若い人たちよ、大いに悩みなさい
おろかなるわれは仏にならずとも
衆生を渡す僧の身なれば
ネルケ無方(むほう)
1968年ドイツ生まれ。
大学で哲学と日本学を専攻し、在学中に一年間京都大学に留学して安泰寺に上山。
一時帰国後、再び安泰寺に入門。
1993年、八代目の堂頭である宮浦信雄老師の弟子となり、現在九代目安泰寺住職。
「迷える者の禅修行」など多くの著書あり。
持続可能な生活は安泰寺モデルで
藤木 ネルケ無方さんは大学生の時一年間、ドイツ人留学生として来日、安泰寺に上山して半年間修行された。その後帰国され、大学卒業後に再度安泰寺に入門、八代目の堂頭・宮浦信雄老師の弟子になり、老師なき後ご住職を継がれたわけですが、まず今の世の中に伝えたいこと、言いたいことがおありでしたら、お聞かせいただきたいと思います。
ネルケ そういう意味では私自身、まだ求道者です。今、とくに三・一一(東日本大震災)から多くの人が感じていると思うんですが、このままでは進まないということ。例えば日本では、バブルがはじけて二十年間失われたと言われていますけれども、それは右肩上がりの経済成長が再び起きたとしても、決して解決にはならないと私は思っています。世界人類というスケールで考えたら、このまま経済成長し続けたとしても、資源には限りがあるし、環境破壊がこれ以上進んだら大変なことになります。
経済成長よりも、持続可能な生活がまず問われていると思う。仏教以前の問題で、人類がこの惑星で生きるために、いかにして持続可能な生活ができるか、それが一つ、私たちに課された問題です。資本主義も行き詰まっていると言われていますし、私もそう感じている。かといって、資本主義に代わる次のモデルは何か。ここがまだはっきりしていない。道元禅師の『正法眼蔵』でいえば、菩提薩.四摂法のような生き方、布施・愛語・利他・同事、これを基本とした生き方ができればいいのだけれど、これはあくまでも理想であって、いかにして現実の社会において実践できるか、私も分からないんです。
ですから、私が今の社会に生きている人に提言したいというよりも、私も求道者としてそれを模索中ですけれども、これからの世界、今ターニングポイントに立っているこの世界の、一つのモデルとなる生活が安泰寺でできたらいいなと感じているところです。安泰寺には外国人が多いので、外国人と日本人と一緒に修行することに大きな意味があると思うんです。二百年前には鎖国ができたけれども、これからの日本は世界という大きな機械の一つの歯車として、うまい具合にほかの歯車とかみ合って回らなければいけない。これも一つのこれからの日本人の課題ですね。
日本国内は平和ですし、どこの国とも戦争しているわけではないけれども、外交などの面では、いまひとつ日本人が自分たちの意思を伝達するのに得意じゃない部分がある。自己主張が得意ではない。ヨーロッパでもいろいろ、例えばギリシャとか移民の問題とか、いろいろもめているけれども、まだ対話ができる基盤みたいなのがあるわけです。ところがアジアを見ていると、多くが仏教国であり、また儒教の基盤もあるのに、なんで中国と韓国と北朝鮮と日本と、これだけ距離があるのか。なぜもっと対話できないのか、一番不思議に思うんです。
安泰寺には欧米人が、オーストラリアやヨーロッパ、アメリカから来る、中国人も来ますし、以前シンガポール人が三人いました、そこに日本人がいて、同じ釜の飯を食って、作務で一緒に汗を流して、同じ風呂に入って切磋琢磨し合う。これがこれからの世界のモデルになれたらいいなと思っています。ただ、現時点ではまだ答えは出ていない。こうすればうまくなるというのはないんですが、一つの模索中のモデルです。
安泰寺のご本尊様
僧堂と家庭とのバランスをとりながら
藤木 ネルケさんはご結婚なさっていて、お子さまもいらっしゃると伺っておりますが、お住まいはご一緒に。
ネルケ そうです、この奥に私の妻と三人の子供たちがいるんですけれども、冬はここから学校には通えないので、小学校の三学期は別居して、妻と子供は下の浜坂の駅前に空き家を借りて生活しています。一学期、二学期は一緒に住んでいて、上二人は小学生でちょうど今学校に行って、一番下の三歳の次男と妻は田んぼに行っているところです。
藤木 そうですか。ご一緒に農作業もされますか。
ネルケ それはしません。三人の子供の世話で忙しいのもありますし、都会っ子ですから、あまり農作業に興味がないようです。台所も別々にして、食事も別です。そこが一つの私自身の問題で、安泰寺の堂頭を務めながら、家庭の中では父親という役割がある。ここで子供たちが走り回ったりすると、接心もできなくなってしまうので、ある程度分離しなければいけない。安泰寺の修行僧たちは応量器で仏生伽毘羅を唱えながらいただくわけですが、そこに子供を交えるとやっぱり雰囲気が変わってしまうので、そこは分けて食卓は別にしているということです。
ただ、完全に家庭を切ってしまうと父親として失格ですから、結婚した以上はそこも責任を持って自覚を持たないといけない。現時点で、私は朝と昼は修行僧たち、弟子たちといただいて、薬石だけ、夜だけは家族といただいているんです。放参は家族と過ごしています。それ以外はなるべく弟子たちと、もちろん家族を放ったらかしているつもりはないので、子供の送り迎えですとか。ただ、それがいき過ぎると、今度は五日接心ができなくなってしまうので、そこのバランスの取り方が私自身の悩みの一つです。
藤木 お子さんたちに日ごろ伝えていることというのはありますか。
