平成十八年 迎春
諸悪莫作 衆善奉行
曹洞宗管長
大本山永平寺貫首
宮崎奕保
世界中には数え切れないほど多くの宗教が存在しますが、どの宗教もその教えの根幹は、おおむね「悪いことはするな」「善いことをせよ」ということです。唯一つ言えることは、どの宗教も人間に向かって説かれたものです。「悪いこと」と「善いこと」の分別はどこで線引きされるのかと言えば、おそらく人間の知恵、人間の尺度によって「善悪」が観念的に分けられています。だからそれぞれの思想や信条によって、一方から見れば「悪いこと」でも、他方から言わせれば「善いこと」になってしまいます。今、世界中で発きている紛争やテロという名の事件も、皆それであります。
仏教で言う「諸悪莫作、衆善奉行」は、人間だけに向けられたものではありません。釈尊の示された教えとは、国を超え、人種を超え、人間をも超えた天地宇宙の道理にかなった教えです。地球上に存在する動物も植物も、国土山川草木も、生命あるものすべてに当てはまる広大な慈悲の教えです。言いかえれば、天地の道理にかなった姿が「善」であり、宇宙の真理に背を向けた姿が「悪」ということになるでしょう。
この「仏の広大な慈悲」には、「仏の智慧」という裏打ちがあります。「慈悲」と「智慧」は表裏一体です。教えは何のためにあるのかと言えば、実行するためにあります。平和で安寧な日が、一日も早く来ることを念じてやみません。
楽在一碗中(らくはいちわんのうちにあり)
大本山總持寺貫首
大道晃仙
皆さまにおかれましては、陽光輝くもとにめでたく年を越され、新春を恙なくお迎えになられたこと、心よりお慶び申し上げます。本年も何卒よろしくお願いいたします。
食事をいただくことは、日々老衲にとっても大変楽しみなことであります。また自らを顧みて言えることでありますが、日夜弁道に勤しむ修行僧にとって、食事をいただくことと夜眠ることは何ものにも代え難い楽しみであることでしょう。
多くの修行僧が僧堂で坐して宗門の作法に則り余念なく黙々と食をいただくさまは、まさに仏祖の行履に随っている姿であり、そこに仏としての在り方が現成しています。
さて、この言葉は、食事のことのみにとどまらず、生きてゆく上での指針として味わうべきものであります。
禅の教えというのは、外にまなざしを向けて必死に追いかけてゆくものではありません。自己をじっと見つめ、真実を自己の生活の上に実践を通して証するものです。一碗中にその意味が盛られています。太祖さまが遺偈にてお示しの通り、自らの中で自らを今一度深く耕してみることが大切です。頭で理解するのではなく、一つ一つの至心の行持によって仏法を体得することです。「体解大道」とは、すなわちこのことに他なりません。
皆さまにとって、本年がすばらしい一年であることを謹んで祈念申し上げます。