心のまっすぐ探し

親子で学ぼう ―永平寺雲水体験―
平成24年7月27日〜29日


 永平寺内を歩くときは常に叉手。子どもたちは輪袈裟の代わりに仏様の智慧袋を下げる

 永平寺に向かうバスの中で、偶然、雲水体験に参加する親子に出会った。お父さんのほうは徳島に自坊を持つ本職つまり僧侶らしく、しかし話を聞いてみると、連れの子どもさんにはお寺を継ぐとか継がないという話はまったくしていない、という。「ただ経験としてそういうものもあるって知っていてもいいかな、と思うんですよ」と、ニコニコした顔で話してくれた。「内容、けっこう厳しそうだけど平気そう?」と子どもさんのほうにもインタビュー。「大丈夫、でもわかんない」、息子さんは、はにかむように答えてくれる。
 さて、しかし実際に三日間のプログラムが始まってみると、予想していたごく普通の体験ツアーとは、まるで内容が違った。内容というより、そもそも世界が違うのだ。今年のテーマは「伝える」。親から子へ、子どもから親へ「自分の心」を伝えてみませんか、というものなのだが、さらに言うなら「心のまっすぐクエスト(探求)」と喩えてしまってもいいのではないか。永平寺と雲水さんたちが参加者に体験させてくれる「伝えるなにか」とは、とんでもなく強烈な「揺さぶり」を通してのものなのだ。
 初日は今後の日程説明と、肩慣らしのような坐禅があって、これはいわばイントロ。本番は、早朝三時起床、夜九時就寝という二日目。時間的には短縮してあっても、様式・作法は雲水の修行そのままという本格的な坐禅に始まり、荘厳な永平寺の朝のお勤め、まだ薄明の中で大勢の修行僧たちによってなされる読経の響きは、一気に参加者親子を十三世紀当時から続く、揺らがない不動の歴史的時間の中に引きずりこむ。

 永平寺でいただく精進料理。内容は意外と豪華?

 その後、朝ご飯をいただいてから、山門前から続く長い廊下と階段を一生懸命、掃除する。一気に静から動へ! 子どもたちは歓声をあげつつ競うように雑巾がけ。親御さんも楽しそうに動く、動く。プログラムは忙しく続き、楽しい催し物が合間合間に挟まっているのだけれども、無心になって向かう写経・写仏のあとに愛宕山に登ったり、上へ下へ、静から動へ、修行から娯楽へ、なかなか激しく揺さぶられる。 この目が回りそうな雲水体験の中には、子どもたち同士、子どもと大人、さらには付き添いの雲水さんたちと、自然に助けあい仲良くなってしまう仕組みが実にうまく組みこまれているのだけれども、実はそういうこととは別に、もうひとつ別の(あるいは本質的には同じ)テーマが隠されているのではないか、と取材を通じて感じてしまった。
 初日から何度も挟まる、坐禅。説明してもらったやり方は、最初に左右に体を揺すって、それから真ん中を探る。まっすぐの位置を探して坐って、体と心をまっすぐにする。だからもう本当にこれは「まっすぐ探し」なのだ! 動いて、静かに坐って、いろいろな意味で揺さぶられて、「心のまっすぐ」をクエストする。
 最初、私は子どもたちに、言葉でいろいろ感想を聞き出そうとしてしまった。しかし彼らはわりあいに恥ずかしがり屋だし、今どきの子どもらしくクールだったりで、なかなか本音は出てこない。でもそれでもOK、と気づかされてしまう。言葉ではないもののほうが、結局はわかりやすい。「伝える」というテーマ、つまりそう、「来年もまた来たいと思った?」と問いかけられた子どもたちの、「うーん、わかんない」と言うときの無邪気な笑顔が、もう本当にこの雲水体験そのものを表している。最初に出会ったお寺の息子さんも、最後にも同じ答え。だけど表情は他の子たちみんなと同じ。そういう以心伝心、不立文字的な感覚が、永平寺にはたっぷりと満ちているのだ。

  (取材・門馬慶直)

 普段入ることのできない坐禅堂。灯りが消され御簾で閉ざされると、本格的な禅空間に変貌する

 幻想的な誓いの灯火が、大人・子ども・雲水さんたち、すべての心をひとつに繋げる