夏お盆特集 丸山劫外師に聞く
尼僧として生きる ――
道元禅師に求めた人生の意味とお盆の供養について
人生の極意
丸山劫外(まるやま・こうがい)
曹洞宗総合研究センター特別研究員
埼玉県所沢にある曹洞宗の武野山吉祥院は、明治維新まで飯能の領主だった黒田藩と縁の深い寺である。
宝暦八年(一七五八年)、二代目藩主・黒田直純公より四万二千坪の土地を拝領、能仁寺の十五世・天順廣亮大和尚を開山として、暾霊梅園大和尚が開創された。
その由緒ある吉祥院に、昨年六月、丸山劫外師は二十九代目住職として入寺された。
曹洞宗総合研究センターの研究員として『中国禅僧祖師伝』を著し、『別冊太陽』の道元禅師特集号では「道元の詩歌」を担当された師は本誌『修証義』の解説を執筆中。
早稲田大学学生時代は、シナリオライターをめざし、映画研究会と馬術部に在籍。映画『禅
ZEN』の監督・高橋伴明さんや、女優の吉永小百合さんもグループだったそうだ。
師が駒澤大学の大学院に入られたのは、ご本師の余語翠巌老師がご遷化後の五十歳になってからとのこと。
様々な経験に培われた包容力と、その温かなお人柄にうたれて、仏教をわかりやすく身近なものとしてお話を伺わせていただいた。
インタビュアー
葉山眞理(はやま・まり)
作詞家・放送作家・味蕾の会主宰
吉祥院
二十五歳で発心し、三十五歳で出家
――気がつけば一寺院の住職になっていたとおっしゃいますが、何故、ご住職になろうと思われたのですか?
今まで忙しく生きてきましたので、六十五歳になり、少しペースを落として研究に専念したいと思っていました。しかし、この住職のお話をいただいたので、もう少し修行させていただこうと思いました。住職というお役は、お寺と檀家さんへの奉仕者で、大変な仕事です。吉祥院は、開創・宝暦八年(一七五八)という古いお寺で、代々、男僧が住職の寺でして、尼僧が住職になるのは、初めてなのです。さらに大変かもしれませんが、これもご縁と思い、もう一頑張りさせていただこうと思いました。
――シナリオライターとして仮面ライダー「サボテン怪人」など、ご自身の作品も世に問われたのに、何故、出家されようと思ったのですか?
二十代の頃、『旅の重さ』という映画を見て、主人公の少女が四国遍路の旅をする映画なんですが、その映画に触発されてといいますか、自分も四国遍路に出てみたのです。その旅で出会った曹洞宗のお坊さんから「出家しませんか?」とすすめられたことも、きっかけの一つになっているかもしれません。でも出家の一番のきっかけは、私がその後ご縁をいただくこととなる故・内山興正老師の書かれた、ある小冊子の中の道元禅師の「仏道をならふというは、自己をならふ也、自己をならふというは自己をわするるなり」という一文です。自分自身に振り回され悩んでいた私は、この言葉に大変感銘を受けました。二十五歳の時でした。
――八百年前の道元禅師のお言葉が、人生を変えてしまったんですね。
そうです。それは衝撃的でした。その後、青山俊董老師の無量寺や、京都・安泰寺という禅寺で、故・内山興正老師のもとで修行させてもらっていましたが、家族に思わぬ借金ができてしまい、母に連れもどされて、五年間、会社経営をすることになりました。
――どんな会社の社長になられたんですか?
火災報知器の図面を書く会社だったのですが、当時、公共施設の火事が多く、お蔭様で仕事はかなりありました。それは夢中で働き、五年間で借金を返した。それから、思いがけず、寄席の芸人の後妻にはいった。この人は、新内の家元でもあり、十朱幸代さんや、由紀さおりさんも、都々逸を習いにいらしてました。でも、やはり出家の思い断ちがたく、前妻に戻ってもらい、おかみさん業は廃業させていただきました。前のおかみさんと彼との離婚の原因は私ではないので、円満にバトンタッチができたのです。
――それから、すぐに出家されたんですか?
その前に、少し世界を見ようと思い、香港で一年暮らしたり、一人でネパールやインドを三カ月かけて旅したり、オーストリアやスイスにも行きましたし、ギリシャのロードス島にもしばらく滞在しました。イラン・イラク戦争中のさなかインド滞在中に、ホメイニを批判したとかで、イラン人の友人が秘密警察に連れていかれて突然いなくなったりしまして、世界にでることで日常生活を離れた危機感を肌で感じました。
――日本は島国で他国から攻められた経験が少ないせいか、とてものんびりしている気がします。2009年のダライ・ラマ亡命五十周年のときに、テレビ制作会社からの依頼で、ダラムサラの法王宮で、ダライ・ラマ十四世にインタビューさせていただき、直轄の孤児院や学校を見せていただきました。孤児たちの七割以上がインドの奨学金を獲得しインド国内や海外の大学に入るといいます。教師の説明では、日々の瞑想により集中力が養われまた記憶力が良いからとのことでしたが、チベットから、子供たちも命がけで逃げてきているので、生きること、学ぶことに真剣なのだと感じました。
日本ではゆとり教育とかで、そういう真剣さは感じられませんね。ある程度の競争は、あってもよいのではないでしょうか。坐禅は、道元禅師が言われるように「それ自体が悟りである。」ということであり、効用はないと言う方もいますが、結果的には直感力が増すと私は思っています。勉強がよくできるようになるために坐禅をすすめるのは本末転倒ですが、子供たちが正座法など、体から学ぶことは大事だと思っています。礼節を重んじ感謝をする心も今ではうすれつつありますが、あらためて教育を見直さなくてはと本当に思います。
気をつけている健康法
――劫外師のお年を伺い驚いてしまいました。とてもお若く見えますが、なにか健康法などされているのですか?
