親子二代のオリンピック馬術日本代表

おうまのおっしゃん

長野県・明松寺
佐藤正道師・佐藤賢希師

 法話をされる佐藤正道師


 現役選手だったころの佐藤正道住職の雄姿

 天空に日本アルプスの山嶺が連なる風光明美な山里に馬の嘶いななきが響くお寺、明松寺がある。
 長野駅から車で三十分の上水内郡小川村。その村落からさらに山奥に車で十分ほど登ると、百七十年前に建てられた明松寺の本堂、庫裡が姿を現す。そのまわりには、広大な馬術競技馬場、練習馬場が広がり、山の斜面には十頭近い美しい馬が放され、四十五頭の馬が暮らしている厩舎に近い馬場では、練習に励む選手の姿もある。
 「明松寺馬事公苑」と呼ばれるこの施設は四百年の歴史を持つ明松寺の現住職・佐藤正道師(60)が精魂を傾けて築き上げた馬場である。馬術は人と馬の共生から成り立つという信念から一念発起、檀家さんに借りたブルドーザーで自ら山を削り、地面をならし、何年もかけて広い馬事公苑を実現させた。
 広大な競技用馬場、練習用馬場に加えて、どんな天候でも練習できる屋根のついた覆馬場、クロスカントリー用のコース、研修用の建物「耕雲閣」などの施設も造った。今ではオリンピックを目指すナショナルチームの選手たちのために坐禅を取り入れた合宿を行なったり、年二回の競技大会も主催。先ごろその勝者には「桂宮杯」のトロフィーが贈られることになった。今や、日本を代表する馬事公苑の一つである。

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 取材に訪れたこの日、馬場で練習する騎手に、大きな声で檄げきを飛ばし、厳しく指導にあたっている佐藤師の姿があった。七百件余の檀家を抱える住職として多忙なスケジュールのなか、広い敷地をきびきびと駆け回るように動いている。
 佐藤住職はかつて、一九八〇年のモスクワオリンピックに向け、馬術日本代表選手(候補)として訓練に励んでいた。しかし、折りしもロシアのアフガニスタン侵攻に抗議して日本は出場をボイコット。佐藤師のオリンピック出場はならなかった。しかし、国内の馬術競技の主な大会で数々の優勝を果たし、今は馬術指導の第一人者として、後輩の育成に心血を注いでいる。
 佐藤住職に馬術を始めたきっかけを聞くと、この地方の昔の様子から話してくれた。
 「私が子どもの頃、この地方のお寺には、必ずと言っていいほど馬が一頭居て、馬に乗って法事などに出かけるのは当たり前でした。子どもだった私も、師匠であるわたしの父と馬でいっしょに檀家に行くこともたびたびでした。和尚さんのことをこの地方では親しみをこめて『おっしゃん』と呼び、齢を重ねると敬意をこめて『ごっしゃん』といいますが、わたしは『おうまのおっしゃん』と呼ばれています。子どもだった当時から、遊びといえば馬でしたから、馬術に志したのは自然なことです」
 アジアで開催された初めての五輪、昭和三十九年の東京オリンピックでは、長野県の軽井沢が馬術競技の会場になった。まだ少年だったが、世界の頂点を競う馬術競技の華麗さに息をのんだ佐藤師は、いつしか自らも馬術の粋すいを極めてみたいという夢を抱くようになる。
 駒澤大学に入学したが、学生運動がまだ激しい頃で、授業は休講となることが多かった。大学の近くにある東京馬事公苑でアルバイトをしたことから、当時の日本馬術界の第一人者・印南清さんから二年間、乗馬の徹底した基本指導を受けるという幸運に恵まれた。
 大本山永平寺での修行から下山してからはますます馬術の修行に熱が入り、昭和五十三年、秋季国体では成年馬術競技二種目で優勝、長野県の天皇杯獲得に貢献した。

 耕雲閣からの競技馬場と本堂・明松寺

 佐藤住職の馬術に対する果てしない夢と情熱は今、師の子どもたちに脈々と受け継がれている。先ごろ閉幕したロンドンオリンピック・総合馬術に出場した長男で副住職の佐藤賢希さん(28)は、なみいる世界の強豪に伍して大健闘した。七月二十八日から始まった競技では当初一五位という入賞が望める好発進。しかし、四日目、下り斜面で落下して無念の失格。臍を噛んだ。しかし、「僧侶ライダー」として海外でも人気の賢希さん、「オリンピックに出る僧侶はほかに知らない。機会があればまた挑戦したい」と決意を語っていた。
 また、二〇〇八年の北京オリンピックに日本代表として出場した二男の佐藤英賢さんは、現在ベルギーで騎手としての仕事に従事、妹の泰さんも数々の大会に優勝し、女性騎手として篤い期待が寄せられている。
 全国の優秀な選手を育成指導してきた佐藤住職だが、子どもたちにはどのような教育をされたのか尋ねた。
 「何も言いません。私の父は、軍隊でも騎乗した人で、厳しい人でしたが、私のすることには何も言いませんでした。私も子どもには何も言いません。子どもたちも、日頃坐禅に慣れ親しんでいるせいか、馬術の大きな大会でも構えがくずれないし、ひるむこともないようです。息を調え、心を調えることを馬術の基本にしてくれていると思います」
 佐藤住職の師である故佐藤一正師は永平寺発行の月刊誌『傘松』に作品が連載されたほどの漢詩の達人で、千数百の優れた秀作を遺された。賢希さんたちの国内外での馬術競技での優勝を耳にすると、そのたびに寿ぎの気持ちを漢詩に託されたという。賢希さんは先のロンドンオリンピックに勇躍出立する際、法衣姿で騎乗する祖父・佐藤一正師の遺影を携えてロンドンへと向かった。それはテレビでも報道され話題になったという。

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 馬術は人馬が一体となって挑む競技だが、その根底にあるのは「愛馬精神」であり、そのこころこそが馬術のスピリット。そして同時に、馬には人を癒し元気にするものがある。馬によって人間が形成されると言う佐藤住職は、障害を持つ子どもたちや、心に傷を負った少年少女たちが馬に親しむ機会をできるだけ多く作ろうと努力している。また、3・11大震災で被災した東北の子どもたちを馬場に招く企画も進んでいるという。
 「馬術の魅力とその奥深さを知るのは容易ではありません。でも、たくさんの縁や運をいただき、私たちはここまで歩んで来ることができました。お寺の社会活動のひとつとしても、子どもたちにひと時でも馬と触れあい、お寺に触れてもらえれば嬉しい限りです」 「おうまのおっしゃん」佐藤住職は、軽やかにその抱負を語っていた。

    (文・石原恵子)


 佐藤賢希師 アジア大会優勝写真