お寺訪問記
五五〇回続く仏教講話会
神應院
西村英昭 住職(にしむら・えいしょう)
(広島県呉市)
1944年、呉市生まれ。
1966 年、駒澤大学佛教学部佛教学科卒業。
同年、本山永平寺安居。1971 年、駒澤大学大学院修士課程佛教学専攻修了。
同年、神應院にて師寮寺補佐。
2002年、神應院住職となり現在に至る。
737-0022
広島県呉市清水2 丁目1 の26
電話 0823-21-4491
http://www.jinnouin.com/
呉市は古くから造船の町として名高い。その港を望むゆるやかな坂道の中ほどに神應院がある。
本堂前の境内では、大きな菩提樹の木陰で園児がのびのびと遊び、西村英昭住職が通ると「園長先生、おはようございます」と園児たちの元気な声が響く。もともと広島市内にあったこの寺は西村師の祖父、二世悦玄住職の頃、呉に移った。西村師は語る。
「先々代は厳しい性格でしたが、交友関係も広く、眼蔵会を開いては澤木興道老師などをおよびしていました。老師は幾度もいらしたので、幼かった母が石けりなどで遊んでもらったと聞いています。
先代の正俊師匠は空襲で焼け野原のなか、寺の再建のため海軍工廠から廃材を調達し、いち早く仮本堂を建てました。そして神戸の心月院で友松円諦師の講話会が開かれるというので、当時のことですから汽車で七、八時間はかかったでしょう。お話を聞きに出かけ、大変な衝撃を受けたようで、帰るとすぐ、ともかく友松師のお話を皆さんに聞いてもらおうと、さっそく講演の依頼をしたのです。講話会当日は、檀家のみならず近隣の人や他宗派のお坊さんも来られ、仮本堂に人があふれた。私も幼いながらその活況ぶりを記憶しています。
戦後の国民の心が荒廃している時代、僧侶たちが漫然と過ごしておったのではいかん、僧侶として果たすべき責任がある、と言いながら先代は積極的に、各界の方々に講師をお願いしていました」
その顔ぶれは(以下敬称略) ──澤木興道、佐藤泰舜、酒井得元、内山興正、酒井大岳など宗門の方々の他、山田無文、松原泰道、西田天香、三上和志、小林慈海、内山鑑三、宮崎道安、花山勝友、金岡秀友、鎌田茂雄、武者小路実篤、セイロン駐日大使スーサンタ・デ・ホンセカ、無着成恭などなど。近年では大谷徹奘(奈良薬師寺)、大村英昭(大阪大学)、池田魯参(駒澤大学)、石川洋(一燈園)、渡辺和子(ノートルダム清心女子大学)、青山俊董(愛知専門尼僧堂)、奈良康明(駒澤大学)、佐藤達全(育英女子大学)、角田泰隆(駒澤大学)、佐々木宏幹(駒澤大学)
といった方々が講師陣に請われ、長年にわたり定月に話す講師も多いという。
講話会の始めに仏教讃歌「おのれのよるべ」を歌い、般若心経、三帰五戒を唱えたあと講師の話が始まる。用意された座卓でメモを取りながら熱心に聴く人も多く、終わりには仏教讃歌「四弘誓願」を歌い締め括る。
「若い頃から講話会を楽しみにしています。子育てや人間関係で疲れたときも、お話を聞くと、なぜかほっとするんです」「新聞で知り参加しました。講師の著書を以前から愛読していたので、生の声をお聞きできて感激。その後も通わせていただいています」「日常生活を坦々と過ごしていましたが、講師のお話にハッとして気づくことがたびたびです」と参加者。
西村師は「お寺は学ぶところです。生きている間にお寺で人生を学ぶのです。これは先代からの教えで、今でもわが寺の根幹とする考えです。多様なご講師をお迎えして、あらゆる角度から人の生きてゆく道を学んでいきます。ある講師から『人は皆、佛種を持って生まれてくる』という言葉をいただきましたが、お寺は、自分の佛種を育てていく場としての道場でもあると思います」
人生の支えとなる仏教の智恵や教えを、誰でも聞くことができる講話会。「仏法を聴く会」として昭和二十四年に始まった会も、今年の九月には五五〇回を迎える。
神應院檀信徒の集い
(左から佐々木宏幹、滝田栄、奈良康明の諸氏)