別に若く見えるとは思いませんが健康法として、桜沢如一さんの提唱された玄米菜食をオーストリア人の友人から薦められ二十代から続けています。農薬や、防腐剤などが使われた食べ物を極力食べないことは大事です。私は電子レンジも食物の組織を壊す癌の元と東城百合子先生という方が警鐘を鳴らし続けていますので、一度も使ったことはありません。三人に一人が癌という日本人は、食べ物に関して見直してもらいたいと痛感しています。
――最近はアメリカのミシェル・オバマ大統領夫人も食育に熱心だとニュースで知りました。これからアメリカもTV
ディナーなどをやめ、健康的な食事をする人が増えてくるかもしれませんね。
すぐに切れる子供や大人が増えたのも、ちゃんとした食生活、心のこもった手作りの食べ物を食べていないのも影響があるのではと思っています。食べ物も大事ですし、心の持ちようも大事ですよね。農薬や、防腐剤などが体に悪いのはわかりきったことで、体にたまった毒素を出すために、東城百合子先生の提唱なさる砂療法というのもよいそうで、私も何回か実行しました。
――私も沖縄の砂浜で東城先生の提唱する砂療法を経験しました。次の日に体にミミズ腫れみたいなのができて痒いのに驚きましたが毒素がでてきただけで心配しないようにと言われました。仕事柄、外食も多く、なかなか難しいのですが、私も、なるべく農薬や防腐剤が使われていない食べ物を食べるように心がけています。
出家と曹洞宗
――ところで、離婚されてまでも、何故、出家されたかったのですか?
自分をなんとかしたいという思いからでしょうね。生きるとは何か? 真理は何か? 神や仏はいらっしゃるのか? 真剣に悩んでいました。私は群馬県の水上の生まれですが、五人きょうだいです。金銭的にも大変でした。しかし、母が教育熱心だったこともあり、大学に行くことを許してもらい、そのために、まず勤めて費用を稼ぎ、勉強も必死でやり大学に入りました。とにかく、今しなくてはならないことは夢中でやって生きてきました。得度を許してくださった埼玉県東松山市淨空院の故・浅田大泉老師のお蔭で出家でき、大雄山最乗寺の故・余語翆巖老師(總持寺・副貫首)に嗣法を許していただいたおかげで、今なんとか、こうして出家者として生かされている日々です。
――曹洞宗を選ばれた理由は?
一番最初に声をかけてくださったのが曹洞宗の方。感銘を受けた道元禅師も曹洞宗。この宗派にご縁が深かったのだと思います。曹洞宗は、坐禅こそ正法を修証しているというわけですが、坐禅をしているときだけが修行ではなく、行住坐臥(お掃除、ご飯を作る、洗濯など日常の一切の行為、何時でも何でも)、この修行なくして正法を修証する坐禅はないとも言えるでしょう。浄土宗は「南無阿弥陀仏」と唱える事無くしては信仰がなりたちませんし、日蓮宗は「南無妙法蓮華経」なくしてはなりたたない。坐禅を標榜する曹洞宗ですが、坐禅はお唱えする形態と違い、体を使いますから、どこでもというわけにはいきません。在家の方々にとっては、少し取っつきづらい点があるのではないでしょうか。私は道元門下として異端になるかもしれませんが、もう少し新興宗教のように信者さんと寄り添うような、もっと信仰を身近に感じてもらえるようにできたらと常々思っています。この頃は、「南無釈迦牟尼仏」とおすすめしていますので、それもよいかと存じます。
――仏教発祥のインドは、いまやヒンズー教徒が大半をしめ、カーストから逃れたいために、シ―ク教徒やキリスト教徒が増えていると聞きます。日本では、仏教の宗派も多く、信仰のあり方が多義にわたることについては、どう思われますか?
