禅に惹かれた人々
人と人、国と国、 社会と社会を結びつける
上田輝彦氏に聞く
上田輝彦 1965年、福井県生まれ。上智大学法学部在学中、ソ連・東欧・中国を漫遊、国際的な舞台を求めて都市銀行へ。次第に政治・事業への関心が強まり、「海外から日本を深く眺めたい」との思いから退職、英国ケンブリッジ大学大学院留学。帰国後WIPグループを設立。現在に至る。
WIPの代表取締役、上田輝彦氏は、東洋思想、それも禅に興味があるという。生まれ育った実家は、福井県の兼業農家。大本山永平寺から、車で二、三十分くらいのところにある。少年時代から世界へ興味の目を向けていた上田氏は、実際に海外に出て、再び日本に戻ってきた時に、坐禅を体験した。
東洋の外側から日本を見て、日本の内側で参禅を試みた上田氏は、仏教を、禅というものをどう見ているのだろうか。東西交流をビジネスの場としている氏に、禅に惹かれた原点をたずねてみた。
世界の問題解決のため
知恵ある仕事を
南に、国会議事堂、国会図書館のある永田町。東には皇居の半蔵濠。西に進めば上智大学、ホテル・ニューオータニ、赤坂御用地には迎賓館と、いわば日本の中心地に囲まれた紀尾井町に、WIPジャパンの東京オフィスは居を構えている。
といっても、WIPはいわゆる大企業ではない。新鋭の情報企業であり、翻訳・通訳などの多言語サービス、海外マーケティングリサーチなどの情報提供を柱に、総合的な海外事業サポートに取り組むベンチャー企業だ。
代表取締役の上田輝彦氏は、WIPを設立する前には都市銀行に勤めていた。氏がどうして銀行マンを辞めてWIPを設立したのか、その原体験をたずねると、次のような答えが返ってきた。
「中学生の時に、どうして世界には飢餓があるのだろうか、と疑問に思ったんです。かたや日本のテレビを見ていると、グルメの番組があったり、パイ投げをやっていたり、なにか矛盾だな、と感じたんです。それが何とかならないのか、ということが原点ですね。
その時に、自分に何ができるのかということで、一つには政治的なアプローチにも興味があったんですが、事業家としても色々とできるんじゃないか、ということを思うようになりました」
日本の問題から世界の問題へ、諸問題の解決のために、人々の智慧を持ちよってできる仕事はないだろうか――。
そうした思いが、WIPの根幹となって枝葉を伸ばした。言語という媒体をめぐって、人と人、国と国、社会と社会とを結びつける。そのWIPの収益の一部は、ボランティア団体にも寄付されている。里親制度で知られるフォスタープラン協会を通じて、世界の恵まれない子どもたちに援助をしている。社員は里親として、実際に子どもたちと手紙のやりとりもする。
坐禅では自分の心を
冷静に見つめ直す
上田氏が参禅を体験したのは、英国ケンブリッジ大学に留学し、帰国した時だった。西洋で日本を考えたときに、日本が世界に伝えられるものはないだろうか、と考えた。鈴木大拙の著作などを読んで、動じない心を持つにはどうしたらいいのか、禅僧たちの不動の精神をうらやましく感じていた。
「ちょうど十年前に参禅しに行きました。その時はまだWIPを始める前で、自分の針路にかなり迷いがあったんです」
氏は、永平寺で参禅した感想をこう振り返った。
「最初は四十分の坐禅がきつくて、時間がとにかく経たないですし、色々と考えてしまうんです。ところが、次第に時間が短くなるのが分かるんですよ。時間が止まる感覚というのか、あとで振り返ってみると、まったく思考していない自分が確かにあったんですね。その時に感じていた平穏さというのは、本来の自分に帰っているような、そんな感覚でした」
自分を見つめ直す、自分の心の動きを見つめることができたのではないか。上田氏は、坐禅から重要なヒントを得ることができた、と感じた。今でも、仕事で人と接している時に、自分の心を冷静に見つめる、見つめようと思うのは、参禅の体験があるからだと言う。
「世界では様々な争いが絶えませんが、その仲裁役を果たすのに最適かつ絶好のポジションにいるのは、他でもない日本ではないでしょうか。善悪二元論を越える考え方ということでも、仏教や禅はもっと広まっていいと思います」
お互いが知らずに済めば、もしかしたら一番いいのかもしれませんが、と氏は笑っていた。
国際化、グローバリゼーションの流れは、同時に様々な問題も引き連れてきた。氏の言うように、仏教も新しい役割を期待されているのかもしれない。
(取材・門馬慶直)