教育と虐待

教育が競争に勝つための手段とする時、自殺や虐待の原因となる

神戸大学名誉教授
広木克行

1945年樺太生まれ。
東京都立大学卒業、東京大学大学院博士課程満期退学、長崎総合科学大学教授、神戸大学大学院教授、大阪千代田短期大学学長を経て現在、神戸大学名誉教授。
専門は、臨床教育学、教育制度論。
主な著書は『子どもが教えてくれたこと』『人が育つ条件』『子どもは「育ち直し」の名人』など。


(挿絵/長谷川葉月)

 周囲の人たちとの会話の中で、教育という言葉を聞かない日はほとんどありません。それは現代に生きる私たちが教育に対していかに深い関心を持っているかを示しています。しかし一方で子どもの受難を伝える報道がない日もあまりありません。主に学校を舞台としたいじめや体罰だけでなく、家庭を舞台にした虐待も連日報道され、それらに関係した子どもの自殺や殺害さえも珍しくない時代です。教育への関心の高まりと、その主な対象である子どもの悲劇とは、一体どのような関係になっているのでしょうか。
 教育相談という専門の立場から、多くの人たちが抱く教育という言葉のイメージが、その本来の意味から急速に遠ざかりつつあることがわかります。 
 子どもの虐待問題を多く手がけてきた弁護士の坪井節子さんは、「教育虐待」という強い表現で、教育という営みの一部が虐待に化している現実を告発しています。つまり多くの人たちが、わが子をより高い偏差値の高校や大学に入れることを子育てや教育の目的と捉え、「子どものため」になると考えるようになっているのです。そのために結果として数字で現される偏差値や順位へのこだわりから、その過程である教育のあり方があまり問われなくなったということです。勝利という結果を重視するあまり、スポーツや部活動の指導で体罰が見過ごされ、公然と許されてきたことと同質の問題です。
 たとえば裕福な家庭に育ったある女子高生は、小さい頃から母親にナイフを突きつけられて勉強させられてきました。中学生になって口答えをするようになると、母親は手を挙げ、掃除機でたたき、ものを放り投げて従わせようとしたというケースです。受験学力の本質は記憶力と記号操作力だといわれていますが、そうした一部の能力の向上による好ましい結果を求めるあまり、一人ひとりの子どものユニークな人格形成が無視され傷つけられている例です。
 この点について国連の子どもの権利委員会は、日本の「高度に競争主義的な学校環境が、子どもの間のいじめ、精神的障害、不登校、中退および自殺の原因となることを懸念」し、日本政府に「過度に競争主義的な環境が生み出す否定的結果を避けることを目的として、大学を含む学校システム全体を見直すことを勧告する」という所見を公表しています。
 とりわけ深刻な最近の問題は、小学校への英語教育の導入と入試における英語重視の表明です。その実施に当って予想される問題点や条件整備の検討も不十分なまま導入されるために、「早いことは良いことだ」という価値観にも押されて、乳幼児に対する超早期の英語教育が爆発的に流行り始めているのです。乳幼児期における自我の形成という発達上の特質を無視して、きれいな発音で、英語で話ができるという結果を追い求めた結果、成績優秀な小学生の一部にアイデンティティーの拡散による情緒障害が疑われる事例が現れており、私のところにもそれに類する相談のケースが現れ始めています。もしも相談も対処もせずにそれを放置すれば、精神の病にも至りかねない深刻な問題です。
 教育を人格形成の方法として重視するのでなく、競争に勝つための手段とするとき、学校においても家庭においても、教育の名による虐待が実際に起こり得るということです。