シリーズ第五章 行持報恩

道元禅師のみ教え
『修証義』

曹洞宗総合研究センター(宗研)特別研究員 丸山劫外

 大本山永平寺


第二十八節

今の見仏聞法は仏祖面面の行持より来たれる慈恩なり、仏祖若し単伝せずば、奈何にしてか今日に至らん、一句の恩尚お報謝すべし、一法の恩尚お報謝すべし、況や正法眼藏無上大法の大恩これを報謝せざらんや、病雀尚お恩を忘れず三府の環能く報謝あり、窮亀尚お恩を忘れず、余不の印能く報謝あり。畜類尚お恩を報ず、人類争か恩を知らざらん。

◆訳◆

 今こうして仏を知り、仏法を聞くことができるのは、仏祖一人一人が仏道修行し続けてきてくれたという慈恩である。もし、仏祖から仏祖に法の真髄が伝わらなかったならば、どうして今日まで仏法が伝わってきたであろうか。たとえ一句、一法の教えでも、その恩に報い感謝すべきである。まして正法眼藏(正伝の仏法の真髄)というこの上ない大法を伝えてくださった大恩にどうして報恩感謝しないということがあろうか。後漢の時代、楊宝という人がその少年時代に傷ついた黄雀を救ったところ、黄雀が夢に出てきて、四箇の白環を渡してくれたが、その家は四代にわたって三公の高官についたという恩返しの故事がある。晋代には孔愉という人が、捕えられていた亀を買いあげ渓に放してあげた。後に孔愉が余不亭侯に封じられることになり印鑑を作ったところ、三回鋳造しなおしても、印頭の亀は左を向いてしまうので、余不亭侯に封じられたのは、四度も左を顧みて去って行った亀の恩返しと気が付いたという。このように雀や亀でさえ恩返しを忘れないのだから、どうして人間が恩を知らないでいられようか。

第二十九節

其報謝は余外の法は中るべからず、唯当に日日の行持 、其の報謝の正道なるべし、謂ゆるの道理は日日の生命を等閑にせず、私に費さざらんと行持するなり。

◆訳◆
 伝えてきてくださった大恩に対しての報恩感謝は、ただひたすら毎日の仏道修行をし続けていくこと、これこそが報恩感謝の正しい道であって、他のことではないのである。どういうことかというと、日々の生命をおろそかにせず、自分の欲のために使おうとしないで、仏道修行し続けていくことなのである。

 大本山總持寺

解説

諸仏諸祖の行持によりてわれらが大道通達す

 道元禅師は『正法眼蔵』「行持」巻で、次のように書かれています。慈父大師釈迦牟尼仏は、十九歳から深山に入って修行なさり、生涯一つの鉢と三衣を持つのみで、乞食をなさりながら修行なさいました、と。次には、お釈迦様のお弟子である摩訶迦葉尊者は乞食をし、布団の中には寝ない、死人の骸骨を視て坐禅求道するなどの衣食住に関する厳しい十二頭陀行を自らに課して修行なさいました、と。
 禅宗の初祖である達磨様は、インドから中国に法を伝え、人々の迷情を救う為にご苦労して来てくださり、嵩山の少林寺で坐禅し続けて正法を伝えてくださいました。その達磨様のもとに後に二祖となる慧可様がやってきます。雪の降りしきる中、入門を願う慧可様になかなか許可はおりません。慧可様は一晩中一睡もせず腰が埋まるほどの雪の中に立ち続け、ついに自らの肘を切り落として、求道のまことを示して入門を許されました。この二祖の弁道修行がなかったら、何千人の僧がインドから来たとしても法が伝わらなかった、と道元禅師は二祖の行持を讃えています。そうして法は三祖和尚から四祖和尚にと伝えられていきました。四祖和尚はひたすらの坐禅修行を続け、六十年間、横になって眠るということがなかったそうです。
 六祖の慧能禅師は、「希代の大器」と道元禅師が褒め称えている唐時代の禅僧です。薪売りをなりわいにしていましたが、『金剛経』というお経の一句を耳にして、たちまちに感ずるところあり、法をたづねて黄梅山の五祖弘忍禅師のもとに参じました。そこで慧能は八カ月間眠ることもせず、休むことも無く、昼夜に米搗きにいそしんだそうです。(字も読めない書けないという米搗き小屋の慧能が、一山の上座よりも勝れていると弘忍に認められ、ついに弘忍の法を継ぐことを許されました。その後六祖慧能は韶州の曹渓山というところで、多くの弟子を育て、その法脈は日本の曹洞宗の僧侶一人一人にまで伝わっているのです。)
 雲巖曇晟という禅僧は四十年もの間、横にならないで坐禅弁道にいそしんだそうです。百丈懐海という禅師は、「一日不作一日不食(一日作さざれば、一日食らわず)」と言い、老いても自らに厳しく作務もつとめました。また「随流去」という言葉で知られる大梅法常は、馬祖禅師のもとで「即心是仏」の言葉で即座に悟ってより、大梅山中に一人こもり、蓮の葉を衣とし、松の実を食べて三十余年坐禅弁道の日々を送りました。
 芙蓉道楷禅師は修行僧とともに、一日に粥一杯で仏道修行に励みました。できるだけ余分な縁ははぶき、専一に弁道することを修行僧たちにも説き、自らにも課したのです。道元禅師はそれを祇 園の正儀(釈尊の仏法そのもの、正しいありかた)として賞賛なさっています。

 大本山永平寺

今生の我が身を菩薩として日々手を合わせつつ生きよう

 また道元禅師の師である天童山の如浄禅師は、同郷の者とも無駄口をきかず、時間を惜しみ、常に袖裏には坐布をたずさえていて、静かなところならばどこででも坐禅弁道なさったそうです。
 これらが、道元禅師のおっしゃる「仏祖の行持」です。このように仏祖方が修行し続けて、法を伝えてくださったご恩はこの上ない大恩であるのですから、今仏教に導かれている私たちは、この恩に報いなくてはならない、と道元禅師はお説きになっています。仏祖の修行の日々をここに偲んで、私たちは、その恩に報いるにはどうしたらよいのでしょうか。
 最近スポーツの世界では、あるスケート選手が優勝して、コーチの先生に恩返しができたと思います、ということを言っていましたが、スポーツのように結果のでない世界のことは、どうしたら恩返しができるのでしょう。
 「私に費やさざらんと行持する」ように、と、道元禅師の文言があります。道元禅師の真意は「ただひたすら仏法のための行持」といえるでしょう。
 この世で仏教を学ぶ生活者として、「日々の行持」をどのように受け止めたらよいでしょう。「日々の生命を等閑にしない」とは、この生命は「仏の御命」であることをあらためて思い返してみましょう。あだやおろそかにこの命を扱ってはならないのです。今まで「布施・愛語・利行・同事」を具体的に学んできましたが、その実践にできるだけ勤め、毎日、この命は仏の御命と、自らにもあらためて言い聞かせつつ、今という時間を行じましょう。「しずかにおもうべし、一生いくばくにあらず」と道元禅師もおっしゃっていますが、まことに私自身も自らの死を実感するようになりました。若いときは他人事のように思っていましたが、さにあらずの、「死」は非情のまことです。
 仏の教えを一言一句でも学び、もし心穏やかならざる時は、心安らかになるように、欲に振り回されているならば、その愚かしさに仏の光をいただいて、今生の我が身を菩薩として生きる。日々手を合わせつつ生きる、今生の過ぎざる間に。

 大本山總持寺