読者のたより
「家庭教育を考える」を読んで
異なる宗教の人々は、教義をこえて 親や家族への深い信頼を寄せている
家庭や親子のあり方などが、様々に議論されるにつけ、私が思いおこす二人の知人がいます。
その一人は、ルーマニア生まれのユダヤ人の女性です。彼女は語学の能力を生かして、カナダで就職し、そこで知り合ったイギリス人男性と結婚。そして、現在は、ハンガリーで娘をもうけ、三人で暮らしています。彼女はすでに、人生の大半を肉親と離れて暮らしているのですが、父や母がどんな人物なのか、生まれ育った故郷がどんなところなのかを、実によく語るのです。そして、大好きだった乳母のこと。そして、イスラエルについてもユダヤ人の「祖国」として、哀愁をたたえた眼差しで話してくれるのでした。家庭と故郷がいかに彼女の支えとなっているかを、聞く者に感じさせずにはおきません。
もう一人は、カイロで働くパレスチナ人の男性です。彼は、家族の仕送りを得てイギリスに留学し、今はカイロを根拠地にして働いています。兄弟も別々の国で、異なる職業について、己の道をすすんでいます。彼もまた、イスラエルの占領下にあるパレスチナに残された家族や離れた兄弟のことを嬉しそうに、よく語ります。パレスチナでは、学問こそ財産と考え、子どもを留学させ、懸命に仕送りをつづける家族が少なくないのです。そして、身を立てた子どもたちが、今後は家族の生計を支えるわけです。ヨーロッパでは「安心して家もとに送金できます」と、アラビア語で書かれた看板を掲げた店を見かけます。
たまたまユダヤ人とパレスチナ人という、紛争関係にある国に属する人々の話になりましたが、祖国や親兄弟からも離れたこの二人に共通しているのは、自分たちの生まれた土地、そこで生まれ、死んでいく多くの人間のつながりの中で、自分やその家族を見ているということです。私は、この二人のことを思うにつけ、親子や家族というものは、一つの屋根のもとに身をよせあって、固く結ばれているだけのものではなく、その親や子を産み出し、育ててきた多くの人々、社会、歴史、民族という大きなつながりの中で存在するものとして考える必要があるのではないかと感じています。この二人が属する民族は、ユダヤ教とイスラム教という異なる宗教を持っていますが、彼らは、それぞれの教義の違いをこえて、「多くの人々の一人」として生きている、生かされていることを感じているからこそ、親や家族への大きな信頼を寄せながら、異国の地で自立した人生を送っているのではないでしょうか。この大きな人間のつながりへの意識と信頼に支えられた人生観を持つ人々がいる限り、私はパレスチナとイスラエルの共存の希望があると信じているのです。
(東京都・川田忠明)
そばに曹洞禅グラフを
生きていく事とは、勝つとか負けるではなく、意地だけでは生きていけないとつくづく思いました。でも、これまで頑張れたのに、頑張ってきたのに、そのことに気がついた瞬間、頑張ろうとする力が後退し、私の心は衰退しました。そんな時、曹洞禅グラフの「新春巻頭のことば」を図書館で繰り返し、何度も読み続けました。
坐禅ではありませんが、妄想・妄情から静まる心のひとときの安らぎに、感謝せずにはいられません。いつになく穏やかなひとときを、ありがとうございました。合掌
(盛岡市・吉田容子)