巻頭言
人々の願いや祈りを通して根付く信仰

 哲学者・立教大学教授 内山 節


 私が暮らす群馬県の山村、上野村には、いまでもいろいろな信仰が根付いている。山の神信仰や水神信仰は日々の暮らしのなかにあるし、多くの集落は阿弥陀堂や観音堂をもっている。念仏講もまだ健在で、山のなかには500体を超える石仏が安置されている。村にある寺は曹洞宗がほとんどで天台宗の寺も存在するけれど、宗派を超えた村の信仰がこの村には展開している。

 山岳信仰=修験道もさかんだった。私の集落は以前は御嶽修験道の行者が多く、集落にある修験道のお堂は神仏習合の祈りの場だった。明治の神仏分離令でここは神社にされたが、そのことが集落の長老たちの気にかかっていたらしく、20年ほど前に寄り合いでの長老たちの発議で、神社本庁から脱退することが満場一致で決定された。最終的にはそれは認められ、いまでは昔の神仏習合のお堂に戻っている。山を神とし、山に向かって般若心経を読む姿が違和感なく存在する。

 こんな信仰を宗教と呼ぶのはふさわしくない。宗教といってしまえば、キリスト教もイスラム教も日本の仏教もすべて同じ宗教なのだけれど、日本の信仰は風土のなかで、人々の願いや祈りとともに、いわば人々の共有された諒解として存在してきたものである。人々が帰依しているものは、体系的な教義でもないし、教団組織でもない。人としての諒解なのである。いわばそれは自然への諒解や死者への諒解、風土への諒解のなかに展開しているのであって、いわゆる宗教とは異なる。

 5.6年前、近所のご老人が亡くなった。告別式では司会者がこの家は神道であり、葬儀は神道で司つかさどると告げられた。私は新参者だから、各家の信仰のことまでは知らない。そうだったのかと思っていると、当然のような雰囲気で僧侶が入場してきて、お経を上げはじめた。しばらくして「お焼香」がはじまり、読経が流れるなかで参会者は霊前に榊を捧げ、柏手で死者を弔った。私はこのやり方にびっくりしていたけれど、参会した人たちは誰もが違和感をもってはいないようだった。

 村には村の方式があるのだろう。村人の諒解できる方式が。それもまた共有された諒解であり、風土のなかで諒解された死者送りの方式である。
 私は東京の住宅地で生まれ、育った。土地の信仰のない場所で育ったといってもよい。ところが上野村が気に入り、この村で暮らすことが多くなると、まるで村という場に吸い込まれていくように、村の信仰を大事にするようになっていった。場の諒解の世界に吸い込まれていった。そしてそれが、私の諒解でもあった。いつの間にか私も、祈りをとおして獲得されていく村の信仰のなかにいた。



(挿絵/長谷川葉月)