柳緑花紅

平気で生きていく

(財)東方研究会常務理事 奈良康明
東京大学卒業。カルカッタ大学院留学。
駒沢大学名誉教授。文学博士。
『ブッダの世界』『禅の世界』『ブッダの詩』他。


 五〇歳代半ばの知人の述懐を聞く機会があった。
大学を出てすぐに父親が亡くなり、東京は下町の中堅どころの商店を経営してゆくことになった。一時は社員を四〇名ちかくまで増やしたし、商売上手ではあるのだろう。
 しかし、苦労も絶えない。仕入れに苦労し、売り上げを気にし、金繰りも楽ではない。社員も居ついてくれない。私はこの人と食事を共にしながら、よくこぼし話を聞かされた。どんな人生もそうだが、特に商売をしていると超えるべき困難な山は尽きないものだろう。
 ですからね、と彼は言った。越えるべき山があると、よし、この山を越えたら後は平坦な幸せな人生が開ける、と自分に言い聞かせて努力してきた。その山を越えた。では平坦な道になったかというと、また新たな山が出てくる。現実に越えるべき山はなくならない。さすがにこの年になると実感がある。人生に山は尽きることはない。
 幸せは山の向こうにあると信じてきたのだが、山が尽きないとしたら、自分で「オレは幸せだ」という時は来ないのではないか。しかし、考えてみると、商売は何とか続いているし、子供たちも無事に育っている。この山を越えようと、今、努力できることこそが人生の幸せだと受け止めなかったら、幸福はないのではなかろうか? どう思うかと私に聞いてきた。理屈っぽい男なのである。
 もしお釈迦様がここにいたら、それが正解だと言うだろう、と私は答えた。
 そして正岡子規(一八六七.一九〇二)の言葉を思い出し、この人にも言った。彼は病床で口述した随筆集に書いている。

 余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。

 (『病床六尺』)


 たしかに禅は生死一如の生き方を修行する。死をよみ込んだ生を送るが、しかし平気で死んでいくこととは区別すべきであろう。禅僧は人生を毎日意義あるものとして、大切に生きているのである。平気で命を捨てる禅僧、などというのは剣豪小説の作り話である。
 悲しい時は涙を流し、辛い時には悲鳴を上げる。しかし泣きながら、愚痴を言いながらも、目を前に向け、胸をはって「生きていく」。そうした強い姿勢で生きていくプロセスの中に、悲しみや辛さをのりこえる力が出てくる。それをこそ彼は「平気で生きる」と言ったのである。無感覚で生きるのではない。禅は人生を努力して生きていくことを教える。
 同じことを釈尊も言っている。

 愚かに迷い、心が乱れっぱなしで百年生きるよりは、(無常の真理を知る)智慧をもち、(平気で生きていくことに)心を定めた人の一日の方がすぐれている。怠りなまけて、気力もなく百年生きるよりは、堅固につとめ励んで一日生きるほうがすぐれている。

 (『ダンマパダ』111−112)


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(挿絵・長谷川葉月)