座談会
心のつながり(縁)を広げる寺院をめざして
【出席者】
神 仁 (財)全国青少年教化協議会
菅原陽子 修廣寺寺族(川崎市)
千葉昭一 興安寺檀家(宮城県)
神野哲州 地蔵寺住職(名古屋市)
藤木隆宣 仏教企画主宰
(司会)此経啓介 日本大学教授
司会 二十一世紀に開かれたお寺、つまり仏教寺院活動をこれからどうしていったらいいのか。今、社会を騒がせている少年犯罪などは低年齢化していて、難しい問題をかかえております。やはり道徳、倫理観を幼少年期より支える教育の機会を望むところですが、現在それぞれの立場で、活動されている皆様に紹介を兼ねてお話を頂きたいと思います。
神野 日曜学校を始めて、二十六年間おかげさまで、休むことなく続けておりますが、一時期、百人以上来ていた子どもが、時代と環境の変化で、子どもは十人位になりました。
その代わり、大人が三十人も来るという変わり様です。お経のあと大人の人にも子ども向けの話をして五十分位で終わるのですが、当初、来た子どもが、もう三十代になり、改めて来てくれるんです。檀家さんにお経をあげに行くと、一緒にお経を読んでくれる子がいて、それがすごくありがたいなあと思っています。
司会 寺族の立場から、菅原さんにお話を伺いたいと思います。
菅原 私は昭和五十年の四月に住職と共に移り住んだ寺で、地域の方とどういう触れ合いをしたら輪が広がっていくのかと考えて、児童図書室をまず最初に作りました。まだ地域に図書館がなかった時代で、子どもがいっぱいやってきまして、本を読んだり、庭で遊んだり、次にはお母さんやおじさん、おばさん、お友達へと広がってゆきました。図書室と同時に和太鼓を教え始めました。それから自分のできる範囲で無理をしないで地元の人たちと触れ合って交流が図られるような地域の文化活動のお手伝いもさせていただいています。
護持会の中に住職と若い世代をつなぐ
青年部、婦人部などの会が必要ですね
司会 お話を伺っていると、子どもたちがとても健康で、問題は起きるはずがないような気もするのですが、次に、お檀家の立場から、千葉さんいかがですか。
千葉 私、現在七十五歳になります。私は若い頃の十五年間ぐらい児童相談所の児童福祉司をしていました。ちょうど、今起きている十二歳の子どもの犯罪などは、親が悪い、教師が悪い、社会が悪い、子どもが悪いって色々批判しますが、決め手はないように思います。ただ精神鑑定の必要があったと思うことと、生活歴だとか、個人的な情報が公にされているのをみますと、周囲が、もう少し子どもたちに、声を掛け、手を掛けてくれる社会になっていく必要があると思いますね。
檀家の立場から申し上げますと、護持会の中に和尚さんと若い人とつなぐ青年部・婦人部などの会の必要性を痛感します。やはり世代間の断絶とまでは行かなくても、若い世代との接触は非常に大切だということです。
宗務庁は宗門の指導的立場であるので、寺院護持会に対して檀家がどう考え、どう行動すればよいかという情報なり、納得できる指示を頂ければ協力したいと思っているのですが、機運が盛り上がらないのが残念な気持ちでいっぱいです。曹洞宗全体として、檀家があってこそ、宗務庁やご寺院、寺族が成り立つのであって、集金マシーンではないんだということを言いたいのです。
司会 ありがとうございます。神さんの方は社会に向けた活動を実際に行われているわけですが、ぜひご紹介をお願いします。
神 私は現在、全青協という団体に勤務しております。全青協は昭和三十七年に青少年の健全育成を目的に設立された団体で、発足当初からお寺を中心とした日曜学校や子ども会の運営を積極的に推進してきました。
ところが、十年ほど前から青少年を取り巻く環境が徐々に変化し、不登校やひきこもり、犯罪の低年齢化や自殺の増加などが、社会の中で問題化されるようになりました。このような状況に伴って、全青協でも日曜学校などの運営に加えて、さまざまな問題を抱える青少年の心の居場所を、地域社会と連携しながら、お寺の中に作って行こうという活動を進めるようになりました。
