禅に惹かれた人々
サンガ
つまづいた人たちを助ける 「生き直しの家」
に共鳴して
長寿院会員 寺尾浩明・矩子夫妻にうかがう
四月――。朝から晴れ渡った好天の下、千葉県は香取郡下総町の、長寿院を訪れた。
長寿院は、由緒のある寺院ながら、常住する人がいなくなり、荒れ寺だった。その長寿院を一代で立て直したのが、篠原鋭一住職。今では立派に修繕され、人々の集う場所となっている。
たくさんの人々が出入りする、その雰囲気によるものか、古びた柱などに荒れ寺だった頃の痕跡をうかがわせるものの、全体として、むしろ新鮮なものに感じられた。
この日、長寿院では、月例のコンサートが開かれていた。この日の演目は、琴、チェロ、フルートのアンサンブル。一仏両祖の御前で、さまざまな曲目が演奏され、集った人々が耳を傾けた。その後、住職の法話、イラク戦争への反対署名の募集なども行われ、午後には昼食が振る舞われた。
長寿院のある場所は、清閑な農村部。けして交通の便がいいとは言えない長寿院に、なぜ人々が集まってくるのか。
コンサートに集った人々の中から、元帝京大学助教授で、公衆衛生を専門にしていた寺尾浩明さんと、その妻、矩子さんに、ご住職も交えてお話をうかがった。
寺尾夫妻が長寿院と縁を持ったのは、今から七年前。最初の出会いは、大黒さん(=住職の奥さん)との、偶然の出会いだった。
「トルコへ、夫婦で旅行したんです。その時に、たまたま、ここの大黒さんが同じツアーにおられましてね。それで、うちの女房が、大黒さんと親しくなりました。それで、そのうちに一度おじゃまさせていただきたいということで、ここに来たのが最初だったんです」
寺尾さんは、思い出すように、そう語った。
「最初に来た時は、ご住職は留守にされていて会えなかったのですが、二回目に訪ねてきた時に、お会いして。それで、いろいろな話を聞いていると、立派なかただし、なんとなく惹かれて――。それで、こういうコンサートをやっていますよという話が出まして、ここに来るようになったんですね」
寺尾さん夫妻の住まいは、成田空港の南の、芝山。そこから、月一回、イベントが催される時には、ほとんど欠かさずに通って来るという。
「ただ来て下さるのではなくて、食事作りの手伝いや、テーブルを出したり、いろいろとしてもらっております。皆さんがやって下さいますので、住職の私は、何もする必要がないんです」
そう、住職が言うと、矩子さんは笑いながら答えた。
「それが楽しいんですよ。皆さんと作る様々な料理を頂くこと、ボランティア活動に参加すること……。皆さん素敵なんです」
長寿院サンガ――住職を中心としたその集まりは、さまざまなイベント、ボランティアなどを通じて、多様な人と人とのネットワークを形成しているようだった。
住職は、「敷居の高くない、二十四時間、常に門が開いているバリアフリーのお寺を目指している」と語った。石仏を彫る会、写経をする会なども、サンガに集う人々との話し合いから出たものだという。それらの活動がちょうど始まった頃に、寺尾さんたちは入ってきた。
それらの活動のうち、現在計画されている「生き直しの家」に、寺尾さんは非常に興味を示していた。
「私は、大東亜戦争のさなかを育った子供でしたから、いろいろな葛藤があったんです。私の家というのは歴代の侍で、父は軍人でした。ところが、軍人だった父は戦争が大嫌いな人で、私の母宛に、私を軍人にするな、という手紙を戦地から送ってきました。そういう矛盾、葛藤の中でずっと来たんですね。けれども、軍人の子供は軍人にならなければいけない、という使命感みたいなものはあった。そして、戦争が終わって、中学に入って、ほっとした途端に、学制改革で旧制中学を追い出されてしまう。それで、挫折して、勉強をやめてしまったんです」
さまざまな人生の葛藤の中で、寺尾さんは仏教――特に禅宗に惹かれていたという。しかし、「受け入れてくれないのではないか」という思いから、自分で寺の門を叩くことはできなかった。
「ここに来るかたは、何かの葛藤を持っている人が多いんです。つまづいた人たちを助ける〈生き直しの家〉を、ぜひ、実現してください」
寺尾さんは、住職にそう語った。
「つらい心を背負って来ても、門を出る時には、そのつらい荷物が降りている、そういう実感を持っていただけるお寺づくりをしたい」
住職のテーマは、そのまま寺尾さんの要望に重なる。長寿院サンガを作り上げているものは、そこに集う人々の共通の思いなのだと、実感した。
(取材・門馬慶直)
門を出る時には心が軽くなるお寺をめざす
長寿院住職の篠原鋭一師