禅に惹かれた人々
交通事故の後遺症を乗りこえて
私が今、社会に奉仕できるのは 亡き母や御先祖さまのお導きによるものです


生涯学習センターで歌唱指導をする 藤原浩子さん


 生死をさまようほどの壮絶な交通事故から奇跡的に生還し、現在は秋田県湯沢市で童謡の指導、病院へ花を活けたりとボランティア活動に励むスーパーウーマンがいる。彼女の名前は藤原浩子さん。
 中学の音楽教師として教鞭を振るっていた浩子さんは、自分自身が声楽を正確にマスターしていなければ生徒への指導は出来ないと、自ら声楽のレッスンに通って生徒を指導する、愛情と情熱に溢れた先生。そんな彼女が声楽指導をしていた合唱部は、全県1位を7連覇達成という偉業を成し遂げるほどであった。
 ある時、浩子さんに管理職への声が掛かった。しかし、生涯一現役教師でありたいという思いが強くなると同時に、音楽教師として今まで行ってきたことが正しかったのかを再確認・総まとめしたいと一念発起。若年退職をして短大の声楽専攻科に入学した。
 短大生として新たなスタートを切ったばかりの浩子さんの身に突然の不幸が。交通事故に遭い意識不明の重体に……。しかし、生死の狭間を行き来していた時に彼女の亡くなった両親が現れ、浩子さんは奇跡的に助かったのだ。
「私が今こうして生きているのは、お寺の活動に熱心であった亡き母や仏様達のお導きの賜物です。何か私に出来ることはないかしら。」
 そして、浩子さんの第二の人生が始まった。
 その年の秋には、事故の後遺症で意識が朦朧としていながらも「やらなくちゃ!」と自らを奮い立たせ、短大の声楽専攻科に復学。その後、研究科へと進んだ。
 と同時に、お世話になった病院に何かお礼がしたいと、病院の玄関やトイレ等に花を生けるボランティアを始めた。なんと、夏場には花の水を取り替えるためだけに、毎日欠かさず朝6時に病院まで歩いて通っているのだ。
 また、地域の公民館(生涯学習センター)で恣カ謡・唱歌をうたう会揩フボランティアもスタート。一年後には、市の中央公民館でもやるようになった。現在、会員数は1000名以上と大盛況である。
 この音楽活動は、公民館からの強い要望もあったのだが、「交通事故に遭った人間は、誰よりも早く痴呆になりやすい」と書かれた新聞記事で危機感を持った浩子さん自身が自発的に始めたものである。「消えつつある童謡を気軽に楽しんで欲しい」という思いを胸に。
 しかし、事故の後遺症で浩子さんの右手はほとんど動かなくなっていた。歌にはピアノ伴奏が不可欠なのに……。そんな彼女の右腕となってボランティアのピアノ演奏をしているのが、浩子さんの教え子だ。また、教え子達が浩子さんの完治を願い、毎年激励会を開いてくれるという。「教え子は最高です。」浩子さんの目からキラリと光るものが流れた。
「ケガをして良かったとは決して思わないけれど、こういう生き方ができることをありがたいと思っています」と語る浩子さん。現在は童謡の指導のみならず、小・中学校の合唱指導や校内合唱コンクールの審査と、忙しい毎日を送っている。
 そんな彼女をガッチリ支えているのが、ご主人の隆平さんである。
「私は主人がいなかったら、何も出来ないんですよ」という浩子さんに、「出来ないから、ただジッとしている。そんな人生はつまらない。私に出来ることでしたらお手伝いしますよ」と、優しい笑顔で見守る隆平さん。強い絆で結ばれた夫婦愛の姿に感銘を受けた。
「お礼を伝えに、永平寺へ行ってきました。母が大切にしていた曹洞宗は、やはり素晴らしいものだと確認できました。清々しく、とても元気になりました。毎日、感謝の気持ちで仏様に手を合わせています」と語る浩子さんは実にキラキラと輝いている。

(文・写真 まさとみ☆ようこ)

レッスン風景(右/藤原浩子さん)

ご自宅で生け花

菩提寺・霊仙院のご住職と左側はご主人の藤原隆平さん