『正法眼蔵』は私たちの心の座標軸
中野東禅師の学習講座から


中野東禅(なかの・とうぜん)

1939年、静岡県生まれ。
駒澤大学大学院修士課程修了。
京都・竜宝寺住職。曹洞宗教化研修所研修所員・講師。
大正大学、武蔵野大学などの講師「死生学、生命倫理等」。「南無の会」副総務。可睡斎僧堂後堂。
曹洞宗総合研究センター教化研修部門講師。
「医療と宗教を考える会」「日本死の臨床研究会」の世話人など。
著書は『心が大きくなる坐禅のすすめ』、『あなただけの修証義』『生き方学としての正法眼蔵傍訳 』全五巻。『日曜日の正法眼蔵』、『仏教の生き死に学』など多数
武蔵野大学公開講座のほか、朝日カルチャーセンター横浜教室、同センター藤沢教室。鶴見大学生涯学習センター。南無の会坐禅会、荒川区・西光寺坐禅会などの定期講座などがある。



 東京の郊外、JR中央線三鷹駅前に「武蔵野大学三鷹サテライト教室」がある。ここでは生涯学習講座の一環として「正法眼蔵・三十七品菩 提分法」の講座が四月から九月まで十回にわたって開かれている。定員五十人の講座は募集と同時に満席となる人気ぶりで、五十代から七十代の受講者が中心だが、その半数近くは女性だ。
 この講座を担当されるのは中野東禅師(75)。京都竜宝寺住職、南無の会副総務。大正大学や武蔵野大学の講師を勤めるかたわら、「医療と宗教を考える会」「日本死の臨床研究会」の世話人を務め、私たちの現実の人生に起こる生と死の問題を見つめながら、仏教の果たすべき役割を追及してこられた。
 「三十七品菩提分法」は、道元禅師の主著『正法眼蔵』の中の一巻だが、釈尊が説かれた基本的な修行法が簡潔に紹介されている。仏教を実践しようとするものにとって、絶好の入門編といわれている。
 講座はまず全員で合掌した後、講本をそろって大きな声で素読する。漢字にはほとんどルビが振ってある。記者が訪れたこの日は八回目で、「八正道――その人らしく生きる」と題したお話がつづく。「八正道」というのは、釈尊が説かれた悟りに至る八つの具体的な実践徳目で、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定のこと。
 何やら難しそうだが、中野講師の解説は分かりやすい。ご自身の日常生活での体験、満員電車での出来事や、自宅周辺の様子、医師との会話、最近読んだ本の話など、具体的なエピソードを織り交ぜながら、受講者との共感を深めていく。ときに笑いあり、涙ありの講義はあっという間に終了の時刻を迎える。
 講義の終わりの合掌のあと、「こうして皆さまの前でお話ができることは、大変ありがたいことで感謝しています」と語る中野師に、少しお話を伺った。



『正法眼蔵』はダイナミックでおもしろい

 ……どうして、『正法眼蔵』を講義なさろうと思われたのですか?

 「ここに来て下さっている方々は、生きる意味とか自己存在の座標軸を求めていらっしゃるわけですね。その座標軸を提示するのが坊さんの役割だと思います。
 病気で悩んでいる人、人間関係で悩んでいる人、いろいろです。生き死にという人間の問題に答えてくれるのが仏教です。そしてたくさんある仏教の経論の中でも、人々の悩みに根源的なところで答えてくれるのが『正法眼蔵』だと思います。私は長い間読んできましたが、人々の出会いや感動、生き方にかかわる視点からしても、『正法眼蔵』が一番ダイナミックでおもしろい。
 そして今日のように、聞いて下さる方々がいるおかげで、聴衆の視点から『正法眼蔵』を解釈し直すと、またどんどん新しい魅力が見えてくる。ほんとうに、ますますはっきりしてくるんです」

 ……在家とお坊さんとでは読み方にどんな違いがあるのでしょうか?

 「在家の人たちは現実にお金を稼がないといけないし、子供も育てなければならない。夫婦間や親子間の問題も起こるし、介護といった問題も起こるでしょう。そういう中でふと自分に疑問を持つ。家族の問題や自分の病気や何かで疑問を持ったときに、心の座標軸を必要とするわけですね。
 そうしたときに座標軸を提示するのが坊さんの役割です。坊さんには在家の人たちを超えたスタンスがなかったら説得力はありません。坊さんは捨てて掛かったところから発言するから、在家の方々が苦しんだときに、きちっとした明確な答え、指標を示すことができるのです。頭のいい悪いではありません。坊さんというのは、身も心も仏の家に投げ入れた人なんですよ。だから、糞掃衣 、ぼろの服を着ていなさいというわけです。
 人に教えるということは自分の納得を深めることになるのです。教える自分と学ぶ自分とが道連れで、学びつつ教えているのです。『正法眼蔵』自証三昧の巻にあるように、片方の耳が学んでいるときは、もう一つの耳が人に理解できるように考えている。一枚の舌がしゃべっているとき、もう一枚の舌が学び咀嚼しているのです。東で一言聞いて感動したら、西に行って人のために話すべきです。それは一つの私で、学びと教えとの二つを同時に実践実証しているということです」

 ……道元禅師のお言葉にはなにか不思議な魅力があるように思います。

 「道元禅師の言葉は宝の山ですよ。本当にありがたいご縁です。その言葉を皆さまにお話する、そんな仕事をさせていただいているのですから本当に感謝しています。それが自分の求道ですからね」
 人々に『正法眼蔵』を語り続けることが、そのまま、自身の求道なのだと語る中野師の笑顔は、秋の空のようにさわやかだった。

(取材・文 石原恵子)