ギター和尚のお元気説法
年間六万人の参拝客
天草市向陽寺 渡辺紀生師
ギターを弾きながら話す渡辺紀生住職
「ひとりの和尚の話を聞くために年間六万人の人々が全国から九州の田舎までやって来る」。「田舎」と言ったらお叱りを受けるかもしれないがこんな話を読者の皆様は信じられるだろうか。
取材の申し入れをした時に「ほとんど毎日、団体客がやって来るからいつでも良いよ」という住職の話を聞いて驚いてしまった。
三月十九日(土曜日)午後三時四十五分、熊本県上天草市松島町合津の曹洞宗向陽寺に着くと、鹿児島から来た十数名の団体客が位牌堂の二階に設けられたギャラリーを見学していた。十五分ほど経って団体客が本堂に移動すると般若の面を左手に持った住職が現れた。
「皆さん、般若の面は男か女か? 私は女だと思う。何故なら角を持っているでしょう。だから嫁入りの時には『角隠し』を被って、ネコまで被っているでしょう――」忽ち爆笑の渦が巻き起こる。
この住職こそ、「ギター和尚のおげんき説法」で有名な向陽寺第五世・渡辺紀生師(五十八歳)だ。偶然にも、この日が五十八歳の誕生日だった。
「あそこにいるあの和尚さんは取材に来ているんだが、太っていて血圧も高いし糖尿病の毛もある。(血圧は高めですが糖尿病はありません)和尚さん達は、檀家さんのご馳走攻めで痛風、糖尿病、高血圧症の三大病だ。法事の時にはご馳走してくれるよりも御布施の多い方が良い。ありがたいんですよ――」取材中の筆者もダシにされてまたまた大爆笑だ。
そこへやや遅れて大型バスが到着すると三十数名の団体さんが加わって爆笑の渦は拡大して行った。
ユーモアを交えながら聴衆を巻き込こんだ「おげんき説法」は約五十分だが、ただ単に笑い話だけではない。四苦八苦(生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五薀盛苦)の話、家庭や地域、職場など、人と人の出会いの中でどういう心構え、行き方が楽しく有意義な社会生活を送れるかなど、お釈迦様の教えを分り易くしっかりと説いている。
とかく暗いイメージの「お寺」を明るく和やかに誰でも気楽に訪れることができるようにしたいという住職の思いが伝わってくる。
参拝客は、「旅行に来てこんな楽しく良い話が聞けるなんて思わなかった」、「元気をいただきました」、「来て良かった」と感激した思いを語ってくれた。
こんな素晴らしいギター和尚の「おげんき説法」は無料だ。入館料も拝観料も聴聞料も不要。そこが、旅行会社やバス会社にとっても最大の魅力だ。天草は、雲仙天草国立公園でもあり、温泉も多く、有明海で採れる新鮮な魚介類を使った料理も観光客には好評だ。
それにギター和尚の「おげんき説法」がタダで聞けるのだからこんな有難いことはない。「ご芳志」はあくまで個人の自由だから旅行会社としては旅行費用の中に組み入れる必要もない訳だ。地元の観光業者、ホテル・旅館経営者にとっても有り難いばかりだ。
かつては、団体客の余暇をグランドゴルフやゲートボールで楽しんでもらっていたが、中には参加できない人もいた。「げんき説法」は誰もが参加できて楽しんでもらえるから一石二鳥と言う訳だ。
渡辺住職は先代住職の三人兄妹の次男として生まれ、子供の頃に大怪我をした兄に代わって、小学校の時から衣を着けて父の手伝いをした。駒澤大学仏教学部を卒業して大本山總持寺にて修行。師匠が元気だったために東京のデパートに就職。ピアノの販売員をしながら芸能界を目指して夜は、赤坂・六本木のナイトクラブやスナックなどでギターの弾き語りをやったと言う。プロ並みのギターの弾き語りや歌には「なるほど」と頷かされる。
そういった貴重な社会経験がギター和尚の法話の原点であり、在家の人々と接する基本的な姿勢となっている。聴衆を引き込んでいく魅力はその姿勢と飾り気のない言葉が人々の心に触れるからであろう。
九州三十三観音霊場第二十一番札所松島慈光観音参拝客に対するガイドから始まったギター和尚の「おげんき説法」は年間六万人の参拝した人々の心の中に確実に一灯を燈しつづけていた。
(取材/熊本県宇土市 法泉寺住職 藤井慶峰)