お盆とは三世にわたる
み魂まつり

盂蘭盆会(うらぼんえ)という
宗教行持、仏教文化、地域風習の一切を
行持として相承(そうじょう)していくところに
供養の本源が現成(げんじょう)する

 御本堂


山岸弘文(やまぎし・こうぶん)
昭和15年1月1日、群馬県泰寧寺にて生れる。
駒澤大学仏教学部禅学科卒。
昭和37年大本山總持寺本山僧堂に安居。
平成19 年11 月〜 24 年1 月大本山總持寺副監院。現在泰寧寺住職。


正月は新しい魂の祭、お盆は仏の命の祭

 お盆とはいかなるものかというお話ですが、これは魂の祭、命の祭、み魂まつりだと、ざっと言えばそういうことだと思っています。よく年中行事として、「盆と正月」という対の言葉でいわれますね。その正月について、先にちょっと考えてみましょう。
 お正月には、ご承知のように子どもたちはお年玉を頂戴します。あの「玉」というものに、どういう意味があるかというと、大晦日の晩にご先祖が、あるいは神様が、新しい年を迎えるに当たって次の一年も丈夫で元気よく健康でやっていけるよう、新しい魂を吹き込んでくださる。そういうエネルギーの塊といったらいいでしょうか、新しい魂をいただく、それが正月なのです。
 これも皆さんご承知だと思いますけれど、新しい魂を「あらたま」といい、和歌などで新年の枕詞になっています。「あらたまの年の初めの」なんていう歌がよく詠まれているでしょう。子どもたちには、今のような難しいことをいっても分からないから、「はい、おとしだまだよ」と、ふつう「お年玉」と書いて渡す。そして、私たちはその年の新しい魂をいただくことで一つ歳をとる、お正月が来ればみんな一つ大きくなったわけです。
 今は満年齢で数えますが、そうなる前の日本人の年齢の数え方は、誰もかれもお正月を迎えること、新しい魂を迎えることによって一つ歳をとった。ということで、あらたまを迎えるのがお正月、それに対して、お盆は亡くなった方の魂の祭といってよいでしょう。はじめに申しましたように、み魂まつりということになりますが、これは「仏の命の祭」と言い換えることができると思います。
 仏の命ということについて考えてみますと、ふつうは仏さんというと、今まで生きていた方が亡くなって仏さんになる。仏さんとは死んだ人だ、こう解釈している人がほとんどでしょうね。でも、仏さんはやっぱり生きているんです。仏は仏の世界に行って、仏として生きているんです。仏は死んだ人ではない。仏は仏として生きています。
 それは例えば、ご葬儀のときなどに、弔辞の結びの言葉としてよく聞くことですが、地域などで功労のあった方に対して、「この上は仏界、仏さんの世界にあって、ご家族をはじめこの地域の将来をいつまでも見守り、ご加護くださらんことをこいねがい弔辞といたします」というふうなまとめ方で言われる。そんな場面に出くわすことがよくあります。それは生前の徳をたたえるとともに、仏さんにお願い申し上げているわけで、ということは仏さんが生きていればこそのことだと思うんです。

 群馬県旧三国街道須川宿の門火

道元禅師は今日も禅僧を指導しておられる

 仏が生きているということについて、もう一つお話をしてみたい。禅宗のお坊さん、禅僧が亡くなることを遷化(せんげ)と申します。お坊さんは、生前は檀信徒や有縁の大勢の人々に対して布教、教化するわけですけれど、亡くなると向うの世界でまた教化活動をする。ここのところ、居を他生に移すということで、つまり遷化と言っております。
 そして禅僧は遷化する前に、自分の生涯を振り返っての感想、あるいは人生の旅を通して会得した今の心境、あるいは辞世の語として──そういうもろもろのことをひっくるめたわが境涯を、多くは漢詩の形の文章で、後の人に示すように生前準備をしておきます。これを遺偈(ゆいげ) といいますが、永平寺のご開山、道元禅師さまの遺偈は(和尚さんはみんなご存じのことですが……)

