたのご冥福をお祈り申し上げます。

――現地の曹洞宗のお寺が、被災者のために本堂を開放されているようすをテレビで拝見しました。

南澤 被災された方々には、とにかく命が助かっただけでも本当に良かったと思って、これからも命を全うしていただきたいと思います。そのためには心のケアが大切ですから、曹洞宗寺院も一丸となって、被災された方がたを励まし、みんなで助け合っていけるような方向づけができればと思っております。

北の大地の篤い信仰心

――今日の本題に入らせていただきます。今、北海道は爽やかな風が吹き抜ける夏を迎えようとしています。もうしばらくするとお盆です。都会や本州各地で働いている道産子の方がたが一斉にふるさとを目指して帰省されますね。とくに北海道の方は仏教に対する信仰心が篤いと聞いています。

南澤 北海道は明治以後、全国各地から移住した方がたの開拓精神によって発展してきたわけですが、その当時、各教団のお坊さん方もやって来られて、開拓に入られた人たちの精神的な支えとなるべく、一所懸命、教化活動に邁進された。
 そうした伝統がこんにちまで続いているので、内地の一般的なお寺とお檀家との関係よりも、こちらの寺檀関係のほうが密接なような気がいたしますね。信仰心のありかたという面でも、内地の人たちは、先祖、祖父母、親がやってきたことを伝統としてただ受け継いでいるという感じですが、こちらではもっと個々人がお寺や仏教の教えに深く触れるところがあって、おうちでの仏壇へのお参りも、お寺へのお参りも非常に熱心ですから、大変素晴らしいと思っております。
 ただ、今はそれも少しずつ変わってきているようですが。

――今は日本中どこでも、ご先祖さま、両親、あるいは先輩とか、自分を導いてくれた人を敬う気持ちが薄らいできているように思われます。

南澤 本来は誰でも、ご先祖に対する思いや親を大事にする心を持っています。それが今は、テレビやインターネットや携帯電話などに取り囲まれて、みんなが、情報のるつぼの中に入れられてしまったような時代です。そうなると、日常生活でも仕事でも、非常に繁多になり、情報に心が乱されてしまって、ご先祖を思うとか、親に孝行するといった、本来人間が持っている心が表れてこないのではないかと思います。
 内心では皆さんが、もう少し静かに落ち着く時間が欲しいと思っておられるのではないでしょうか。そういう意味では、お盆やお正月にお里帰り、親のふるさとへ帰るということは、非常にいいことだとわたしは思います。その中で、信仰心、あるいは報恩の気持ちというものが自然にわいてくると思います。
 人間は年とともにだんだん人間が成長していきますと、良きにつけ悪しきにつけ、苦しい時にも楽しい時にも、こんにちあるのは親のおかげだという、親に対する思いは自然に強くなると思います。

本来の自己とは

――老師はCD「道元禅師と永平寺」や著書『道元禅を生きる』の中で、道元禅師の「只管打坐」、ただひたすら坐るという教えは、ただじっと坐っていればいいというのではなく、一人一人が「本来の自己」に立ち返って、すべての人たちとともに、平和に生きていくための大きな社会的な働きとなること、それが只管打坐の真の精神だと述べておられます。その「本来の自己」というのを分かりやすく教えていただけますか。

南澤 これはなかなか難しいのですが、自己というと、どうしても今の自分というものを考えますね。しかし、「本来の自己」というのは、いわゆる「おれ」がという自我ではなく、人間として命を持って生まれてきた一個の人間としての自己です。それは万人みんな、その命を頂いて、こんにち存在している自分があるわけです。ですから、「本来の自己」というのは、自我以前の、とにかく命を頂いてきた存在そのものの姿だと思います。
 お釈迦さまは、世の人々が生老病死をはじめとする苦しみを乗り越えるにはどうしたらいいかとお考えになった。そして難行苦行の末に人々を救う方法を見出された。それは、苦しみ悩みの元というのは、我欲であり煩悩といった自我に対する執着だと悟られたわけです。ですから、そういう自我をなくすということが「本来の自己」に返ることであり、それがすなわち只管打坐の実践なのです。
 『般若心経』というお経の冒頭には、「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄…」とあります。その「深般若波羅蜜多を行ずる」ということが、只管打坐です。このとき、観音さまは仏ではなく菩薩であり人間なのですが、生きとし生けるものは只管打坐をするときには深般若波羅蜜多を行ずるということです。そこにおいて人間と仏が一つになるのです。
 それで、『般若心経』では観音さまを「観自在菩薩」と呼んでいるのですが、また一方、『法華経』などでは観音さまのことを「観世音菩薩」とお呼びします。

