毎日いただく料理は一番大事
料理教室を主宰する
松田 薫さん
神奈川県・相模原市
おせち料理
「みなさーん、今日は取材の方がいらしてまーす。いつもどおり一つひとつを丁寧にねー」と、明るい声で高らかに話す松田薫さん。二十六年前から自宅で伝統的な日本料理教室「カオルクッキングスクール」を主宰する。
この日は年末、一年の集大成で、二、三十代中心の生徒さんが七人。「先生、きんとんの粘りはこれでいいですかー」、「先生、ごぼうの長さはどのくらいでしょうか」との質問に、はいはいと、終始笑顔で対応。生徒さんの真剣な顔も、松田さんのひと言で和らいだ表情になる。包丁の扱いや、食材の説明など絶え間なく話しながら、それぞれに目配りを欠かさない。
十時半から二時間足らずで、あっという間におせち料理八種を作った。伊達巻、すまし雑煮椀、五色なます、筑前煮、昆布巻き、たたきごぼう、フルーツきんとん、黒豆などが器に盛られ、配膳。
黒豆は三日前から下準備がされたもので、その方法やコツを話し、生徒さんは自宅での料理器具の相談や日頃の様子など、それぞれの料理の味を楽しみながら、和やかな雰囲気で会話が弾んだ。
松田さんは静岡市の天徳院に生まれ、駒澤大学仏教学部仏教学科に進んだ。四年生の時、母の急逝で寺の施食会法要の料理を担うことになった。大勢の人に出す料理は初めてで、材料も無駄にするような失敗も経験したが、何とかその場は乗り越え、以後少しずつ楽しさを覚えるようになったと懐かしむ。
料理教室
卒業後は書道の道に進む予定ではいたが、父からの「料理は大事だよ」との言葉が耳から離れなかったという。
結婚し、子育てをしながら、ご主人の勧めもあって調理師学校に通い、資格を得て日本料理で有名な料理学校に。自宅の建て替えと同時に料理教室を始めた。
数人の生徒から始めた教室も口コミで広がり、初級から懐石料理まで、月一回、今までに七〇人もの生徒が門をたたいた。
「家で母に聞くのと違って、基本をきちんと教えてもらえます。身欠きニシンやカンピョウとか知らなかった食材も、包丁の切れの良さ、種類の多さ、器に向きがあることも驚いたんです。」「今は早くて簡単の料理が流行っているけど、基本があっての簡単だと思うので、その基本を学べて嬉しいです。」「自分の両親に言われてもスルーしちゃうことが、先生に言われるとすんなり納得できることがあります。第二の母みたいな…。」と、生徒さん。
松田薫さんの『典座教訓の滴』A5判256頁
生涯かけて『典座教訓』を
道元禅師が著した修行の中でも大切な食事を作る側の心得などを細かく説いた『典座教訓』。松田さんは四年前にその訳本『典座教訓の滴』を著した。
駒澤大学在学中に、英語で仏教を語ろうという「国際佛教研究所IBI」のクラブに所属。座右の書『典座教訓』を生涯かけても英文で世界に紹介したいと思っていた。B5用紙百枚に英文で書いたが、「まずは和文で」と周囲の助言で頭を切り替え、十年かけて稿を練った。
在学時のIBIクラブ恩師で、松本市に住む小笠原隆元師(駒澤大学名誉教授)を訪ね監修を仰ぎ、ついに自身の還暦を迎えた二〇一〇年七月、実兄の阿部真澄師が住職をされる甲府市・壽徳院から上梓された。同院の開山四五〇回遠忌諸堂改修落慶の記念の品として、また翌年、生家の天徳院(阿部孝悦住職)の客殿落慶法要でも檀家さんなどの関係者に配られた。 道元禅師の『典座教訓』を四十にわけ、原文、読み方、和訳、私釈、道元禅師の和歌で綴られている。
特に「私の解釈」という意味の「私釈」はとても分かり易く、自身の日々の生活や、料理に携わる仕事人からの視点、女性ならではの視点で書かれた部分も興味深い。
また松田さんは鎮信流茶道を自宅で教えている。その縁から、他宗派の高僧からも本の好評を得た。
松田さんは
「人が生きていくために毎日いただく食事はもっとも大事です。一番の薬ですからね。日本料理は世界無形文化遺産となりましたが、毎日の食事を家族のために手間をかけ、気持ちをこめて一つひとつを丁寧に作ることは尊いことと思います。
私は寺で生まれ、仏飯をいただいて育ちました。子守唄のように父から聞かされた仏教の教えを受け、その縁も大変感謝しています。道元禅師さまの素晴らしい経典が多々ありますが、料理に携わっている者としての『典座教訓』の奥義を、一般の皆さまに分かりやすくお伝えできればこれほど幸せなことはありません。
道元禅師さまが七八〇年以上前に宋の港に着いて出会った椎茸を干す老僧が言われた『私がやらなくてはだれがやるのでしょう』のお話のように、料理ならずも、どんな仕事でも、一生懸命、精一杯、丁寧にする、そのことを自ら実践して、若い方に感じていただけたらと思うのです」と熱く語っていた。
(文・石原恵子)
茶道教室で教える松田さん(左から2人目)