特集対談
あの世はあるのか?
禅僧はどう答えるか?


 芥川賞作家玄侑宗久さんは福島県三春町にある臨済宗妙心寺派福聚寺の副住職。福聚寺は大光禅師復庵宗己開山による700年近い歴史がある古刹である。境内にある文殊堂などを利用して地域の文化、教育活動を積極的に進めている。小野崎秀通師は曹洞宗の布教師として宮城県を中心に布教活動を続けておられる。東北地方で活躍されているお二人に、お盆にちなんで誰もが気になる「あの世」についてお話を伺ってみた。

司会・横内武彦(編集部)

小野崎秀通(おのざき・しゅうつう)
1947年宮城県石巻市生まれ。
駒澤大学仏教学部仏教学科卒業。曹洞宗教化研修所研修課程修了、タイ国ワット・パクナム留学、大本山永平寺僧堂修行、曹洞宗東北管区教化センター主監、大本山永平寺講師。
現在、洞源院住職、保護司、大本山永平寺孝順会事務局長、宮城県有道会会長


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)
1956年福島県三春町生まれ。
慶應義塾大学中国文学科卒業。
様々な職業についたのち、27歳で出家。京都の天龍寺専門道場にて修行。
現在、臨済宗妙心寺派福聚寺福住職。デビュー作「水の舳先」が第124回芥川賞候補作となり、「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞。


司会 玄侑さんは禅寺の副住職であると同時に著名な作家でもいらっしゃいます。玄侑さんは小説を書くということをご自身のなかでどう位置づけていらっしゃるのですか?

玄侑
 そうですね。わたしにとって檀務(だんむ)というのは、人間としての深い体験ができる宝庫なんです。お檀家さんとのつき合いのなかで、僧侶としていろいろ感じさせられることが多い。でも、それが小説を書く際の下地になっているということではありません。わたしはあくまで僧侶であって、表現方法の一つとして小説を書くこともあるということです。わたしの場合、お檀家さんに布教するとき、自信のないことでも分かっているように話してしまうことがままあるわけですが、小説の中だと正直になれるということもあります。

御先祖を迎える日本人の
美しさと懐しさ


司会 檀家さんとのつき合いのなかで学ぶことが多いということですが、檀信徒の方々にとって関心の高い先祖供養についてお伺いしたいと思います。先祖供養というと一般には国民的行事となっているお盆を思い浮かべます。盆休みには都会で働いている人たちも家族を連れていっせいに里帰りをして、お墓に行き、ご先祖の霊を自宅に迎えて供養をします。そうしたお盆の行事にはどういう意義があるのでしょうか。

玄侑
 日本のお盆という行事は理屈では説明しにくいですね。もともとインドでは六道輪廻(りくどうりんね)が信じられていましたから、死者は四十九日が過ぎたら、またこの世のどこかに生まれ変わるとされた。ですから、遺体は火葬にし、墓も必要ないし供養も必要ない。その代り、動物を殺して食べたりすると、それはひょっとして先祖の生まれ変わりかもしれないということで、殺生を戒めた。それでも、殺してしまったかもしれない生き物たちの霊(三界万霊)にお詫びをこめて供養をするというのがお盆だった。ところが中国では、先祖が前世で豚や犬だったり、来世で動物に生まれ変わるというような考え方は受け入れられない。それで、土葬にして、死者の霊は幽明界というか、暗く冷たい地獄のようなところに行くと考えた。それで、先祖と子孫は気によってつながっているから、位牌をつくり孝養の意味で供養をして、ときどきこの世にお帰りいただこうということになった。
 日本では浄土教の普及につれて死んだ人は極楽浄土(ごくらくじょうど)に行くということになって火葬も広まった。そうなると、何の苦しみもない極楽にいるご先祖にこの世に帰っていただく理由はなくなるのですが、日本人はその辺を論理的に突き詰めないで、例えば玄関の前で迎え火をしたり送り火をするというような行為から得られる安心感とか、習俗としての美しさとか、懐かしさから伝承してきたわけです。
 それは、通夜・葬儀とか年回法要でもそうだと思いますが、そうした儀礼を経ることによって、日本人は気持ちをクリアーに切り替えてきたのだと思います。仏教とくに日本仏教はキリスト教とかイスラム教のように、これは正しいこれは間違っているというようなことを主張しない。こういう考え方もあるし、こういう理解の仕方もあるというふうに八百万(やおよろず)的な解釈を柔軟に取り入れている。わたしは日本仏教のそうしたある意味で無節操なところが好きですね。

道元禅師は
「寝ても覚めても三宝を唱え続けなさい」
と示された。


司会 ご先祖をお迎えするということになると、当然、亡くなったご先祖は無になったわけではなく、どこかあの世にいらっしゃるということになりますね。小野崎さんは、檀信徒のかたがたからあの世について質問をされることがありますか?

