手を合わせる

西舘好子
1940( 昭和15)年・東京生まれ。
劇団「こまつ座」・「みなと座」株式会社「リブ・フレッシュ」を設立。
現在は、NPO法人「日本子守唄協会」の理事長、遠野市文化顧問などを勤め、講演会等を開催し‘子育て支援’などに資する為に活動中。
NPO法人日本子守唄協会ホームページ
http://www.komoriuta.jp


 人はどんな時に手をあわせるのだろう。
 神社仏閣、仏像 墓の前、死者に対して、当たり前に手をあわせる。無意識に、心を込めて、必死に、おざなりに、と、その時々によって手をあわせているが別に誰かに文句を言われるというものでもないし、注意を払ったり注目したりするものでもない。自分でも深い意味もなく手をあわせていることもある。
 日本人の習慣の中に根付いた儀礼の文化で、主義や主張に関係なく長い時代をへて私たちのDNAに入っている心の文化だ。
 むろん、もとは仏様を拝めるという「合掌」の気持からきているものだが、案外この気持の中の拝む心というのは忘れられがちだ。
 生者はいつも何かの命を殺傷して生きている……人間が食するものは植物から動物までも命だ、その命を頂き生きているのだから「いただきます」と食前には手をあわせましょう、と私の子どもの頃は学校で教わった。最近では食べ物に敬語を使うことはない、給食費を払っているのに手を合わせるなんて、といった若い母親達の暴言があるともきいた。家族の歴史に触れることもなく核家族の中で物質優先の生活では心を他者に向けるという優しさは喪失されてしまうのだろうか。あるいは神仏が家に祭られていることもなければ、手をあわせる習慣というのも根付くことはありえない、死を忌み嫌う風潮があった時代の流れがそのまま戦後の生活文化に反映されていることも考えられる。いずれにしても手をあわせる習慣は少しずつ毎日の生活からなくなりつつあるようだ。親が手をあわせなければ子には絶対に身につかない、折あるごとにどんな形でも習慣づけたい。ここに日本の伝承の大切さがあるのだから。
 そうはいっても手をあわせなくてはいられないという自然の摂理がどんどん起きてくる。東日本大震災では直後出向いた被災地でどれほど手を合わせたことだろう。多くの人を飲み込んだ海に向かい街の中で思わず成仏を祈り手をあわせた。泥まみれの姿の自衛隊の活躍を目の当たりにし、作業を終えて引き揚げていく車に手をあわせ最敬礼した。私が手をあわせるというなかには心底感謝と自分には何にもできないと言う申し訳なさが含まれていた。私ばかりではない、周りにいた誰もが同じに手をあわせている。突然に瞬時に命を奪われた場所でもやはり思わず手をあわせてしまう。大きな自然の力や運命に逆らうことなど出来はしないと思い知らされた。
 祈りと感謝が謙虚に現れる時にあわせられる手には大きな働きがあるとしみじみ思った。

ひいふうみいよういつつのあつかい
手先のはたらき 人手にうけて
さらりと うけては
人手にうけて 花模様 花模様


 五本の指を持つ手を歌った昔からのわらべ歌だ。指はお花をも連想させ形創る事が出来る。その指をあわせて私たちは、お行儀の良い謙虚な文化を創り上げた。
 「父母恩重経」では大変な数のご先祖様の命が母によって繋がれていま自分があると教えてくれている。手をあわせる最初の対象は母であるべきかもしれない。というものの、両親の亡くなった今それを痛感しつつ日常が流れ始めた。朝日や夕陽の輝く陽に向かい、その中に父母をみつけ、手をあわせるようになった。飛行機から機下に広がる白い雲に思わず手をあわせ頭を垂れていることもある。
 哀しいかな、そんな心境になったのは去年に大病をした直後の事である。むろん老いという時間が忍び寄ってきた功徳の一端かも知れない。親孝行したい時には親はなし。


(挿絵/長谷川葉月)