――ゼオン? 世の音、声ですね。

南澤 世間の人々の苦しみの声を聞いて、そして救いの手を差し伸べる慈悲の仏さまとしての観音さまです。
 道元禅師の『正法眼蔵』弁道話の巻には「自證三昧」ということばが出てきます。自證というのは、お悟りを得た深い喜び、法悦を自分の体とこころ全体で受け止めるということで、それがすなわち只管打坐であり、『般若心経』で観音さまが「観自在菩薩」と呼ばれているのはこの状態を指します。
 一方、自證に対して「他證」ということばがあります。これは、悟りの喜びを自分だけの喜びとはせず、悟りの内容を人びとに伝えていく働き掛けを意味します。この他證の状態にある観音さまを、「観世音菩薩」とお呼びするのです。
 仏道を学ぶ人間にはつねにその両面がある。仏道を修行する人は皆、菩薩と言ってもいいでしょう。そして只管只坐して「本来の自己」に返ったときは、自分自身が本当に落ち着ける喜びの自己になりきることができる。と同時にそこからは、他者にも喜びを与えようという外に向かって働き掛けていく力というものが備わってくると思うのです。
 自分だけのために、お金も名誉も持ちたい、あれもほしいこれもしたいといった、そういう我欲を捨て切ったときに、自分の持っている力を大勢の人たちの幸せのために使いたいという思いがわいてくる。
 仏教者には、つねに、自らが喜びに満たされると同時に、他者をも喜びで満たしたいと願うこころの両方が備わってくる。それこそが「本来の自己」だと思います。ですから、わたしは只管只坐にもその両面があっていいと思っているのです。

宮崎禅師の思い出

――永平寺監院をされていたときには、百六歳で遷化された宮崎禅師と長い間、ご一緒でしたね。そのころの思い出というかエピソードをお話いただけますか。

南澤 そうですね。宮崎禅師は一生独身でもあり、坐禅一筋の非常に厳格なお方のように思われていますが、ある意味においては非常に物分かりのいいお方で、それから茶目っ気もおありでした。

――それはどんなところでしょうか。

南澤 禅師さまが貫首として永平寺に上られたのは九十三歳のときです。それにもかかわらず、禅師さまは早暁、不老閣から坐禅堂へ階段をお下りになって、みんなと一緒に坐禅をすることが非常にお好きでした。わしは永平寺の住職だからとおっしゃって行かれる。まだ車椅子をお使いになる前でした。
 その後、だんだんと足腰が少し弱ってこられまして、お付きの人たちが、禅師さま、明日はもう坐禅堂にお下りになるのはおやめになってくださいと言って、つえを普段の場所から移しておいた。ところが翌朝、禅師さまは、こっそりと自分一人で早く起きて、つえを探して脇に抱えて、音がしないように部屋を出て、忍び足で一人っきりで坐禅堂に下りられたという。(笑)

――周りに対するすごいご配慮というか、とんちですね。テレビで、お供の方が車椅子ごと禅師をお運びになるのを拝見したことがありますが、その前にはそんなできごともあったのですね。

南澤 ええ、その後、少し腰を痛められて、ご静養されたのですが、歩き方も遅くなったから、わしはみんなに迷惑掛けんように、もう、椅子で運んでもらうことにしたとおっしゃって車椅子になったのです。そのころから、わたしどもも、本堂での法要のときも車椅子のままでなされるように環境を整えるようにしました。
 それにしても、ご高齢になられた最後まで、夜などは用を足されるときには一人で行かれた。つえはいつも、ベッドのそばに置かれていたと思います。

――ご立派ですね。

南澤 あのお年まで元気でおられた理由の一つとして、旅行がお好きだったということがあると思います。旅に出ることを、それほど苦になさらずに行かれた。お亡くなりになったのは平成二十年ですが、その少し前にはこの中央寺にもお立ち寄りになりました。昭和五十年から十八年間、貫首に上がられるまでここで住職されましたから。

――禅師さまは百歳を過ぎても、最後まで頭もしっかりされていて明晰だったとお聞きしました。

南澤 ええ。そうです。お話のスピードはゆっくりですが、ご自分の頭の中できちっと整理をされて話される。それをそのまま書きとめると、そのまま原稿になるという。

――素晴らしい方でいらっしゃったのですね。

古仏の心を慕う

――道元禅師七百五十回大遠忌のときには、監院としていろんな行事に采配を振るわれました。そのときスローガンとなったのが「慕古」ということばです。その意味を、もう一度お話いただけますか。

南澤 そう、慕古というのが、七百五十回大遠忌のスローガンでありテーマでした。学者の先生方にもいろいろご提案いただき、そして、最後は宮崎禅師に決めていただきました。慕古というのは「古き心を慕う」と普通には読まれますが、そうでなくて、そこに「仏」という字を入れて、「古仏の心を慕う」ということです。

――古仏というのは?

