新春対談
曹洞宗と龍神信仰
―その宗教的表裏の世界―


山形県善寶寺住職
五十嵐卓三

昭和6年、山形県鶴岡市生まれ。
駒澤大学大学院修士課程修了。
山形県鶴岡市善寶寺住職。大本山總持寺顧問。曹洞宗教化研修所研修員、京都大学特別研修員。
『瑩山思想の本質―瑩山禅師の垂語参究』『道元思想の本質―道元禅師の垂語参究』などの著書がある。


宗教人類学者
佐々木宏幹

昭和5年、宮城県生まれ。
駒澤大学文学部卒業。
「シャーマニズムの宗教人類学的研究」で筑波大学文学博士。駒澤大学名誉教授。宗教人類学者。国際宗教研究所常務理事。
『人間と宗教のあいだ―宗教人類学覚え書』『憑霊とシャーマン―宗教人類学ノート』『シャーマニズムの世界』『神と仏と日本人―宗教人類学の構想』など著書多数。



 今年の干支は「辰たつ」、すなわち「龍」です。十二支のなかで唯一想像上の動物である「龍」は、東洋だけでなく世界中の神話や伝説に古くから登場します。そしてそれは、日本の仏教寺院とも深い関わりを持っています。本堂の天井などに描かれた圧倒的な迫力でせまる「龍」の姿を観て、思わず畏怖の念を抱いた方も多いのではないでしょうか。
 今回は龍神信仰で有名な山形県善寶寺住職の五十嵐卓三師と宗教人類学者の佐々木宏幹先生に対談していただきました。日本人のこころの奥底にひそむ「龍」への思いと、曹洞宗の教えとの意外な接点とはなにか。興味の尽きないおはなしがつづきました。


(司会・文 石原恵子)


──「龍」は想像上の生き物ですが、その姿には一定の特徴があるのでしょうか。

佐々木 「龍」にはいろんな動物の特色をそのまま集めたというところがあって、頭はラクダ、目は鬼の目、角はシカ、首は蛇。腹はみずちという蛇の一種で、うろこは魚。つめはタカのつめを持ち、足は虎、耳は牛。こういう九種類の異なる動物が集まったものが龍で、実在はしませんが、現実にない力を備えている神的な存在として観念化して描かれることが多いですね。

──そうした「龍」と仏教とはどんな関係があるのでしょうか。

佐々木 龍信仰の起源はインドの「ナーガ信仰」だという説があります。ナーガというのは「蛇」、つまりコブラです。「コブラ・ゴッド」とか「コブラ・ディエティーズ」といわれるコブラ信仰はインド半島に生きる人々、ドラヴィダ人でもアーリア人でも、ほとんどの人が持っています。
 インドでは雨期と乾期とがはっきりしていて、乾期が長くつづくと農民は困ってしまう。だからインド人は古代から「水の神」を拝んでいたと思われますが、その水の神と蛇のイメージが重なったのでしょう。蛇は砂漠にも何種類かいますが、ほとんど湿地か川に近いところに住み、水と関係があるんです。
 日本でも明治になるまでは国民の八割が農家でしたから、やはり水が重要だった。田んぼにはもちろん水が不可欠ですが、それからお産をするにしろ、料理をするにしろ、現実の生活にはまず水がなければどうにもならない。

──インドでも日本でも「水」を神聖視する思いがあって、それがやがて「龍」に対する信仰に発展していったのですね。

佐々木 法華経の序品に、「八大龍王」というのが出てきます。法華経というのは、大乗仏教ではもっとも権威ある教典とされていて、民衆にも親しまれ、日本仏教の教理上の原点としてほとんどの宗派で読誦されているお経です。そのお経の冒頭に「龍」が出てくることは、日本人の「龍」に対する観念を形成する上で大きな影響があったと思います。
 具象的なイメージとしては、インドではインダス川やガンジス川それ自体が「龍」に例えられていたのですが、中国では後漢の時代に、さきほど言った怪物のような「龍」のイメージがつくられ、それが日本にも伝わったとされています。

