赤ちゃんのサインに応える保育を
神戸大学名誉教授
広木克行
1945年樺太生まれ。
東京都立大学卒業、東京大学大学院博士課程満期退学、長崎総合科学大学教授、神戸大学大学院教授、大阪千代田短期大学学長を経て現在、神戸大学名誉教授。
専門は、臨床教育学、教育制度論。
主な著書は『子どもが教えてくれたこと』『人が育つ条件』『子どもは「育ち直し」の名人』など。
6月19日付の神戸新聞にとても貴重な随筆が載っていました。題は「泣かないゴリラの赤ちゃん」で、著者は京都大学霊長類研究所教授の山極寿一氏です。この随筆が貴重だと考える理由は、山極氏が「ゴリラの赤ちゃんは泣かないのに、人間の子どもは何故けたたましく泣くのか」という疑問に一つの明確な答を与えていたからです。
山極氏には、アフリカの森で密猟者に襲撃され、さらわれそうになったゴリラの赤ちゃんを保護し育てた経験があるそうです。山極氏の胸にしがみついて指を吸いながらもゴリラの赤ちゃんは決して泣かなかったのです。当初は「恐怖のあまり声を失っていた」と考えたそうですが、観察している内に母ゴリラや母ザルにしがみついているどの赤ちゃんも泣かないことに気がつくのです。考えた挙げ句、野生の動物にとって赤ちゃんを産み育てることは他の肉食動物から身を守るうえで非常に危険な状態にあること、だから一寸身動きするだけで母親が気づくようにしがみついているので、泣く必要がないことに気づいたというのです。
そして山極氏は言います。「人間の赤ちゃんが泣くのは、お母さんが赤ちゃんを離してしまうからだ。泣くのは自己主張であり、人間の赤ちゃんが色んな人の手によって育てられてきた共同保育の証しなのだ」と。この説明でお分かりのように、手を離して育てられる人間の赤ちゃんが大声で泣くのは、自分の欲求を満し不安を解消するために「触れて欲しい」という切実な自己主張だということ。そしてそれに応えるには多くの人の手が必要だ、ということなのです。
ここで気づくのは、昔の日本には「子育てには七人の親が必要だ」という俗諺があったことです。それは産みの親二人、名付け親二人、拾い親二人と乳母一人の七人を意味しますが、要するに一人の赤ちゃんの泣き声に応えるには、産みの親だけでは難しいことを昔の人は知っていたのです。しかし核家族化が進む先進諸国の中でも特に日本の社会では、いくら泣いて求めても多忙な親に触れてもらえない子どもが増えています。そのために情緒が不安定になって一層激しく泣く子か、泣くことをあきらめてサイレントベビーになる例も少なくありません。
その証拠に世界の子どもの問題を研究するユニセフは、日本の子どもの情緒的幸福度が先進国の中で一番低いことを示すデータに注目しています。不安と孤独に苦しむ日本の子どもの割合が世界平均の4.5倍の約30%にも上るからです。それはまた日本の社会と政治が、情緒不安定な子どもの対応に悩む母親たちの増加に、如何に無関心であるかをも示すデータです。
たとえば保育の独自性と重要性を無視した幼保一元化や、保育への株式会社の参入を許す規制緩和などは、乳幼児の育ちの法則と共同保育の必要性に対する無知と無関心を示す端的な証拠です。子どもは誰かが預かって何かを教えるだけでは育ちません。子どもの気持ちに応えながら育ちを励まし、母親たちの子育て不安を理解し支える保育が不可欠なのです。日本の子どもと日本の将来にとって本物の保育を保障することが如何に重要であるか、それを真剣に考えるべきときではないでしょうか。
乳児期の子どもは親との間に築く愛着関係を基盤にして、自分自身と周囲の人に対する信頼感を育てる必要があります。それは糸にしっかりと繋がれたタコが、何処までも高く上がっていくのに似ています。そして愛着関係を築くには親と子の触れ合いが何よりも大切だということも分かっています。
挿絵/長谷川葉月