福井の集中豪雨より学んだこと
助け合い支え合う「共同性」が今こそ必要な時代
平成十六年七月十八日(土)の朝、天気予報を見ていると、前線の上に真っ赤の雨模様が連なっていた。何か得体の知れない嫌なものを感じたが、まさか、新潟と同じ集中豪雨が福井を襲うとは夢想だにしていなかった。真っ黒な空から落ちてくる雨の様子がいつもと違い、恐怖のようなものを感じたその瞬間、外で、大声がしたので慌てて外にとんで出ると、家の前の道路が濁流の川と化していた。裏山から流れる川が流木や瓦礫で塞き止められ、押し寄せる土砂の流れが変わってしまっていた。
我が家に鉄砲水が……
みるみるうちに、我が家にも鉄砲水が押し寄せてきたが、道路の上を岩が「ゴロン・ゴロン」と地響き立てて流れる様は、地の底からの音のようで今でも耳に残っている。そこから数時間、村の人たちや家族と一緒に土嚢や岩を積んで流れを変える作業に悪戦苦闘したが、自然の猛威の前に人間ができることなど、ほとんどないという状態だった。昼食時に見たテレビで、JR越美北線の鉄橋が落ちたとか、足羽川の堤防が決壊する恐れありなどと言っており、これは福井県中ひどいことになっていると直感した。
昼過ぎには雨もやみ、村中総出で大量の瓦礫の撤去作業に入ったが、全員が心を一つにして復旧のために働く姿からは、かつて、日本中どこの地域にもあった人間関係の温かさが感じられ、苦しい作業にもかかわらず、まだまだ、いざとなったら人間は捨てたものじゃないという「嬉しい」感覚がよみがえった。
思えば、豊かで便利な生活を手にした二十世紀、私たちの多くは、これで幸せになれるはずと思ったものだが、現実は、生活が豊かになればなるほど、利己主義がはびこり、人間関係が希薄になり、不安な社会になってしまった。そして、「他人を見たら泥棒と思え」などという価値観が世の中を覆うようになり、人間が共に助け合い支え合うという「共同性」がどんどん失われていってしまった。
人間は大変な環境の中でこそ
信頼の絆を構築できる
しかし、過去の歴史を紐解くまでもなく、人間は大変な環境の中でこそ、すったもんだしながら共に助け合い、人と人との信頼の絆を構築していけるものだと思う。
今回の豪雨災害に対しても、県内外からたくさんのボランティアの人たちが駆けつけてくれたが、人と人との関係の大切さをあらためて実感した人も多かったのではないか。
また、新潟で起きた豪雨災害の模様を見て大変だと思ったが、わずか二日後に、福井県が同じ状態になるとは思いもしなかった。まさに他人の不幸は我が身の不幸を、自分の身をもって実感する豪雨でもあった。他人の幸せは我が身の幸せ、だからこそ、他人を憎めば自分を憎むことになり、他人の幸せを祈れば自分の幸せを招くことになる、ということだ。
今回の集中豪雨は、幸せとは何か、そして、何を大切に生きるべきかという根源的なことを、自然は私たちに教えてくれたように思う。
(福井市・矢納正人)