道元さまの思い出(16)
師から弟子へのメッセージ
――『宝慶記』の謎を探る●3


歴史ルポライター 深見六彦



 

 寂円は『宝慶記』を読みすすむ。

 ……我三十余年 与時功夫弁道 未曾生退 今年六十五歳 至老弥堅……

 懐かしい字面が久しぶりに寂円の目に飛び込んできた。先師如浄禅師が道元禅師に語ったこの言葉は、寂円も耳にしていた。「わたしは三十余年にわたり坐禅を続けてきたけれど、一度もやめようと思ったことはありません。今年で六十五歳になったが、老いてますます坐禅をやる気持ちが固まってきたのですよ」
 老に至っていよいよ堅し――まさにこれは、修行を通して只管打坐という宗旨の正統性が不動堅固なものになったという、如浄禅師の強い自信を表した言葉といえよう。さらに『宝慶記』のなかでこうも語っている。
「仏道修行においては、初心が大事とか、修行の進んだ段階が大事とかというような区別はありません。初心の段階がなければ、修行の完成はあり得ないし、修行の完成がなければ、初心の段階の価値も生まれてこないのです」
 初めも大事、終わりも大事、ましてや途中も大事。子供の時も大事、青年の時も大事、老人の時も大事。人は命をなくす日まで、変わることなく修行を続けなければいけない。

 寂円でございます。
 この世に生を受けてからの一日一年は、短いと思えば短い、長いと思えば長いものです。今まで自分がこの世に為してきたことも、少ないと思えば少ない、多いと思えば多いのです。半時後のことは不明だし、ましてや明日のことなどわかりません。過ぎ去った過去は戻らず、やってくる未来についてもあれこれ考えるのは無益なことでしょう。今この瞬間をただひたすら坐禅に集中させることこそ、生きている証といえるのです。これからも先師の教え通り、ただ「至老弥堅」(老に至って弥よ堅し)あるのみです。

 如浄と道元とのあいだで確認された、正伝の仏法の見極め方を記すメモを読んだときの懐奘の驚きはいかほどのものであったろうか。懐奘は瞬時に思った。この貴重な資料を後世の弟子たちに伝えなければならない、と。『宝慶記』は懐奘によって一気に書き上げられたもので、その保管を託されたのが寂円だった。七年後に寂円が永平寺を去ることになろうとは思ってもみなかったことであろう。寂円は大事なこの宝物一巻を抱えて山を降ったのである。ところで懐奘の手元に残った一箱の記録文はどうなったのであろうか。書写したあと懐弉は身近なところに置いたであろうが、その後の行方はわからない。このメモは、在宋当時の道元禅師が師如浄との問答を自室で記録したものであるから、同時代史料としても大変価値のあるものだ。いつの日か発見されることを祈るばかりである。
 さて全久院本『宝慶記』の奥書には、懐弉と義雲の名がある。懐奘は『宝慶記』を書写した経緯を記しているが、義雲のものはちょっと違う。日付も懐奘のそれより四十六年後の正安元年(一二九九)となっている。義雲はこう書いている。
「冬至の翌日、十一月二十三日(旧暦)に宝慶寺で初めてこの書を拝見した。寂円さまから拝読を許されていたのだが、今日まで延び延びになっていた。やっと読むことができ幸せである。幸せすぎて感激の涙が襟を濡らすほどである」
 義雲は寂円の弟子でこのとき四十七歳。宝慶寺住職を経て、十六年後の正和三年(一三一四)に永平寺に招かれ第五代住持となる。義雲と寂円のエピソードはいずれ語るとして、道元禅師の孫弟子にあたる義雲が『宝慶記』を読むとは不思議な因縁といえよう。

(以下次号)



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