秋彼岸対談 西舘好子&佐々木宏幹
子守唄は日本を救う
情操教育のために、子守唄とお寺が力を合せよう
西舘好子(にしだて・よしこ)
1940(昭和15)年・東京生まれ。
井上ひさし氏元夫人。
劇団「こまつ座」・「みなと座」株式会社「リブ・フレッシュ」を設立。
現在は、NPO法人「日本子守唄協会」の理事長、遠野市文化顧問などを勤め、講演会等を開催し‘子育て支援’などに資する為に活動中。
NPO法人日本子守唄協会
ホームページ http://www.komoriuta.jp
佐々木宏幹(ささき・こうかん)
1930(昭和5)年・宮城県生まれ。
宗教人類学者。「シャーマニズムの宗教人類学的研究」で筑波大学文学博士。駒澤大学名誉教授。
著書に『人間と宗教のあいだ―宗教人類学覚え書』『憑霊とシャーマン―宗教人類学ノート』『神と仏と日本人―宗教人類学の構想』など多数。
かつて劇作家・小説家井上ひさし氏の夫人として活躍した西舘好子さんは、現在日本子守唄協会理事長として子守唄普及運動の最前線にある。
赤ん坊は生まれた瞬間から三歳までに命の根が出来ると考える西舘さんは、昨今の幼児虐待や少年犯罪は子守唄が唄われなくなったためと観る。
子守唄は命の伝承であり先祖信仰と同じと説く彼女は、お寺は命の館であり社会の現状に重い責任があると強調した。
実に説得力のある仏教的子守唄論である。
『うたってよ子守唄』
西舘好子著 小学館文庫
定価 500円(税込)
子守唄と聞いて電流が走った
佐々木 西舘さんは日本子守唄協会の理事長でいらっしゃいますが、この会は創立されてどのくらいになりますか。
西舘 来年の秋で設立十五年になります。あっという間の十五年でしたがあの頃は、今では当たり前の出来事になってしまった幼児虐待、いじめなどが、いわば公けになった時期でした。それから随分世の中が変わったような気がしますね。家族関係が一番変わったのではないでしょうか。
佐々木 そうですね、変わりました。言われてみると、子どもが子どもをあやめたり、両親がわが子をあやめたりという例がマスコミに大きく取り上げられるようになりました。
西舘 一番わかりやすかった家族や親子の関係が複雑で大きなテーマになる時期に差しかかったなぁと、そのとき体で感じたんです。これは何とかしなきゃと思うけど、何とかするほどの力が私にはない。ちょうど還暦を迎えるころで、父には還暦になったなら自分のことはさておいて人のために生きなさい、といつも言われていましたので後半生の進路を決めかねていました。
なかなか、人のために生きるというのは難しい。それにその頃は経済的にも逼迫していました。代表をつとめていた劇団(みなと座)もつぶれ、もうあらゆるマイナスが私に飛び込んできたんです。そういうとき、やっぱり励みになったのは家族や友人で、そのなかの一人が幼児虐待の取材をしてほしいと仕事の依頼をしてくれました。母親は幼い子を無理心中に巻き込もうとしますが、死にきれずまだ三歳に満たない娘を森に置き去りにしてきてしまうという痛ましい事件でした。置き去りにされた子は三日後に遺体で発見されました。親に殺されたとしか思えない事件です。警察へ取材に行った時、担当の刑事さんが、「ねえ西舘さん、この子はまだ子守唄で寝てられる年なんだよね」としみじみおっしゃったのです。「子守唄」このことばが実は私と子守唄を結びつけるきっかけになったんです。
佐々木 警察署で。
西舘 はい。「子守唄」っていうことばで、何か体中に電流が走ったように感じたんです。それは小さなときの私の記憶にある、私の母、祖母が歌ってくれた「ねんねんころり」の唄やその情景が記憶のままに蘇ってきた。唄の記憶から、子守唄をもう一回勉強してみようと、その時思いました。
それから三、四年、ひたすら子守唄の勉強をしました。特に日本の子守唄の研究では第一人者でいらした松永伍一先生との出会いは私にとってとても大きかったです。「命の讃歌」としての位置づけを民俗学、女性史、精神史の中に置いていらした。とても継承できるものではありません。おまけに、子守唄の研究家は各地にいらっしゃり、皆さん一生をかけていらっしゃる。不思議な事に九九パーセントは男性で、研究家には女性はほとんどおりません。そういう命がけで取組んでおられるのをみて、私などはとても研究家にはなれないと思い知らされました。だったらそういう方々の知恵を頂いて、忘れられそうな子守唄を今にいかす、蘇らせることができるだろうか。もうその頃にすっかりはまってしまっていたのですね、ならば、それを仕事にしたいと思ったわけです。