南澤 古仏というのは、われわれが普通お参りする仏さまというのではなく、禅宗ではとくにお釈迦さまからずっと代々、教えが師から弟子へと直接伝わってきていますから、自分にまで伝わった法を伝えてくださった先輩方がすべて古仏なんです。
 古仏の心を慕うということは仏心を慕うということ、人間として素晴らしい生き方をされたお釈迦さまや古仏のこころを慕い、その人たちの心に返るということで、それが慕古心という意味です。
  『修証義』第二章に、「仏祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は仏祖ならん」とあります。仏祖というのが、すなわち古仏ですよね。お釈迦さまと、その教えをずっと代々伝えて来られたお弟子さま、われわれの大先輩の仏弟子の方がた、それが仏祖であり古仏です。「仏祖の往昔は吾等なり」というのは、その仏祖の方がたも、元はといえばみんなわたしたちと同じだったのだ。だから「吾等が当来は仏祖ならん」で、わたしたちも、やがては仏祖、仏さまになるんだよということです。
 そのためには、仏道を行(ぎょう)じなければなりません。仏道を実践するから仏さまになるのであって、仏道ということに気が付かなければ、仏にはなれない。だから仏教というのは、仏道に気がついて、その道を歩むか歩まないかにかかっているのです。仏教徒であれば誰でも、仏道を歩むのが人間としての本当の生きる道だと、そう理解していただきたいと思います。

――一般の人間は、どう仏道を実践したらいいのでしょうか。

南澤 坊さんには坊さんとしての仏道があり、一般の人は一般の生活の中で仏道を歩む。仏教は、坊さんだけの教えではなく、すべての人の教えですからね。
 宮崎禅師は、一生ひたすら坐禅をなさった方ですが、いつも只管打坐ということは難しいことではないとおっしゃっていました。まず、朝起きたら顔を洗って、お仏壇にお線香を真っすぐ立てて、たとえ一分でも二分でも、しっかり姿勢を正してお参りをする。そこからすべてが始まるんだということを、よくお話しなさいました。
 それこそが、誰にでもできる仏道の実践です。お仏壇がない方は、せめて洗面、歯磨きがすんだ後、東のほうに向かって、あるいはふるさとのほうに向かってでもいいですね、しばし手を合わせるというのもいいでしょう。

――本当に、そういう時間をつくって毎日を始めたいです。

南澤 仏道というのは難しいことではなく、「本来の自己」に返る道を歩むということです。
 『修証義』の最後の第五章には、「過去現在未来の諸仏、共に仏と成る時は必ず釈迦牟尼仏と成るなり」とあります。それは、われわれのご先祖さまもみんな、仏さまと一体になっておられるということです。仏教徒になると、わたしたちはお戒名を頂きますね。それが仏弟子となる儀式です。その時点で誰もが仏の子となるのです。

共に寄り添って、仏道を

――じつは、わたしの知人が先日亡くなり、お葬式に行きました。そうしましたら、お坊さまはいらっしゃらず、黙祷が五分間あっただけで、喪主のお父さまのお話と参列者の焼香で終わりました。位牌はありましたが、俗名でした。その方は五十代で急死されたのですが、その痛ましさに加えて、この葬儀は本当にかわいそうに思いました。
 この間、NHKテレビを見ていましたら、アンケート調査で仏教に対して好感を持っている方は九〇%あるのに、お寺に対しては二五%。お坊さんは一〇%という結果でした。最近一般に、お寺さんとお坊さんに少し距離を置いている人が多いようですが。

南澤 都会と地方とではだいぶ違うと思いますが、不景気で、なるべく葬儀に費用をかけたくないと思っていらっしゃる方は多いでしょう。しかし、わたしは、菩提寺の自分の信頼するお坊さんに葬式を行っていただくのが一番いいと思います。
 というのは、生前受戒して戒名を頂いていなかった方は、葬式で受戒得度の式を行って正式に坊さんと同じ仏弟子となるのです。とくに曹洞宗のお葬式は、すでに仏弟子となった人を供養するということですから、仏僧を供養するのと同じということになります。亡くなった方をお経を上げて救うとかというようなことではなく、すでに仏弟子となった故人を、自分のお師匠さんを供養するのと同じように弔うのです。
 ですから、若いときから自分の宗派とか、自分のお寺というものに意識を高めて、お寺とお檀家がもっと密接になっていなければいけないと思います。
 今は、お坊さんも一般の方と同じような生活をしているわけですから、仏教はこうだとか、いわゆる出家道を高いところから強調しても、人びとの心には響きづらい。商売をしている人もいれば漁師さんもいる。その人その人によって生き方があるのですから、坊さんはもっと一般の生活者に寄り添って、仏道というものを共に見つめていって欲しいと思います。
 その点では北海道は、割合にお坊さんと檀信徒との接触や付き合いが多いです。

――いい風土ですね。

南澤 お檀家のお葬儀、ご法事にしても、あるいはお参りにしても、真摯に向き合っているということは、結局は信頼関係ですね。

――こちらの中央寺は、日曜参禅会や梅花講、書道会などで、一般の方がお寺に来る機会が多く、そこから自然に仏道が学べるのはいいですね。

南澤 女性の方も多いです。でも、今よりもっと気楽に入ってきて下さるようにしたいと思っています。

――東日本で被災された方々も、早く心穏やかな気持ちになっていただければいいですね。

南澤 そうですね。命を永らえることのできた人は、自分だけの命ではない、亡くなった多くの人たちの命も合わせ持って生きているんだという気持ちで頑張っていただきたいと思います。

――今日はありがとうございました。