多くの宗派があるのは、八百万の神々を生み出している日本民族らしいのではないでしょうか。どれがよいといえませんが、それぞれ、ご自分にあったものを信じ、精進されればよいと思います。曹洞宗は、霊魂の存在を認めてはおりません。しかし、古い経典を読むと、釈迦は霊の存在を否定されているわけではないようです。自分の経験ですが、お人が亡くなったあと、ポンとその方の声が聴こえてくるというか、何かを感じることがあります。それをご遺族へ口にすると、祖母の口癖でしたとか言われることも多く、それだけは、なんと説明していいか……。他の僧侶の方も、いろいろ不思議なことを経験されたりしているようで、あながち霊の存在を否定もできないと思っていますので、私なりに僧侶としての本分を活かすことができればと考えています。
――そうですね。私の父も、一昨年亡くなったのですが、長くなるので説明は省きますが、四十九日の間、いろいろ不思議なことがありました。
亡くなってから四十九日の間は、まだご家族の近くに留まっていらっしゃるという感じがします。その間は特に、家族の方は亡くなった方へ向き合い、感謝をこめて供養をしていただきたいと常日頃から思っています。
お盆と施食供養
――これからお盆の季節が参りますが、お盆の意味について伺わせてください。
お盆は、一般的には、目連尊者が飢餓道に落ちてしまった母親を救いたいと願い、お釈迦様にお尋ねしたところ、九十日間の雨安居(夏安居ともいい、僧侶が夏の雨季に一定期間、集まり修行すること)の終わった七月十五日に、皆でお経をあげ、ご供養すれば救われるとお教えになられ、母親が供養により救われたという「盂蘭盆経」に由来すると言われています。また、お盆の時期には、お施餓鬼という行事(曹洞宗では施食会という)もありますが、これは、阿難尊者が坐禅修行しているところに餓鬼が現れ、「お前は三日以内に死んで餓鬼になる。そうなりたくなければ、餓鬼道にいる餓鬼に食べ物を施し供養すれば、寿命は延びるだろう」と言われましたが、供養するお金が十分になく、お釈迦様に助けを求めたところ、餓鬼道に陥らない供養法を教えていただいたことにはじまっていると言われています。しかし、私がお教えいただいている先生の説によると、実は、お釈迦様がインドで亡くなられて間もないころに、もともとバラモン教で行われていた祖霊祭を仏教的にして「功徳の施与」を行っていたそうなのです。パーリ語で亡くなられた方を「ペ―タ」と言いますが、仏教で輪廻する世界を説き始めた頃から、六道の一つ餓鬼道に落ちている死霊を餓鬼というようになり、このペ―タに功徳の施与をするという供養が紀元前三世紀頃から行われているのではないかと、その先生は言われています。
――自分の先祖に限っては餓鬼になっている者はいないと思いたいのですが、いまのようなお話を伺うと先祖のためにも、しっかりと供養をしたい気持ちになります。
生前の行為により、死後の世界で苦しんでいる先祖は誰にもいるかもしれません。私が尊敬していたある方は、あの世で荒ぶる霊や苦しんでいる霊を鎮めにいくということをおっしゃり、私も多少、そのような経験をいたしましたので、苦しんでいる霊に功徳を回向することは大事な、意味あることと感じています。
――功徳を回向する、その功徳とは、どのようなことを指すのでしょう。
一番大事だと思うことは、この世に生きている子孫が全うに生きている姿を先祖にお見せすること。また、他に対して、少しでもお役にたって生きようとすることではないでしょうか。この功徳を先祖への供養として手向け回向する、これが、仏教徒としての真の先祖供養であり、施餓鬼供養だと思っています。そして、その思いが仏教的な施食会に一つに凝縮され、真摯に、そのような儀式を担える僧侶でありたいと思います。
座右の銘
――座右の銘とか、心掛けておられていることなど、なにかございますか?
「天随」という言葉が好きです。私の嗣法の師、故・余語翆巌老師が書かれた「天随」の柱かけを見ながら、我執を少しでもなくせたらと常々思っています。一切の富を捨て、人々の喜びや苦しみを分かちあった聖フランチェスコのいたアッシジを訪れたことがありますが、彼の“I
am a tool of heaven.”(私は神の道具) 「天の父よ、私を貴方の道具としてお使いください」という姿勢は、私は仏教徒ですが少しでも見習うことができればと思っています。英語圏だと、有難うと言うと“It’s
my pleasure.”(私の喜びです)とか返しますが、その姿勢も素晴らしいと思っています。他の宗教でも、見習うべきところは見習い、目の前のことをコツコツ勤め、かつ、目の前のことに目をふさがれないように空を仰ぎみて生きていきたいですね。
――ダライ・ラマへのインタビューで、世界平和のためにすべきことは何だとお思いですか? とお尋ねしたら、「富の分配」と「宗教の和」とのお答えでした。いま、師のお言葉を聞いて、宗教の和が平和をつくると再認識いたしました。そして、私は、作詞をする者として、道元禅師の和歌「春は花 なつほととぎす あきは月 冬雪さえてすずしかりけり」に感銘を受けました。
この世は私であり、あなたはこの世でさえある。そして、それぞれがすずやかだと道元禅師は詠まれていると読み解くこともできると思います。本来天地は全く差別なしということでしょう。
――心して、この和歌のように、これからの人生をいきてまいりたいと思います。今日は、素敵なお話をありがとうございました。