子守唄は命の讃歌
佐々木 よく分かりますね。それで、西舘さんの著書『うたってよ子守唄』を拝見すると、子守唄協会をつくる動機として挙げられているのが、一つは古い大切なものがどんどん消えていく世の中だということ、二つに、おばあちゃんやお母さんの思い出を少しでも長くとどめておくため、何とか子守唄を盛んにしなくてはいけない、こういう問題意識がありましたね。それから、人にはそれぞれ慈しみの心があるんだけれども、それが心の中のどこかで眠っている、ぜひ懐かしい唄を甦らせ、継いで行く必要がある、という三点を挙げておられる。このことにまず感銘を受けました。
西條八十のことばをひきながら、私たちはいつの間にか「うたをわすれたかなりや」になってしまったのではないかというご指摘には、ぼくはドキッとしたんです。さらに、詩人の松永伍一さんは西舘さんとの対談で、子守唄は「命の讃歌」だとおっしゃっていたといいますし、ギタリストの原荘介さんは「子守唄は母親の魂の唄、母性回復の唄、平和の唄」だと。
これを読んだときに、仏教で言いますところの慈しみの心とか、思いやりの心とか、精神の浄化というようなものと子守唄とは通底しているなと感じました。ただ子守唄といいますと、私は一九三〇年生まれでありますが、「ねんねんころりよ、おころりよ」という唄よりも、それこそ「うたをわすれたかなりや」のような童謡が耳に入ってるんですね。
西舘 童謡や唱歌が子守唄になるというのはおっしゃる通りで、子守唄という名前はついていませんが効用としては子守唄になりえると思っているのです。私たちの認識の中で、子守唄とは一体何か、決定的なジャンルはよく分かってないかも知れません。 しかし、子守唄はどんな歌とも違うのです。誰もが口にする歌は、童謡も唱歌も民謡も演歌もジャズも、CMソングも、もう山ほどありますからそれらは赤ちゃんに向かって歌えば子守唄の役目はするでしょう。その根本にある子守唄は、ではどんな役目を果しているかというのは、どんな歌とも違うんです。
佐々木 違うとおっしゃいますと。
西舘 ええ、そこが問題で、まず第一に、歌われている側は歌えない唄だということです、つまり歌われているのは赤ちゃんですから、言葉も意味も分からない。聞き手としてまったく無意識のときに歌われる唄なわけです。逆に言うと、唄とすれば歌う側だけの唄であるということです。じゃあそんな唄はあまり意味がないかというと、そうではなくて、そのお母さんの声やにおい、母親の五感すべてが子どもに刷り込まれていく。無意識のうちに体が覚えていくのです。記憶の刷り込み、これは奪うことはできないんですね。この人がいれば安心、この人がこの声を出したら私はゆっくり眠れると、無意識の信頼の絆をつくる源を創ってしまう、それが子守唄なんです。さっきの童謡唱歌などは作詞も作曲も特定の人がある意図をもって創り正確なベースがありますが、子守唄には歌詞も正式なものがあるわけではなくて、「ねんねんよ」でも「よしよし」でもいいし、「うちの馬鹿は」でも「隣のおばちゃん、だいっきらい」でもいいんです。(笑)はっきり言ってその人の生活の中の即興詩です。今で言えばツィッターかもしれない、つぶやきでしょうか。でもその前後に「ねんねんよ」と、顔を見ながら歌うので子守唄になってしまう。
民謡などに流れがいくのも意外に子守唄に直結した労働歌で、「エンヤードット」「ヤーレン」などと合いの手が入るのは、こどもの頃に身体に刻まれたリズムの残映ではないでしょうか。唄の流れの底にあるものは、それは全部、子守唄としての意味を持っているものの母親独自の唄が本当の子守唄です。
佐々木 そこまで入りますか、「エンヤードット」まで。そうすると、歌詞の内容がどうのこうのじゃない。
