仏教の疑問に答える
悲しみから見つけた生きる役割も
「輪廻転生」でしょうか
回答者
中野東禅
1939年、静岡県生まれ。
駒澤大学大学院修士課程修了。
京都・竜宝寺住職。曹洞宗教化研修所、大正大学、武蔵野大学の講師。
質問者の親友が突然死されて、「彼とのつながり」を確かめるために位牌を造り、彼の奥さんを山に案内して慰められた。@それで質問者ご自身の生きがい≠呼び起こされた。その後家族との死別を通して、A悲しみが生きがいに昇華できたのは「Bそれも輪りん廻ね
転てん生しょうだろうか」というご質問です。まず、お悔やみ申し上げます。そして、悲しみから「生きがい」を見つけられたことは素晴らしいですね。
.まず「輪廻転生」について、問題を整理してみましょう。「輪廻」というのは「迷いを繰り返す」という意味です。それについて仏教での別の言い方に「業」と「因果」があります。「業」は「心に基づく行為とその影響力」のことです。生まれることは、親の生命を引き継いで、時代・社会・家庭環境の中に生まれます。そして人生で心の習慣を形成します。そうした心と行為は原因と結果の連鎖ですから「因果」といい、それを総合的には「縁えん起ぎ
」といいます。
.次の言葉は「転生]です。これは、過去の迷いに引きずられて迷いの世界に再生するという意味です。さきに「心に基づく行為」と申し上げましたが、新たな行為を選択する時、例えばあなたが他者の痛みに気付くと、愚かさを再生しないで、善き方向を目指して心と行動が働きます。それは再生(輪廻)ではありませんから、それを「別べつ解げ
脱だつ(ハラダイクモシャ)」といいます。ことの愚かさに気付くことで、そのこと一つの輪廻から解放されるから「別」というのです。
「転生」というと、一般には、あの世に生まれる事と解釈されますが、この世での心の再生も含まれます。もちろんあの世への転生も含まれます。それについて、お釈迦様は二つの視点から教えます。
第一は、..で説明したように、この世で当人が「自己責任」で選択する心と行為で作る次の世界です。その次の世界には「当人が死に直面してみるあの世」が含まれます。当人が人生に感謝し、喜びがあると心の鏡に「善きあの世」を見るといいます。
第二は、あの世に逝った人に「安らぎ」を贈り・飾るという形です。贈るためにはこの世の人が「感謝と喜びと安らぎ」を実現しなければ送れません。
そこで「悲しみから見つけた生きる役割も輪廻転生でしょうか」というご質問についてです。愛の対象を喪うことを「対象喪失」といいます。そのときに、一番悲しいのは亡くなった当人なのです。それが分かると、私は何をすべきかが見えてきます。あなたは悲しみを通して亡き人と悲嘆の人を慰めるという知恵慈悲によって、この世で善き世界に転生したのですね。その安らぎに包まれてなき人も安らぎに転生する事でしょう。