小野崎 それはよく聞かれますよ。そのときは、あなたはどう思いますかと聞いて、相手が、「いやあ、あると思いますね」と言えば、「それでいいんじゃないですか」としか言えないですが…。

玄侑 仏教というのはもともとそういうもので、お釈迦様も無記(むき)といって、あの世があるかないかというような質問には一切お答えにならなかった。そういう問題に対する人びとの意識のレベルはいろいろですから、それに断定的な言葉を与えない方がいいということがあると思うんですよ。お釈迦様が何も語られなかったということは、死後の世界を否定されたということではないんですね。それぞれの人の意識が変容して行って初めて感じ取るものですから、お釈迦様は瞑想しなさいということをおっしゃった。ですから瞑想を大事にする禅宗ではとくに、分からないことは分からないという言い方をすべきだと思います。

小野崎 それについては、道元禅師は『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』「道心の巻」で、「寝ても覚めても三宝を唱えなさい。死んで中有の状態になっても唱え続けなさい。ふたたび人間として母親の胎内に宿ったときもひたすら三宝を唱え続けなさい。このとき、何事を見聞きしても障りなく、爽やかな眼となり、悪趣の罪も転じて、仏前に生まれて仏を拝むことができる」と示されています。そこからすると、道元禅師は中有(ちゅうう)とか輪廻転生(りんねてんしょう)を前提としてお考えになっていたということになるかと思います。私自身は中有の世界は分かりかねますが、これは仏祖(道元禅師)が行われて来た道ですので、堅く信じ行じています。

司会 わたしにとっては、あの世はあってくれた方がありがたいですね。なにか目標が持てるんですよ。ある医者の話では、死の不安におびえている末期の患者さんを先祖のお墓に連れていくと表情ががらっと変わるというんですね。死は断絶ではない、どこかでいのちは継続していると思うことによって救われるというケースもあると思いま
す。

あるのでもないのでもない
中有の世界


司会 先ほど小野崎さんのほうから中有ということばが出ましたが、玄侑さんは芥川賞作品の『中陰の花』という小説で、あの世とこの世の中間にある中有(=中陰)という不思議な世界をテーマにしておられますね。それはどう理解したらいいものなんでしょうか。

玄侑 そうですね。例えで言えば、「逃げ水」というのがありますよね。アスファルト道路の先に水たまりが見える。しかし、近くに行ってみたら何もない。では、それは錯覚かというとそうでもない。見えたことは事実であり、しかし現実には存在しない。そんなふうな、あるのでもないのでもない、中有という変な在り方もあるということです。
 最近では物理学者たちが、われわれが目に見たり感じることのできるこの宇宙のほかに、もう一つ別な宇宙があるのではないかと言い出していますね。そう考えないと割り切れないことが科学の世界でもあるようです。それに、われわれの体というのは死んで火葬になっても原子・素粒子レベルではなにも失われないんですね。物質がエネルギーに変わっただけですから、体はなくてもエネルギーだけで成り立っている世界もあるかもしれない。あるいは複雑系といって、数学的に割り切れないカオス(混沌)理論というものも今注目を集めている。
 ところが日本人は明治以降、盲目的に西洋の合理精神を受け入れた結果、理屈で説明できない存在や現象をすっかり否定してしまうようになった。例えば、山で誰かが木を倒したような不思議な音がしたとします。しかし、翌日そこに行って見ても木は倒れていない。そこで昔の人びとは、これはきっと天狗のしわざに違いないと考えた。天狗はそこで生きていたわけです。あるいは河童というようなものもそうですね。それが次第に、世の中は頭で理解できることしか起こらないんだという流れになって、日本人はあちこちにいた妖怪を滅ぼしてきた。理解できないことに対する日本人特有の包容力を削り取ってしまったわけです。