権威の象徴としての「龍」

──中国、日本では「龍」に対して、水の神という以上のなにか象徴的な意味が付与されてきたように思われますが。

佐々木 そうですね。そのひとつに、「竜門」というのがあります。それは黄河の上流にあるという説と、海の中にあるという説とがあるのですが、河のほうではその竜門を飛び越えた魚は「龍」になるといわれます。だから中国ではかつて、高い位の役人になるにはいろいろ難しい試験があったのですが、それを登竜門と呼んだ。「龍」がいかに偉大な存在かということを物語るわけです。
 それから、竜門が海の中にあるという伝承としては、浦島太郎がいじめられていた亀を放してやったら、海の底の竜宮城に案内されたという物語がそうでしょう。海の中の乙姫というのは仏教流に言えば観音様であるかもしれない。乙姫は一切の魚類を治めている王様なんです。
 わたしが「龍」に着目したのは、もうずいぶん前ですが沖縄調査をしていたときです。沖縄がアメリカから返還されたとき、なにかモニュメントをということで、かつて琉球王朝の城があった首里の丘に正殿が再建されたんですね。そのときに気がついたのですが、屋根飾り、入り口の両側に立っている像、欄間に彫られている飾り、それらがすべて「龍」だったのです。
 しかも、王様が座っていたところを龍座といいますが、琉球王が座っていた座席は、お坊さんがたがお座りになる曲彖なんです。曲彖の多くは朱塗りで、太陽と龍をかたどった彫刻がよく見られます。そこに非常に興味を持ちました。
 話は少し飛びますが、現今、お坊さんがたの履歴と写真を収録した本が出版されていますが、そうした本を竜象と呼びます。お坊さんは竜と同じに見られていたということです。そしてそれは同時に天皇の象徴でもあった。今からほんの六十年ほど前、昭和天皇の時代までは、「咫尺の間に竜顔を拝し」といった表現をしていた。つまり、天皇の顔は竜の顔であり、それをまじかに拝し畏れ多くて仕方がなかったと。だからかつては、お坊さんの地位と王様の地位というのはそう差がなかったのではないかということを、ぼくは本に書いたことがあります。(『神と仏と日本人』吉川弘文館)
 「龍」というのは、そのように権力や権威の構造とも結びついて伝承されてきた力ある神聖な動物なんです。

龍神信仰の生きる寺

──五十嵐さんがご住職をされている善寶寺は龍神信仰で有名です。海の守護神として、漁業・海運関係者の厚い信仰が寄せられているとお聞きしますが。

五十嵐 善寶寺の起源については、古くは『今昔物語』とか『三宝絵詞』、それから法華経の持経者の伝記などに出てきます。それによると、平安時代の天歴九年(九五五年)頃に、妙達上人という高僧がこの地に草庵を結んでいたところ、ある時、龍が現れ、『法華経』の功徳を受けたいと願った。そしてその龍は妙達上人の法華経の読誦を聞き、願いが叶い、山の麓にある「貝喰み池」に身を隠し龍神様になられたといいます。

佐々木 キリスト教でもイスラム教でも仏教でも、有名な教会や寺といった宗教施設には、必ず縁起があります。善寶寺の龍神縁起の重要なところは、仏教の修行者に龍が帰依信仰し、あなたの弟子になってこの寺を守りますと誓う点です。そして貝喰み池という、そのあたり一体の水源地のような場所に鎮まったということだろうと思います。

──それが、いつ頃から一般庶民の信仰を集めるようになったのでしょうか。

五十嵐 最初は自然発生的にひろまったと思いますが、社会的には北前船から日本水産の航路を通じてですね。明治四十四年に龍澤山善寶寺龍王講社が政府に講としての設立許可を求め、龍王講が正式に社会的に認知されたのです。その後、昭和三十五年に本堂、信徒会館ができ、諸堂も修復しました。