今日のような先行きの見えない閉塞状況にある社会では、子どもたちが大人以上にストレスを抱えている面があるように思います。そのことが、不登校や犯罪などさまざまな形で社会問題化している大きな原因の一つになっているのではないでしょうか。今私たちがしなければならない最も重要なことは、そんな子どもたちの思いや苦しみを、観音様のようにストレートに受け止めて行くことだと思います。
活動の一例を挙げますと、一昨年、東京の浄土宗のお寺を場として、子どもたちのさまざまな声を受け止めて行くために、地域社会の方々と協働しながらチャイルドライン事業を始めました。現在、二十名ほどのボランティアが、子どもたちの心の声を聞く努力を続けています。今後は、虐待を受けた子どもたちの一時避難施設(シェルター)なども作って行く予定で、現在、全国各地でこういった活動を展開しています。
司会 子どものストレートな声を聞き、子どもとお母さん方に支援をされてきたというのは、神野さん、菅原さんも同じだと思うのですが、努力が実ってくると次はどう展開していくのでしょうか。
観音さまの気持ちで
子供たちの思いをストレートに受け入れる
菅原 図書館や和太鼓をやっていることが蓄積になってきまして、何か起きたときに、父親や母親に言えない、友達に言うと僕のプライドが許せないなというときに、ふと心情を吐露する瞬間があるのですね。その時、決して質問攻めすることなく、じっくり聞いていく。信頼できる人間関係を構築するのに十年位かかりましたね。
神野 お寺は檀務も大事だけれど地域の子どもたちを受け入れるのが一番大事な仕事だと思っているのですが、今、受け入れる組織というものを持っていないのです。檀家さんじゃない方々を受け入れていく図書館とか、青年を受け入れる場を作らざるを得ないなと感じております。ボランティアの人たちに任せて運営していく組織をお寺で、住職の義務として作らなければならないと思います。
菅原 核家族化が進んで、子供の人間形成に必要な親、兄弟以外の面倒見のいい隣のおじさんやおばさん、ちょっと口うるさいけれど、何かの時頼りになる大人がいなくなってしまったのですね。私は寺の仕事を大切にしながら、なおボランティアで子供たちの活動を応援しているのですが、お檀家さんの中にはお寺の草を抜いていればいいとか寺族は寺にいればいいとかいうようなことをおっしゃる方もいらっしゃいます。表面しか見ていただけずに悲しかったですね。
私は仏教者としての信念でやっていることをここでやめるわけにはいかないと細く長く続けてきました。今では坐禅、写経、お茶飲み会(ダベリング)など三十人位のほとんどは地域の人たちです。
お寺は何時、どういう方が訪ねて来るか、分からない。落ち込んで来る方もある。希望を失った人たちにどうやって生きていくのか、お寺は死んでから来るところで無く、生きている人々が、生き方を仏教に求めて生きる人のための場所がお寺ですよと声を大きくして言って行きたいと思いますね。
手を合わせる生き方を
修行する場所がお寺です
司会 やはり、お寺というものに対して、世間一般は非常に過大な期待というものを常に求めているという気がします。その期待、要請に応える意味で取り組みをやっていくときのギャップについて、その辺りを神さんはどうお考えになってますか。
神 確かにおっしゃるとおり、お寺に対する世間の期待は大きいと思います。その一方で、お寺側からは、「期待はわかるけれど、何をどうやったらいいのかわからない」という声も聞きます。数十年間、葬式や法事だけに専念してこられた方にとっては、無理もないことでしょう。