小野崎 わたしもじつは不思議な体験をしたことがあります。あるお檀家の葬儀が終わって火葬場に行ったとき、別の檀家のおばあちゃんが喪服を着て現われて、ごぶさたしておりますと挨拶をするんですね。わたしはおばあちゃんは喪家と何か縁故があったのかなと思っていた。ところが、しばらくして、おばあちゃんが今亡くなりましたという知らせが入った。おばあちゃんが火葬場に表れるはずはないというわけです。
 それから、こういうこともあります。家庭になにか不幸が続いたりすると、街の祈祷師(きとうし)や拝み屋さんに相談する人も多いですね。それで、お宅の何代目の先祖が成仏していないからそれが霊障(れいしょう)となっているなどと言われる。それでお寺に来て相談されるわけです。そのときにですね、そうしたことは根拠のないことだから、こちらではお断りしますと言ってしまうと、その人は不安を抱えたままになってしまいますね。まず安心させてあげるということが坊さんの仕事ですから、お経をあげて、供養を心がけてと話をして帰っていただく。そうすると不思議ですね、それから全然変なことが起こらなくなりましたという人が多いんですよ。現実にそうなんです。

司会 その人が安心したからでしょうか?

玄侑 それは、心の中だけの問題ではないかもしれませんよ。もしかすると、お経がちゃんと効いているのかもしれない。そうした理屈では理解できないことというのは、たくさんあるんです。
 たとえばスイス生まれの精神科医キューブラー・ロスは、臨死体験の研究で世界的に有名な人ですが、こんな報告をしています。彼女は大勢の臨死状態の人に立ち会って、彼らがどんな体験をするのか研究しているうちに、どうしても理解できない事実にぶちあたった。それは臨死状態のとき、人の姿が現れるという患者が多いわけですが、現われるのはすべて既に亡くなった人で、生きている人は現われないということです。こんな事例もあったそうです。まだ小さい子どもが意識不明に近い臨死状態になった。子どもですから、ふつうに考えれば大好きなお母さんの姿が意識のなかに現れても不思議はない。ところが、現れたのはその子の兄だったんです。おかしいなと思っていると、その子の兄が二時間ほど前に交通事故で死んでいたことがあとで分かったというんです。日本風にいうとお迎えに来たというか、死んだ人でないと死に行く人の枕元には立たないんですね。
 私は興味があって、こうしたことをいろいろ調べたりしますが、でも基本的には、分からないことは分からないというところに留まりたいと思っています。

徳行を積むことこそが最高の供養

司会 最後に、現代に生きるわたしたちは、どんな心構えでお盆を迎えたらいいのかお伺いしたいと思います。

小野崎 昔の話ですが、新渡戸稲造(にとべいなぞう)がドイツに留学していたときの逸話があります。母親が留学中に亡くなるわけですが、彼は遠い異国にいて親孝行ができなかったことを悔い、どうしたら親の供養ができるだろうかと悩むんですね。そんなある日、彼はたまたま公園で孤児院の子どもたちに出会うんです。そして、ああ、そうだ、この子どもたちに一杯のミルクでもいいから飲ませてあげよう、それが母に対する供養になるのだと気づくわけです。布施行(ふせぎょう)というか、徳行を積む、それこそが仏教の基本的な考え方ではないでしょうか。

玄侑 そうですね。大乗仏教独特の考え方だと思いますが「回向(えこう)」ということがありますね。本来亡き人が自分で積むはずだった功徳を、子や孫が代わりに積んで、それを故人に振り向けるということですが、いい考え方だと思います。亡き人のために何かをしようとするとき、故人が笑顔で頭の中に思い浮かべば、それはいい供養になっているし、寂しそうな顔で出てきたら、それは供養が足りないのだと思えばいい。そんなふうに、今生きているわれわれが自分の中で故人のイメージを変換させていく。それが供養なんだと思います。

司会 今日は大変興味深いお話を伺いました。わたし個人の感想としては、この人生を精一杯生きるというか、それも人のために少しでも尽くすとか、自然を守るために尽力するとか、そうやって人生を生き尽くすと、良いあの世に行けるという気もします。

小野崎 そうですね。先祖を供養するということは結局、自分を供養することなんですね。それによって毎日の生き方に対する反省も出てきますし、新しい自分を発見することにもなると思います。

司会 ありがとうございました。


(平成十五年二月二十二日福聚寺にて)

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