仏事相談

回答者:中野天心(長野県・常輪寺住職)


相談 今年の十月二十二日に実兄の三回忌を行いますが、人は死後一周忌、三回忌、七回忌を行いますが、それはなぜですか。三回忌の席上、少しあいさつの中で話題に出したいので教えて下さい。年忌が多いですが、どこまでやればいいのか、やるのと、やらないのとどう違いますか。

亡くなった方に喜んで頂けるような
生き方を確立し何度も学び直して自分を
磨いていくのがご供養の営みです

回答


 自分のごく身近な存在、即ち、自分の子どもや親などを失ったときに、悲しみを感じるのは決して人間だけではなく、他の動物、とりわけ哺乳類や鳥類も同じであろうと思います。しかし、亡くなった現実を長く心に留めておき、折あるごとに思い起こしご供養を営んでいくのは人間だけです。人ははるか昔より、決して他から強いられるわけではなく自発的に、それぞれの事情や、それぞれの信ずるやり方で、亡くなって行かれた大切な方々のご供養を行って参りました。
 仏式でのご供養は亡くなった方の冥福を願い、供養する私たちが善き行いを重ね、その功徳を亡くなった方に手向けるという追善(ついぜん)供養の形で営まれます。ところが、それはそのまま、供養する側の真の幸せや生き甲斐を確立する生き方になっているのです。大切な方を失った現実を通して命の尊さや無常の道理に目覚め、故人の願いや祈り、ご生前のご労苦や深いご恩に想いを致し、お言葉や行いを通じてお示し下さったことを、節目節目に真実の道理(仏法)に照らし合わせながら何度も学び直す、それが年回忌等のご供養です。
 日本では、印度の霊魂観や中国の儒教思想、そして日本の神道などの祖霊崇拝の考え方などを取り入れ、死後四十九日まで七日ごとに営む中陰(ちゅういん)供養、百ヶ日、一周忌、三・七・十三・十七・二十三・二十七・三十三・五十回忌などのご供養が営まれます。地域によっては、毎月の月命日にご供養を営む方もおられます。これら節目のご供養は各々に法要の呼び名が付けられていて、その意味づけも所説ありますが絶対的なものはありません。要はご供養を通じて、ご供養を勤める私たち自身が、亡くなった方に喜んで頂けるような、ご安心頂けるような生き方を確立することこそが肝心なのです。従いまして、ご供養は「いつまでやればいい」というものではなく、命ある限り常にそのことに勤めていくことが大切な心がけであり、尊い営みなのです。