──数年前に貝喰み池に人の顔のような人面魚がいるというのがニュースになったこともありますね。この夏の豪雨でその貝喰み池の水が溢れたとお聞きしましたが。

五十嵐 はい。池から流れる川はありませんので、ここのお水は地下水になって近隣の田畑に行くのです。有名なところでは下川という地域にお堂があり、龍神様の講も盛んです。年の暮れにはそこに集まっておこもりをします。

佐々木 貝喰み池の水が地下水になって農地を潤すということが重要です。善寶寺の龍神様は農地の水源の神格化でもあったのでしょう。

──二月のお水取りの儀式には、全国のお講の方と信者さんが来られるのですね。貝喰み池のお水をひしゃくですくい、大きな赤い樽に入れて、白装束の方たちがそれを本堂まで運んで、皆さんで拝むということですが。

五十嵐 はい、それから新年の大祈願祭にも全国の多くの方がいらっしゃいます。一月一日の零時を期して大祈祷に入るのですが、それが善寶寺の一年のご祈祷の始まりです。

──毎日、六回もご祈祷の時間があるそうですが、どんなお経を読まれるのでしょうか。

五十嵐 朝一番、五時の祈祷で最初にお読みするのが龍王経です。何々龍王、何々龍王と、数限りない龍王様のお名前を読むのです。それから最後に請雨経ですね。

──それらは善寶寺さんだけのお経ですか。

五十嵐 そうです。中国から伝来したものですが、そのお経には陀羅尼も入っています。

藤沢周平の『龍を見た男』

──善寶寺は藤沢周平氏の小説『龍を見た男』によって、一層知られるようになりましたね。

五十嵐 はい。藤沢氏は当時直木賞を受賞されて、鶴岡にお住まいになっていました。わたしがお願いにお伺いして、『善宝寺物語』を書いていただいたこともあります。その生原稿は今でも寺に残されています。その後書かれた『龍を見た男』の初版本は善寶寺にもあって大変高価になっていたのですが、それは地元の「藤沢周平記念館」に寄付させていただきました。

──『龍を見た男』は漁師さんが荒海の中で、龍を感じて命を救われるというお話ですね。

佐々木 北前船だって、今の船と違って非常に危険極まりない業務にたずさわっていた。

五十嵐 おっしゃるとおりです。

佐々木 そうすると、やっぱり龍神様の庇護を仰ぐという信仰が当然出てくるわけですよね。

──一般の人にとっては、お寺で修行している僧侶の方に手を合わせて拝むと同時に、海に出た家人が無事に帰ってきますようにと、すがるような思いで龍神様に手を合わせる。そうした御利益信仰も一緒になっているわけですね。

佐々木 おっしゃるとおり、善寶寺には二つの顔があって、ひとつは曹洞宗の修行道場としての顔、もう一つは民衆に救いの手を差し伸べている寺だということです。そこで大事なのは、坐禅をしたお坊さんの威神力によって龍神が仏教に帰依したという点です。それによって禅と龍神信仰という民衆信仰が結びついた。龍神講が盛んになったのも、民衆のニーズがあったからです。
 インドでも、コブラ信仰のなかには、コブラが天に行って雨を降らすというのと、それから土の中に潜って土を支配するというのと、二つの解釈が重なっています。それは善寶寺さんの龍神信仰とも結びつきますね。水がなかったら、農業ができない。農業ができなかったら、国が駄目になる。それを宗教的なレベルで意味を深め、信仰化していったのが龍神信仰でしょう。宗教にはつねに神秘的な要素がいっぱい付き纏っているんです。
 善寶寺さんは有名な僧堂の一つですが、僧堂ではどうしても教理的な裏付けのもとにお坊さんたちを育てていきますが、民衆は今すぐ自分たちの救いになるようなもの、助けてくださるものを求めるんです。善寶寺は日本の禅宗の三大祈祷寺院のひとつです。そういうところをわれわれは日本仏教の特質として、こういう信仰形態もあるのだということを強く主張するべきです。

高い教えを支える庶民信仰

──三大祈祷寺院というのは?

