寺は日本人が必要としている
祈りの場であり願いの場であり
交流の場である

哲学者・立教大学教授
内山 節
TAKASHI UCHIYAMA


(挿絵/長谷川葉月)

 日本を訪れた外国の人々は、しばらくすると日本人の信仰心の厚さに感心することが多い。どこを歩いていてもお寺や神社がある。正月ともなれば境内はきれいに掃除されていて、名もない神社でも初詣の人が手を合わせている。そんな光景をみていると、外国からきた人たちは、日本人の信仰心の厚さと、静けさのなかにある文化を大事にしている豊かさに感動したりする。
 ところがさらに滞在が長くなり、日本語が話せるようになってくると、彼らは混乱してくる。たいていの人は、自分は特に信仰などもっていないと言う。寺にも神社にも教会にも顔を出す。信仰厚い日本人と、無信仰の日本人。そのどちらが本当の姿なのか。
 その謎を解くには、信仰とか宗教という言葉の意味から問わなければならないだろう。というのは、もともとの日本語には、信仰という言葉も宗教という言葉もなかった。それらはどちらも明治になって翻訳するためにつくられた言葉である。だから外国の信仰や宗教と日本のそれでは意味が違う。
 もともとの「信仰」は、日本では、それぞれの神仏とのつながりのなかにあった。地蔵信仰では地蔵様とのつながりのなかに生きていることを、あるいは死後の地蔵様とのつながりを祈った。それは観音信仰でも阿弥陀信仰でも同じことで、さらには山の神信仰や水神信仰でも同様だった。観音様や阿弥陀様とのつながり、山の神や水神とのつながりのなかに人の「生」があり「死」があることを感じていたのである。そして、ゆえにさまざまな神仏を同時に信仰することができた。それぞれの土地には土地神様がいて、土地神様がつながりのなかで自分たちは守られている。ご先祖様も神様だから、ご先祖様とのつながりのなかでいま自分たちは生きている。日本の「信仰」は、そういう多神仏とのつながりとともにある。
 だから日本の人々の多神仏信仰は、明治になって生まれてくる国家神道の多神とは違う。国家神道は皇室の祖先とされる神話の神々への信仰だから、たとえば天照大神も、人々の日常のつながりのなかには存在していないのである。
 神仏とのつながりを大事にし、そのつながりの無事を願うのが日本の「信仰」だ。そして、人々はその願いや祈りの場をつくった。山の神や水神が祀られている場、地蔵菩薩や観音菩薩が祀られている場。さらにその集約された場として寺があった。「生」と「死」のつながりのなかに寺があり、だから寺は共有された祈りの場、願いの場でもあり、同時に地域のつながりがつくりだす「コミュニティ」の場でもあったのである。
 最近ではさまざまなところから、仏教の復権をどうしたらよいのかが語られている。だが私は、課題は仏教の復権ではないと思っている。それはさまざまな「信仰」が宗教として概念化された明治以降の発想だ。今日の課題は仏教の復権ではなく、寺の復権なのである。願いや祈りの場としての寺、コミュニティの場としての寺、日本の人たちが必要としているのは、そういう寺の存在である。とともに、そういう寺の存在によって定着したのが、日本の仏教であった。