ネルケ 伝えていることはそんなにないですね。一番上の長女がまだ十二歳、長男が十歳で、子供と大人の境目といいますか、それより下でしょうから、少しずつ大人の会話ができるようになったというところです。
子供の教育とともに弟子の育成の話をさせていただくと、弟子の育成に関して道元禅師は『学道用心集』の中で、師匠が大工のようなものならば弟子は木材のようなものだといっておられます。有名な話ですが、家がゆがんで建った場合は木材のせいではない、大工のせいだと。どんな優れた木材であっても、大工が駄目なら台無しになってしまう。逆にちょっとひねくれた木であっても、大工がそれを床の間の柱にしたり、素晴らしい作品に変えることができる。だから、全ての責任は師匠にある、弟子には責任がないと道元禅師は言われています。
薪で煮炊きをする厨房
ばかな弟子には、ばかな師匠しか来ない
ネルケ 道元禅師の言葉は家庭においても、親についても言えることです。よく親の口から、こんな子に育てた覚えはないと言うけれども、それは大工がこんな家は建てた覚えがないと言っているようなものであって、木材のせいにしてはいけない。ただ、弟子たちによく言うことで、ゆくゆくは子供たちにも伝えたいことですが、私自身、師匠にほれて入門して出家得度させてもらったんですが、実際にずっと毎日師匠について修行していると、師匠のよくない面がだんだん見えてきます。
例えば結婚もそうですが、愛し合って結婚したのが、三年たち五年たつと、相手の嫌な部分ばかり見えてくる。師匠といえどもそれは一緒で、最初はお釈迦様の代わりとして、それこそ仏の見本と思ってついた師匠だけれども、酒も飲めばたばこも吸う。よく腹を立てる。こんな師匠のどこがお釈迦様だと、お釈迦様と比べると、あまりにもお粗末だ。
お釈迦様は何千人も弟子がおられたと言われていますけれども、恐らく摩訶迦葉が見たお釈迦様と、阿難陀が見たお釈迦様と、目連が見たお釈迦様と、ましてや提婆達多が見たお釈迦様はみんな違っていた。みんな自分の目で見ていたわけです。君の見ている師匠がばかならば、それは君の眼鏡に問題があるということも言えるんですね。ですから、私は弟子たちには口が曲がっても、君たちの修行が進まないのはこのお粗末な私のせいですとは言わない。このお粗末な師匠を教育するのは、君たち弟子だと。
これは親子関係にも言えることでしょう。もちろん親ですから、ネグレクトして育児を放棄してはいけません。責任を持って教育しなければいけない。それでも、親がまた子供に教育される部分も多いと思いますし、むしろ子供からこちらをつくる、親をつくり上げるという積極的な働きを導き出すということも大事だと思うんです。一方的に私が子供たちに教え込むのではなく、私が子供から学び、また子供たちが私という父親をつくるという作業を手助けする、そういうことが大事じゃないかと思う。そういう意味では、師匠と弟子と、親と子供の関係は非常によく似ています。
自然の木を仏様にみたてて
仏道に踏み出すのは迷いの中からこそ
藤木 なるほど。最後に、安泰寺をたずねる日本人で、生き方に迷っている人たちも多いかと思われますが、そういう人たちに何か提言がありましたら。
ネルケ まず、大いに迷うことです。迷うことは決して悪いことじゃない。道元禅師が『現成公安』で「迷を大悟するは諸仏なり」と言っているように、自分が迷っている、迷いのどん底にいることにまず気づくことが大事です。あるいは『学道用心集』の中にも、迷いの最中に行を立てると。発心して、そこから行を始める。迷いのない人は大心を起こさない。ですから、迷うことは非常にいいことだと私は思います。
私が最初に日本に来たのは一九八七年、高校を卒業してすぐに三カ月だけホームステイをしました。まだバブルの最中でみんながうきうきと浮かれた時でしたが、私の目から見ると今のほうが全然いいですね。なぜかというと、あの時は幻だったということに今の若い日本人は気づいています。本当はどうしたらいいか分からない、迷っている、そして自分が迷っているということに気づいているんです。ところが、今から二十五年前、三十年前の日本人は気づいていなかった。このまま順調にいけば、二十一世紀は日本の世紀だと、GDPはアメリカを追い越してトップになるかもしれないと、そんなことが言われていました。そしてバブルがはじけた。
だから迷っている人に対して言えることは、迷っている自分でよかったじゃないかということに、まず気づくことです。迷っていなければ駄目なのだと、お釈迦様だって迷いから出発しているし、道元禅師だって、悟りに大迷するのは衆生だと。悟り、悟りと、それを振りかざしている人がいれば、それこそ救いようのない凡夫です。けれども、自分は迷っているんだと、悟りのさの字もない、そういう人こそ、もう仏道を踏み出しているわけです。私もそういう迷っている人の仲間の一人だと私は思っています。迷いの解決は見つけていない、でもそれは死ぬまで見つけられなくてもいいのではないか。
むしろ迷いをはっきりさせて、そこで菩薩という方向に向かって、それこそ道元禅師が言われた「おろかなるわれ」です。私は迷っている、ばかなんだ、どうしたらいいか分からない。けれども、この「おろかなるわれは仏にならずとも」、仏になれないかもしれないけれども、「衆生を渡す僧の身なれば」。それでも人のために、この社会の中の一人として生きて、この社会のために何ができるかという、そういう問題意識は晩年の道元禅師にすごく近いと思いますから、このまま一緒に迷って、一緒に苦しんで、社会を救ってあげましょう、そういうことを言いたいですね。
安泰寺本堂(1977年に京都から移築された)
本堂兼坐禅堂