西舘 そうなんです。だって、赤ちゃんはことばが分からない。その時期に、どうやって親子の信頼関係をつくっていくかというのは、先生ご存じのとおり「三つ子の魂百まで」、三つまでに体で覚えたことは誰も奪えないんです。
佐々木 そうなんですね。教育学者もよく言います、そのころに身につけた感性、情緒の奥底に秘められたものでその人の人生が決まっていく。
西舘 それが三歳までに確立すると立証されております。赤ちゃんといるときの母体が実はその子の生涯を決定してしまう。今そのことを忘れていませんかということです。戦後の豊かさというのは、私たちから一番大事なものを奪っていってるんです。豊かさの代わりに、人間が人間として持たなければいけない絆とか信頼とか愛情とかが棚上げされてしまいました。
「ねんねん」は念仏の念
佐々木 そういう大事な子守唄を、これからも継承していくためにはどうすればいいかということですが。
西舘 やはり今の時代、戦後ずっとそうですが、テレビの普及や外国の音楽の普及とか、あらゆるジャンルの文化や音楽が入ってきたので、子守唄はもう古い、とろい、さみしいというふうな位置付けになってきた。それでだんだん歌われなくなってしまったということだろうと思います。古いからいいということではなく、人が人にしか伝えられない物の価値を歴史をふまえて、私たちはどう伝えていったらいいんだろうか、考えます。
残念ながら、今の時代、母親が伝えるのは無理だと思っています。時間も余裕もお金もない、まして高齢出産は体力も奪います。私の記憶でも、母親から聴いたというより、祖母が歌ってくれました。命への慈しみに目がいく祖父母の世代です。ということは、ちょうど今の団塊の世代の方たちが孫に歌い聞かせることがなくなったら、孫は子守唄を一生聴くことがないでしょう。今はその最後の時だと思っているんです。だからこんな老骨にむち打っても頑張れるんですよね。
佐々木 でもおばあさんとなると、今度は核家族の問題があって、孫と同居していない。
西舘 核家族というのが日本の信頼関係をなくしましたね。戦後、私たちは、高度成長にのって大人になっていったときに、経済、物資の豊かさを追うあまり、肝心の伝承を忘れた、忘れものをつくっちゃったんですね。どんなに貧しくても親子の幸せってあるんです、正直なところ。
佐々木 それにしても母親ではなくて、その一世代上の人たち、団塊の世代に期待するとなると、相当急がないといけませんね。
西舘 そうです、もうその人たちが歌わなくなったら、今の子どもたちは根がなくなると思います。日本人としての根が。
佐々木 日本人じゃなくなる。
西舘 と思います。昔を思えば貧しくて、子だくさんで、しかも重労働が家の中にいっぱいあるにもかかわらず、子どもを嫌だと思って育てた親はいないんですよ。そういう中で子守唄が歌われた。それはお母さんの持っている能力が、命と直結していたんですね。この子がとにかく丈夫に育ってほしいという願いが唄になった。とにかく丈夫であってほしい、その命の直結というものを無意識に持っていた時代は、子どもにとって至福だったと思います、物がなくてもお金がなくても。家庭という芯がある。
たしかに、私がやることは間に合わないかもしれない。間に合わないかもしれないけれども、やらないよりはましだろうということで動いている、というのが現状なんです。子守唄というのは、たかが子守唄です。しかし、それは命の根源にかかわるものだということを、もう一度考えてほしい、という叫びでもあるんです。 これは松永伍一先生もおっしゃってますが、日本の子守唄ほど見事に文学性を持つ豊穣な感性の高い唄はないといいます。古き昔から伝えられてきた精神と美の文化だと。
それから「ねんねんころり」のねんは念仏の念からきていますので、これはお寺さんから出たと思っています。お母さんたちが忙しくしている間、おばあちゃんたちは子どもを連れてお寺に行く、ご詠歌の旋律が子どもたちに入る。あるいは、念仏を聞いていると確かに眠くなります。ここら辺からもきているのではないか、と私は思っているんです。
佐々木 しかし、それは非常に貴重な指摘です。「ねんねん」はぼくは眠るということからきたかと思っていました。それが子供の幸せを念ずることが土台になっているとは。
