私に響く禅語
心のことば
東京都台東区 祝言寺
神奈川県相模原市 瑞光寺
上村利行
客殿に掲げられた二幅の掛け軸
金剛不動心(こんごうふどうしん)
本来無一物(ほんらいむいちもつ)
吉峰寺 関大徹書
蝉の声も弱々しい猛暑の昨夏、境内の木に結ばれた風鈴には「風性常住にして普ねからざる処なし」の短冊が結ばれていた。境内を訪れる檀信徒に向けられたかの言葉も、粋なもてなしのようで、心が涼やかになった。
瑞光寺は開山四百二十年程の歴史を持つ古刹。一昨年四月に本堂・位牌堂・鐘楼が設計から二十年以上かけてみごとに建立された。その落慶式の折り、客殿に掲げられた二幅の掛け軸は「金剛不動心」「本来無一物」だった。
瑞光寺兼務住職の上村師が三十九年前に永平寺の修行を終え、瑞光寺まで一カ月かけて徒歩で下山。その際、一日目に泊まった吉峰寺の関大徹老師から餞別に贈られたもので、違い棚天袋の奥に表装せず仕舞ったままだった。「当初は気付かなかった二幅を下さった深い意味が、表装して床の間に掛けて眺めているうち、もしやと思えてきた事があります」と、上村師。
浅草にある祝言寺【祝言寺】
〒111-0036台東区松ヶ谷1-6-17 .03-3844-4762
ダイヤモンドのように堅く揺れない、ぶれない道を求める強い心「金剛不動心」。それをも否定する「本来無一物」は、何もない、汚れも罪も一切無い。何も無いのだから塵や埃が付きようもないと、六祖慧能禅師が伝法衣をお弟子様に授けられた話にもあると説く上村師は、「この二つの禅語は相反する意味と思われるが、実は相矛盾し合うものが溶け合っている、そこを精進して歩みなさいと、老師は餞に下さったように思えてくる」と話す。
亡き師匠・寛爾師が生まれたばかりの利行師を初めて抱きながら、「この子に西田哲学を学ばせたい」と語ったことを、母が何度か笑いながら聞かせてくれた。西田哲学といえば、絶対矛盾的自己同一=B禅の影響が色濃い有名な言葉だ。中学時代は建築設計士を目指した時もあったが、高校時代にある方の法話を聴き、仏教の方が面白いと一転。大学では哲学科でキルケゴールの哲学に傾倒し、卒論のテーマも「逆説」、「二律背反」。冒頭の二つの言葉に通じる縁があったようだ。
上村師は東京浅草の祝言寺の住職を兼務する。本堂落慶、梵鐘鋳造を二カ寺で経験された。「私の人生は、生まれてからこのかた矛盾し合う二つ≠フ連続。不思議で仕様がない」と。
「長生きしなさい。長生きしないと分からない事があるからと亡き母が言っていたことが、今少し分かってきました。この軸の二つの言葉は、交感神経と副交感神経の関係にも似た一見相反する意味合いですが、人間の体はひとつですね。鬱の時は“金剛不動心”、躁の時は“本来無一物”、セルフコントロールしていかなければならない。『般若心経』に滅≠ニいう字が何度も出てくる。永平寺西堂の奈良康明老師が四十年前駒大の授業で滅≠ヘ煩悩をゼロにする事ではなくセルフコントロールの意味だと教えて下さったことを思い出します」。
瑞光寺本堂 【瑞光寺】
〒229-1102相模原市元橋本町6-1 .042-772-6828
朝は、祝言寺諸堂十二ヶ所、瑞光寺二十二ヶ所に線香を上げる上村師。祝言寺で毎月二回の坐禅会と瑞光寺で月一回のお経の会。祝言寺では『正法眼蔵随聞記』、瑞光寺では『般若心経』の法話を行っている。
「私は最近二つの会で、『心経』の真言・呪文のぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー はらそーぎゃーてー ぼーじーそわか≠フ話をよくするんです。この真言を、唱えなくても憶念するだけでいい。生活の中で壁にぶつかったら憶念、壁にぶつかったら憶念。憶念するだけでこだわりが消える、欲望が消える、それだけでなく静かな気力も湧いてくるから不思議だ。躁の時も憶念、鬱の時も憶念。セルフコントロールです。「金剛不動心」、「本来無一物」の一体行です。実践すれば、『心経』前段の難しい所がスラスラ分かってきますヨ」と、上村師は静かに話された。
(文・石原恵子)
毎月のお経の会。坐禅の後に皆でお経を読み法話をいただく