仏事相談

質問 小生、七十九歳の老人です。村の信仰の中心であったお堂についてお教え下さい。
私達の村は旧信級村(現在の信州新町)十四集落でありまして、現在は七十戸くらいになりましたが、お堂は八戸残っています。私達の地域は現在、六戸で九名しかいません。老人五名です。
十六年十二月、町の文化財保護委員の方がお堂を調査した時、弘化二年(一八四五年)八月二十二日に亡くなられた尼僧様と思われる位牌が、観音様と同じ間にあり、一同おどろいています。親からも聞き伝えもなく、ただ今は毎朝お供えをしています。お寺様とも話し、三月の彼岸に法要を行い、お寺へ収める事にしました。
以上の事がありましたので、お堂の事をお教え下さい。
(長野県・寺島芳明)


回答者:横井教章(曹洞宗総合研究センター 宗学研究部門研究員)

回答  お堂あれこれ 過去と未来をつなぐもの
 全国に点在するお堂といわれるものの中には、信仰を主とした建物としての仏堂と、コミュニケーションの機能を備えた茶堂と呼ぶものがあります。茶堂の役割の一つは、村を訪れる来訪者(行商人・遊芸者・遍路)などとの交流の場であります。もう一つは、日常、村の集会所として、峠や人通りの比較的多い場所に建てられている辻堂などです。これは、近隣の住民が自由に話し合い、心を通わせあえる交流の場として利用されていました。その意味で茶堂は戦後の公民館の普及を支える役割を担っていたといえます。
 お堂は、仏像を安置して、お経について講義したり儀式を行う所で、修行などに用いられる建物を意味しました。お堂は、塔と同様に伽藍を構成する重要な役割を果たしたといえます。
 仏教の典籍は、経・律・論の三つから成り立ち、それらを総称して三蔵といいます。そのうちの経律には、仏殿、講堂、禅堂、食堂など、お堂に関する記述が多く見られます。
 実に数多くのお堂がありますが、そのうちのいくつかをご紹介しましょう。安置する本尊によって名づけられた名称には、釈迦堂、薬師堂、観音堂、地蔵堂などがあります。お祖師さまの像や遺骨を安置するお堂は、舎利殿、開山堂、太子堂、達磨堂などと名づけられていますし、儀式や修行に由来するお堂には、法堂、三昧堂、戒壇堂、念仏堂などがあります。建物の配置や形によって名づけられたお堂には、本堂、奥の院、八角堂などがあります。
 禅宗の寺院では、寺院内に配置された七つのお堂を総称して、「七堂伽藍」といいます。その配置は中国の宋朝の伽藍配置を基本にしているといわれています。法堂、仏殿、山門が中央に並び、庫院と浴室が東側、僧堂と東司が西側にあり、この配置はしばしば人体の各部にたとえられることがあります。
 また一定地域の土地の霊を鎮めて、その地域を守護する神を鎮守といいますが、こうした礼拝対象を祀っているお堂を足がかりにして、僧たちは布教することが多かったといわれています。そして、僧たちが亡くなった場合には、僧の名を彫った位牌を、お堂の中に安置したことも多くあったようです。
 おたずねのお堂の中に観音さまが祀られ、尼僧さまの名が彫られた位牌があった事実から推測しますと、そのお堂では尼僧さまが、ありがたい説法をたくさんの人々にお話したのでしょう。尊崇を集めた尼僧さまは、縁者が存命中のあいだ、あたかも生きているかのごとく、飲み物や食べ物が供えられ、祀られ続けたのでしょう。そして、観音さまと尼僧さまの両方が、礼拝対象として信仰されていたことがうかがわれます。
 観音さまは、アジアの各地で広く信じられている仏さまです。日本では、千四百年くらい前から、観音さまを信じることは国を守り病気を治すことにつながるとして、観音さまを祀るお堂がたくさん建てられました。また、観音さまについて書かれた経典が書写されて、多くの人々の間に広まっていきました。