  五十四年  五十四年
  照第一天  第一天を照らす
  打箇跳  箇の跳(ぼっちょう)を打(た)して
  触破大千  大千を触破(しょくは)す
        (いー)
  渾身無覓  渾身(こんしん)覓(もと)むる無く
  活陥黄泉  活きながら黄泉に陥(お)つ

 こう示されております。この最後のところで、「活きながら黄泉に陥つ」と喝破していらっしゃる。死んであの世へ行くのではない。生きたまま黄泉の国へ行き、あの世でいつものように只管打坐(しかんたざ)の正法を拈提しているよと、こう言われているのだと思います。生きながら黄泉に陥つという道元禅師の人生の総くくりの様子を伺うとき、これこそが生死即涅槃(しょうじそくねはん)、生死一如(いちにょ)の消息をあらためてかみしめるところがある。そういうわけで、道元禅師は生きて黄泉の国へ行かれ、黄泉の国で祖師としてこんにちなお禅僧の修行を指導しておられる。螢山(けいざん)禅師と共に曹洞宗門の両祖として、全国檀信徒は言うまでもなく禅の教えに志す幾多の方々に、時代を超えて仏の教え、禅の教えを敷ふ 演えんしてくださっておられます。このように受け止めてみますと、仏は生きておられる。どこのご家庭のご先祖さまもみんな生きておられる。この生きておられる仏さんの命の祭、これこそがみ魂まつりで、お盆だと思っています。

 本堂内の額

お盆の風習を守りながら行持をする

 お盆にはさまざまな風習がありますね。盂蘭盆会に仏さまがわが家にご来賓として、お客さんとしておいでくださる。この来賓仏をお迎えする大事な客間、それが盆棚、いわゆる精霊棚です。この客間には新しい蓆を敷いて、四隅に竹を立てて縄を巡らせ、縄のところに檜の葉や杉の葉などをつるしたりと、そこここの家によってまちまちの飾り方をやっておられます。要は、ご来賓の仏さまが過ごしやすいように気配りをする。
 盆飾り、これも皆さんそれぞれのご家庭でやっておられますが、ほおずきをちょうちんに見立てて飾ってみたり、あるいは胡瓜の馬や茄子の牛をつくって供える。あるいはそうめんやら、うどんやらを下げて、昔からの風習で盆飾りとしている。そういう盆の雰囲気を盛り立てるお飾りということだと思います。
 また、お盆の仕来たりの基本というのがあります。これは単なる仕来たりというより、むしろ行持ととらえたほうがいいと思うんですが、十三日、いわゆる盆迎えの日の夕方の迎え火。それから十四日の朝夕の門かど火び 、十五日も同様、朝夕の門火。そして十六日朝の送り火。俗に門火をたくといっておりますが、そんな中で十三日の夕方の門火を迎え火、十六日早朝の門火を送り火というわけです。
 お盆の風習を守りながらお盆の行持をする。それは仏さまを主人公に据えた、私たちの御霊祭ということでもあると思っています。盂蘭盆会行持を行持として丁寧にやっていくこと、それが一番大切なので、盂蘭盆会という宗教行持、仏教文化、地域風習、それらをひっくるめて受け継ぎ、行持としてやっていくところに供養の本源が現成する。行持を僧俗共に相承することで、行持現成、行持道環、行持報恩、こういうことに連なってくると思うんです。
 年々歳々行持を僧俗共に相承して、今回峨山禅師六百五十回の遠忌がありました。このテーマにかかげた相承(そうじょう)ということ、お分かりと思いますが、一応繰り返して見つめてみると、行持現成ということは行持を実現成就すること。「このゆえに、諸仏諸祖の行持によりてわれらが行持現成し、われらが大道通達するなり」と道元禅師さまはお示しです。盂蘭盆会の行持を行持として重く受け止め、継承して行なっていくことが大切というふうに思っています。

