巻頭言
慈悲に満ちた皇后さまの輝くことば
大きな愛の国母
西舘好子
1940( 昭和15)年・東京生まれ。
劇団「こまつ座」・「みなと座」株式会社「リブ・フレッシュ」を設立。
現在は、NPO法人「日本子守唄協会」の理事長、遠野市文化顧問などを勤め、講演会等を開催し‘子育て支援’などに資する為に活動中。
NPO法人日本子守唄協会
ホームページ
http://www.komoriuta.jp
美智子皇后の文や言葉に接するたびに、一字一句にずしりとした重みと深さを感じてしまうのは決して私ばかりではないはずだ。
十月二十日に傘寿(八十歳)をお迎えになった皇后さまは、記者会の質問に対して書面でご回答をお寄せになった。こんな私でさえ日常を反省し、日本人としての矜持を保つ気持ちを改めて考えざるを得なかった。
いくつかの皇后さまの輝く「言葉」を見つけた。被災地にいる被災者、原発事故でなお働く人たちに「寄り添う」気持ちを持ち続けなければならない、というお言葉にまずはっとした。最近では介護や認知症にどう寄り添うか、といった使われ方をしているが、それは当事者の問題としてで実感はともなわない。
いつか皇后さまは陛下が自分のそばに一時も離れず寄り添っていて下さったことに感謝するとおっしゃっていたことを思い出した。時を経た今、寄り添われる側の立場もしっかり認識なさり、常にお心をともにし、共にありたいという証が優しい言葉としてお出になったのではないだろうか。
また、祭祀の出席に対して「昔のてぶり」という明治天皇のお言葉をお使いになり、
「昔ながらの所作に心をこめることが祭祀には大切であること、年をとっても繰り返し大前に参らせて頂く緊張感の中で、そうした所作を体が覚えていてほしい、という気持ちがあります。前さきの御代からお受けしたものを、精一杯次の時代に運ぶ者でありたいと願っています」
日本という国の祭祀を守ることの本当の意味を、私たちはこの皇后さまの心から学ばなければとしみじみ思った。
冠動脈の手術をお受けになった陛下も、頸椎症性神経根症を患っていらっしゃる皇后さまも、ともに持病をもち、なお、日本中を周られることは、毎度頭の下がる思いで拝見しているものの、誰かが代われるというものではない。傘寿の年を考えれば、これほど行動できることは奇跡に近い。それでもなお、高齢の三笠宮や同妃殿下の健康を祈り、後に続く世代の生き方を見守ってほしいというお言葉に、老いへの優しい配慮がお出来になる皇后陛下という方は、稀なる才ではなく、私たち日本に遣わされた「神の使者」ではないだろうか。今日本人の中から最も誇れる日本人を一人挙げよ、と言われたら私は迷うことなく皇后陛下と答えるだろう。
私の日本子守唄協会では皇后陛下の作詞になった「ねむの木の子守唄」をうたっている。
ねんねんねむの木 眠りの木
そっとゆすった その枝に
遠い昔の夜の調べ
ねんねのねむの木 子守唄
薄紅の花の咲く
ねむの木陰で ふと聞いた
小さなささやき ねむの声
ねんねねんねとうたってた
故郷の夜のねむの木は
今もうたっているでしょうか
あの日の夜の ささやきを
ねむの木んの木 こもりうた
世界広しといえど子守唄をおつくりになっている国母はおひとりだけ、まさに慈悲と大きな愛をもつ母の姿が皇后さまに重なってみえる。なぜ日本には「国母の日」がないのだろうか。ならばオリンピックに子守唄の演奏があってもいいのではないだろうか、などとふと考えてしまう。
何より今年も両陛下にはどうぞ健やかにお過ごしいただけるように、私たち国民の一人ひとりが「日本人」でありたいと思う。
挿絵/長谷川葉月