佐々木 善寶寺の龍神信仰に対して、山の神様である天狗さんを祀っているのが小田原の奥にある大雄山最乗寺です。曹洞宗は、海と水に関係がある龍神と、山や大地と関係がある天狗とその両方の要素を内に抱え込んで庶民と結び合っているのです。坐禅をしないといけませんとか、それから難しい教理を説いても、一般の農民や商人は関心を持ちません。だからそこが大事なところです。どういうことかというと、仏教以前からあった山を拝む信仰、水を拝む信仰、海を拝む信仰といったものをベースにして、仏教の持つ高い宗教性と結託したところから仏教は民衆化していくわけです。高い教理を掲げる仏教を庶民信仰が下支えしているわけです。 
 その事例はいろいろなところにあるわけで、曹洞宗では善寶寺の龍神信仰、大雄山の天狗さん信仰、豊川のお稲荷さん信仰の三つがとくに庶民の厚い信仰をあつめているわけですが、水がなければ雨を降らせてください、海が荒れたら海を鎮ませてくださいと、直接に御利益や救いを求める信仰が日本仏教のベースにはあるのです。
 それから、柳田國男氏が明らかにしたように、日本人には死んだ人は山の奥に行くという信仰がある。だから今でもお盆のときには、山のほうから仏さん、ご先祖さんがやって来るというので、その乗り物としてキュウリやナスを用意するでしょう。

──はい、毎年お盆に作ります。

佐々木 そうした日本人の素朴な信仰と仏教の高度な教えとが結びついて、今のお葬式の儀礼などもできてきたわけです。それから、人々が何か困難に直面して、今すぐ助けてください、救ってくださいというとき、「念彼観音力」と観音経を読誦すれば、直ちに救われると書いてあるわけですが、その一環としての龍神信仰もある。法華経の一番最初に龍神さんが出てくるということがその根拠になっているのです。
 仏教にはお悟りというものがあり、それから祈りというものがある。その祈りというのは、困っている人々が願いをかなえてもらうための祈りなんです。それにはお悟りを開いて、この世を超えてしまった存在が必要で、それがわれわれにとってはお釈迦様であり、また、聖なる力を備えた人々です。その聖なる力を備えた人々に、民衆が以前から力があるとして拝んできた天狗様とか龍神様が帰依したわけですから、庶民から見れば、そこには二重の力が働いているわけです。お悟りの力と、それから具体的な苦難を救う力というものが表裏を成しながら、日本仏教をはぐくんできたのだと思います。

五十嵐 一体となってではなく、表裏を成しながらというのはすばらしい表現ですね。ありがとうございます。

──昨年の東日本大震災に遭われた被災者の方がたは今、必死の思いで復興に取りくんでおられます。早くそれが叶えられたらと思います。

五十嵐 震災後、わたしは青森の八戸から岩手、宮城、福島、茨城と、善寶寺の信者さんがおられる港町漁港にごあいさつに伺いました。被災地の現状を目の当たりにすると言葉が出ませんでした。岩手県の山田町で善寶寺の大漁旗を見たときには、思わず涙がでました。誰かがさしてくれたのですね。とにかく人々の苦しみを和らげるのが善寶寺の役割です。皆さんのご多幸を祈り、わたしは今わたしのできることを真剣に勤めさせていただく、それしかございません。それが新年にあたってのわたしの願いです。

佐々木 津波によって甚大な死者、災害が発生したわけですが、今こそ海や水とつながった龍神信仰と仏教への理解を深めるときだと思います。

──本日はありがとうございました。