 山岸老師の「修行の土臺」

お盆の行持がそのまま供養の現成となる

 それから、行持道環(ぎょうじどうかん)という大事な言葉があります。行持というのは初めの発心より続けてやっていくとだんだん分かってきて、そして極められ、究極のところに、無上のところに到達していく。それからさらに修行していくと、これは無始無終(むしむじゅう)に連続するように、いささかの間隙もなく連続するという。そこのところを道元禅師さまは「仏祖の大道、かならず無上の行持あり。道環して断絶せず、発心・修行・菩提・涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり」と。そういう行持を禅師は重く受け止めていらっしゃった。
 それに続いて行持報恩、これはやるべきことをやるべきようにやっていく日々の行持が、そのまま仏祖への報恩となる。日常の起居、動作がことごとく仏法にかなえば、それがそのまま仏祖への報恩となるというのです。これを『修証義』では「其報謝は余外(よげ)の法は中(あた)るべからず、唯当(まさ)に日日(にちにち)の行持、その報謝の正道なるべし」と、こうお示しになっておられます。盆行持を毎年やっていく、それはお坊さんもお檀家の人もやっていかねばならぬ御霊祭の行持、そういうことだと思います。
 御霊祭の行持をすることが、そのままお盆供養の現成だという、この要のところを押さえる、これが大切なことだと私は思っております。そして、仏さんの御霊祭であり、今現在生きているわれわれの行持としての盆祭であると同時に、未来に向かっての盆祭、未来を見据えた御霊祭ということが考えられるのではないか。私たちもいつの日か仏さんになれば、このようにして次世代の人たちからお祭をしてもらえると、そういう盆祭でもあるわけです。
 ちょっと話は違いますが、「南無三世諸仏」といってお参りする法要がございます。大般若の法要やお授戒の法要などに礼仏というのがありますが、あの南無三世諸仏といって仏さまの徳をたたえ、一生懸命拝む。あれはご承知のように、今は過去世となられた仏、そして現在この世で活躍している仏、ゆくゆくは仏になる未来仏の仏という、この過去、現在、未来の三世の諸仏すべてをひっくるめた、もろもろの諸仏諸菩薩を礼仏供養申し上げる。それが礼仏という供養の行持でありましょうか。私はそんなふうに、時々自分ながらの勝手な解釈をしております。

 本堂欄間「親子風神雷神」

須川宿の盆の夕暮れにご来臨あれ

 未来に向かっての祈りということでは、つまりご祈祷の法要にも関連してくることですけれど、お札を請う ける、あるいはお守りを請ける、そんなことは日常よくありますね。上級学校へ入るための合格祈願、いい結婚相手が見つかるようにと心願成就、また安産でありますようにと安産守り、そんなふうにお札やお守りを請けて、誓願を立て、未来に向かって精進する。そういう未来信仰の行持といえる。
 考えてみると、われわれ過去、現在、未来三世にわたっての行持というのはいろいろなところで日々やっていることです。お盆の行持についても同じで、お盆というのは三世にわたる御霊祭である、まとめとしてそういうことが言えると思う。お盆とはそういう供養現成の御霊祭というふうに私は考えております。
 最後に一つ、紹介しておきたいことがあります。私が住職としてお世話になっております泰寧寺は、昔越後七大名が参勤交代で通ったいわゆる旧三国街道の須川宿の奥まった所にあります。この須川宿は上(かみ)から下(しも)までほぼ一直線の宿場町です。たくみの里といわれて、現在、観光地として方々からお客さんが来てくださっておりますが、泰寧寺もたくみの里の一角にあるわけです。
 この須川宿のお盆の門火が大変に見事なんです。とくに十四日、十五日の夕方は夜七時半からだったと思いますが、宿中一斉に門火をたきます。夕暮れの宿場に隅から隅まで燃える門火、これはまさに仏の命の炎が燃え上がる光景といいましょうか、先祖の御霊火祭と申しましょうか、須川宿の盆の門火は人々の感動を呼び起こします。ここに生きる人々の心、情、愛、安らぎ、静けさ、慈しみ、そういうふうなものが交じり合ってゆらゆら燃える、そんな御霊の火祭と思えてなりません。
 霊光の町、須川です。ご縁がありましたら、ぜひたくみの里須川宿の盆の夕暮れに、わが家のご先祖と共に語るひとときにご来臨あれと、皆みなさまをお誘いしたいと思っているくらいであります。

 お手洗いの「烏枢沙摩明王」