『正法眼蔵』 道心の巻より(2)
長崎県天祐寺 須田道輝
またわがこころをさきとせざれ、ほとけのとかせたまひたるのりをさきとすべし。よくよく道心あるべきやうを、よる、ひるつねにこころにかけて、このよにいかでかまことの菩提あらましとねがひいのるべし
沢木興道老師はつねに「今、自分がしていることは、釈尊だったらどうするだろうかと考えることだ」といっておりました。その心が「わが心を先とせざれ」ということだと思います。
盤珪禅師はある日ひとりの短気者に向かって「さきほどから話を聞いていると、お前さんは、自分の短気を生まれつきと申して、生みの親に罪をきせておるが、両親の生みつけてくれたものは、不生不滅の仏心じゃ。諸縁にふれて我見が顔をだし、自分の都合のいいものは喜び、自分に都合が悪いと〈かんしゃく玉〉を起こすのじゃ」と述べ、〈かんしゃく〉を起こすのは生まれつきではなく、自分の都合を標準とした我見によるものであることをじゅんじゅんと諭したといいます。
どのような分野でも、はじめは経験者に学ばねばなりません。そのとき己見をだして自分をたてるほど愚かなことはありません。ましてや道を求める心を起こした者は、道理を先として学ばなければ、とうてい仏心を深めることはできないでしょう。
私が法華信仰に夢中になっていた頃、折伏と称して友人の家を訪ねまわって、入信を勧めていたことがあります。そのとき、その家族にいつも言い訳をしていたことがあります。
「私がこんなに遅くまで話しこんでいるのは、皆さんに迷惑だということは百も承知しています。しかし私は皆さんに仏法の話をしているだけではなく、あなたのご先祖さまに聞いていただいているのです。ご先祖さまは仏壇の中から喜んでおられると思います。今、皆さんに迷惑をかけていても、結局、皆さんの先祖さまが仏法によって救われるのですから、どうぞ我を折って仏法の話を聞いて下さい」とことわっていました。
今思えばたいへん迷惑で勝手な言い分だったと思いますが、当時は生活の困窮よりも、悲しみの痛みよりも、仏法が大切なんだと信じていたし、信じていたからこそ、無謀な信仰活動ができたのだと思います。こうした活動はけっして正しいとは思いませんが、その当時は寝ても覚めても仏法のことしか考えていなかったように思います。
そんなある日、ひとりの曹洞宗の禅僧に出会いました。私の話に耳を傾けておられましたが、最後に「仏法には道理を究め、自己を追求する姿勢がないと、ただ経典にひきずり回されるだけだ」と言われ、禅宗は他宗とかなり違う教えであると感じました。頭で分かっても心情的には受け入れられませんでしたので、毎日のように方丈様を訪ねて行きました。
そして同じ『法華経』を信奉していても、さまざまな捉え方、読み方があることを知りました。しかもその情熱は若い時ほどより強大なものですから、宗教的修行においても若い時が大切です。しかし若い時は経験も浅く、視野も狭いので、どうしても極端に走るきらいがあります。しかしその熱狂的な求め方がないことには、宗教的にも人間的にも深まっていかないことも事実です。
ですから、どうしても真正面から人生を追求した正師の指導が必要なのです。道元禅師は正師を求めることの重要性を説かれ、もし正師に出会うことができなければ「学ばざるにしかず」とまで述べています。それは仏法という良薬を知っても、その調合の仕方を教えてもらえないならば、その良薬はかえって病のもととなり、毒薬を服するようなものだからだと述べておられます。
この段では、仏法をつねに思いつづけることが道心を育てることだということをまとめています。