巻頭言
唄に力の大きさよ


西舘好子

1940(昭和15)年・東京生まれ。
劇団「こまつ座」・「みなと座」株式会社「リブ・フレッシュ」を設立。
現在は、NPO法人「日本子守唄協会」の理事長、遠野市文化顧問などを勤め、講演会等を開催し‘子育て支援’などに資する為に活動中。
NPO法人日本子守唄協会ホームページ
http://www.komoriuta.jp


 恐山霊場は不思議なもので地獄を連想させるという風景も夏の陽が射し、ひんやりした風に頬をなでられると、それほど陰惨な暗い風景にはみえない。曇や雨、雪など降れば色彩のない山は無味乾燥としたものに違いないが、こう夏の明るさが降り注ぐとまるでハイキングのように足を軽快にさせてくれる。よく見ると、小高く積まれた大小の石には戒名や祈願が書かれていて、石の間に立てられた色とりどりの風車がカラカラ音を立てて回っている。亡くなった子供たちの霊が天に昇っていくというのだがこれは小さな風車の色と、鳴る音に寂しい情景だ。

 かつて「帰命頂礼、これはこの世の者ならず……一つ積んでは父の為という、」という和讃に近い子守唄を岩手で採譜したことがある。早くに逝った子供たちの懺悔のような歌詞がお経のように延々と続く子守唄だ。恐山のイタコが良く唄うと聞いた。その子守唄の発祥を確かめたいと思いつつ、ひょんなことで採譜から十五年過ぎた今になってやっと実現する事が出来た。

 恐山という山はない。連なる山の全体をさし、死者が住みついているという霊場だ。曹洞宗円通寺は恐山にあり、この寺の開祖は最澄の弟子の慈覚大師、夢のお告げでこの霊場にたどり着いたとある。本尊は地蔵菩薩、円通寺本院にはそれはそれはかわいい木像のお姿でまつられている。

 この寺は修験僧が多く集まり津軽海峡を渡る海運業者や商人達の航海の祈願所として栄えた、寺と恐山信仰とは別の物のようだ。「庶民の思いの強さ、思いを持ちこめる場所として最適だったのでしょうか、恐山信仰はここに来た人たちが思いのままに勝手に作り上げたものかもしれません。お釈迦様と子供を結びつける直接のものは仏教にはありません、むしろ中世の説話文学の中に、子供への信仰がみうけられるのでは」と院代の南さんが提示してくださった。

 宗派は関係なく唄いたいように唄い、伝えたいように伝え、祈りたいように祈っていくのだ。ここに来た人たちは何かを残そうなどという余裕も野心も虚心もなかったのだ。死者を悼み生霊として住み続ける場所に来て、霊を呼び出しいつでも会えると思うことで心の慰みを見つける。死者を生者に転化させ、共存する時間に心を浄化させていったのだろう。庶民の知恵が力一杯発揮されて恐山信仰が発祥したと考えられないだろうか。

 親より先に逝った子供たちの永遠の地獄を連想したが、いや、そうではなく子供たちは石積みしつつ、鬼と一緒に遊んでいたのではという推理も成り立つと南さんから伺った。鬼ごっこの語源だろうか。子供たちが霊となり無邪気に遊んでいると思うとほっとするし、子供を亡くした親は永遠に自分の中に子を生かし続けるのを業としただろうからあの世でも無邪気に遊ぶ姿を想像するだけでどんなに慰められたかしれない。

 境内に立てられたイタコ小屋にはこの日も多くの人が並んでいた。供養に来てくれたことがどんなにうれしいか、これで仏の位が一段上がるという一連の降霊の儀式は特別なものではないが聞く事、話す事で瞬時に心の安定剤となつている。地位や金や慾があの世で何も役に立たないという教えは死者の声を借りることで納得しやすい。これもまた庶民が生み出した知恵だろう。日本の聖地は庶民の思いの結集場だ。生死が曖昧なものとなっている現代、恐山は何かを私たちに訴えているように思えてならない。


  挿絵/長谷川葉月