そこで、私どもが考案したのが、「寺子屋NPOプログラム」というものです。世間の期待に応えるための活動をするには、「人材、物資、資金、情報」という四つの要素が必要になります。このプログラムの中では、お寺さんはまずその中の物資、つまり「場」を提供する決断をしてくださいとお願いをしています。その他の人材は地域から、資金は企業や行政から、情報は全青協が提供していきますよ、活動全体のコーディネイトも全青協がお手伝いしますよ、というプログラムです。先ほどのチャイルドラインも、このプログラムの中で実現したものです。
やはり、もっとも重要なのは、期待に応えようとするお寺さんの意識ですね。具体的には、今申し上げた地域社会に場を開放しようという決意が、ある意味ではすべてだと言っても良いでしょう。意識さえあれば、そこには人も資金も情報も、おのずと集まってくるものだと思います。
社会との接点と
僧侶自身の生き方が大切
神野 私の寺で社会的な事をやりたい時は最初から檀家に相談しませんね。例えばボランティアで古着を集めるとか、米を集めようとか、署名運動をやるなんていう時にも檀家に相談せずとも、和尚がやっているということで、外から評価してくれて協力してくれるので助かります。
菅原 親子三人から始めた和太鼓も地元の町会をかわきりに、地域の子ども文化センターでの指導を経て、今は大人と子どもを含めて八十人のメンバーとして活動しています。今はお寺の本堂を練習場にしています。お檀家、あるいは世話人さんたちが、「いい活動だね、頑張ってるね」って、もし読者の方のお近くの寺で跡を継がれる若い副住職や青年僧が、何かやろうとしていたら、やっぱり声に出して、応援して、バックアップをしてほしいですね。やはり言葉というのは勇気にもなるけれど刃物にもなると言います。お寺を放ったらかして、あちこち歩いているなどという一面だけを見ての声を耳にしますと、本当にいい活動をしようとしている寺族や、若いお坊さま、住職方の活動が、すーっとしぼんでしまうのですね。お檀家の方々には是非応援をして頂きたいですね。
千葉 護持会というものが老人だけの集まりになっていて、ボランティアの気持ちどころか、多くは受け身なんですね。お寺の檀家というのは、できるだけ住職に協力して、どう息づいた活動にできるかを考える集団にしなければならないと、今回の座談会に出席して大いに反省しています。
司会 二十一世紀の寺院がどう活動したらいいのか、問題点もはっきり見えているところもありますが、具体的に解決するのはとても難しいと思いますので、今できることは何なのか、ひとことお願いします。
神野 寺の和尚は忙しくても、民生委員でもPTAでも出ていって社会との接点を常に持たないと、自分だけの世界になってしまう気がしています。とにかく青少年が出入りできる自由な場を増やしたいと思いますね。
菅原 今、失われつつある昔から伝承されてきた文化や生活の知恵を日常生活の中に見出し、再度伝え直していくことが大切でしょうし、人のために時間を使うことで生き甲斐を見出し、自分の存在が役に立っていることの自覚によって楽しさを感じること、人や自然に対してもっと敬虔に接すること等々を、地域の人々を巻きこみながら協力し、大小にかかわらずできることから、イベントや楽しみの中に実現します。半歩でも実行あるのみです。
神 今できること、あるいはしなければならないことは、まず、僧侶自身が日々の生き方を見直すことだと思います。宗教者が忘れてならないことは、世間的な比較相対の価値観ではなく、出世間的な絶対無二の価値観にもとづいて生きることではないでしょうか。
目に見えるか見えないかわからない仏や神の世界を信じ、経済効率とは無縁なところで、馬鹿になって「信心の世界」を生きる努力をすることだと思います。
宗教者のそのような生き方の延長線上に、いじめに遭った子どもやリストラに遭ったお父さんたちが、ひきこもったり自殺をしなくてもすむ社会、すなわち、心のつながりがキレない「縁の社会」が生まれるのだと思います。
(平成十五年七月二十九日、東京グランドホテルにて)