西舘 念仏からです。それは聖徳太子の子守唄というのがございまして、「念念、念念、念念、念念」とつづきます。この歌の曲はわかりません。ただ、「ねんねん、ねんねん」と延々と続いて、文字は全部念仏の念を使ってます。それが戦後になって、うかんむりの寝ん寝んと変わった。今の子どもたちは片仮名のネンネンで覚えるでしょうか。
命の尊さを伝えたい
佐々木 今日は一つ大変勉強になりました。念ずる、この子がよくなりますようにというふうに念じた、それが「ねんねんころり」になった。これは聞き捨てならない。
西舘 結局、命というのは連鎖です、つながりだから、鎖のようにこうつながっていくわけです。直線ではない。と考えると、やはり子守唄を歌うというのは、親ももちろん歌っただろうけれど、家に伝わる子守唄は、歴代の先祖が様々に時代に変化していって、わたしたちおばあちゃんも歌っているんじゃないかと思うんですね。そのおばあちゃんの最後の世代として、私達がうたわなければならないと思ってほしいと願っているんです。
佐々木 それは私どものほうでも、先祖崇拝とか、先祖儀礼というのが非常に大事にされています。今、自分がいるというのは両親がいる、両親にはまたその前がいる、命は全部相続されてきているものだという教えですね。いわば「縁起」と通じています。
西舘 宗教というのは先祖という形を教えるだけではなくて、先祖につながる命の大事さを教える。それをお寺という地域性を持って、お寺に行けば地域のことはみんな分かるという役目を持っているのではないでしょうか、ご住職がいろんなことを知ってる、大黒さんはお母さんみたいだったっていうような、心の統括、相談所、自然や生死の日常化そんな大切な役目というのがあるのではないでしょうか。
佐々木 そうですね。特にお寺の奥さん、寺族と言いますが、その奥さんの意識の中に、今の子守唄的なものが残っているかどうか。もしないとすれば、意図的にそれを育んでもらわなければならない。今の仏教というのは、宗派にかかわらず先祖崇拝でもっているんですよ。ですから、さきの「ねんねんころり」の「念」ですね、その念の情緒というか、心情をお寺が強めていくことと子守唄協会が進めようとしている運動とは非常に重なると思いながら、うかがっておりました。
西舘 重なると思います。一昨年の東日本大震災でも分かりましたけど、私たちは被災地のお寺をもう九十回以上訪ねていますが、あのとき被災者が安心して寝られるところはお寺だけでした。そこには生と死が共存していたんです、見事に。決して死は死だけじゃなくて、生は生だけではない。生と死はいつも共存している。そこに守られている自分がいる。
仏像とその空間は命の館なんだと実感しています。もう一度お寺さんは再認識してほしい。そういう運動もしてほしいと思うんですね。
佐々木 今日は子守唄の問題もそうですし、教育の問題、広い意味で宗教から芸術まで、大きくは文明批判にまで話が及びました。また仏教では「小欲知足」、欲を小さく持って足るを知る、これはどの宗派でも説くことですが、そういうことを学校で教えなくなってから久しい。これは個人がいくら頑張ったって駄目で、何とか運動として、子守唄協会とタイアップしてやっていく必要がありますね。
西舘 広めたいと思いますね、本当に。私たち十五年たちまして、会員がまだ三、四百人しかおりません。ただ、あちこちにこの運動をやろうという人たちがいます。しかし、唄を歌えばそれで問題が解決するかというと、そういうことではないんですよね。私たちがこれからどうやって広めていけるか、そのための三つぐらいの指針が出てきたので、それに向かってこれから頑張っていこうかと思っているところです。
子守唄協会という名のもとに、孤独な母親の育児を応援したい、それだけの想像力を持ったお母さんの出てくることを期待したい、唄という表現力によって。子育てエキスを今伝えたいんです。
子守唄協会だけではなくて、やっぱり仏教界なり、命のために頑張ろうとしているいろんな団体と本当に手を取り合って、人間の命って何なのということを、本当に伝えていかなければいけないと思っています。未来という宝ものを大切に扱っていきたいと思います。