禅に惹かれた人々
北米別院 禅宗寺の授戒会
血脈を手にして
どこまでも澄んだカリフォルニアの青空に、時折聞こえる鐘の音や読経の声が吸い込まれていく。ここロサンゼルスのダウンタウンの一角にあるお寺に、汗ばむほどの晴天をよそに本堂の中で黙々と儀式に集中する人々がいた。壇上の法堂を行き来する僧侶達の動きを合掌しながら見守り、法話の一語一句を聞き逃すまいと聞耳をそば立てるその中には、青い目のアメリカ人信徒の姿もある。
これは平成15年10月15日から19日までの期間、アメリカはロサンゼルスにある両大本山北米別院禅宗寺で行われた授戒会の1コマである。
禅宗寺創立80周年を記念して開催されたこの法会は、日本から前曹洞宗管長板橋興宗禅師をはじめ、アメリカ人、日本人合わせて90人を超える随喜僧侶達によって執り行われた。
戒弟は全部で120人。日本では決して多くない戒弟の数ではあるが、一人一人の眼は皆、この授戒会に参加できることの喜びで輝いていた。
「ゆでガエルの実験というのがあります。」法要の合間に板橋禅師がお話をされた。
「冷たい水に入っていたカエルを急に熱いお湯の中にいれるとびっくりして飛び出すが、徐々に水を温めていくと、だんだんカエルは熱さに慣れてきて、いつ出ようかいつ出ようかと行動に移せぬうちに飛び出す機会を失い、ついにはゆでガエルとなって死んでしまったという話です。」物質的に豊かになりすぎた今、日本人の多くはぬるま湯にどっぷり浸かって、余計なものを抱えすぎている。かつて恐竜が身体が大きくなりすぎて自分自身を滅ぼしたように、物質文明にどっぷり浸かっていのちの輝きを失った人たちが大勢いる、授戒会の修行はそこから飛び出すきっかけであるという内容の例え話だ。禅師の話は続く、「かつて禅を学びに大勢のアメリカ人が日本にやってきました。将来は日本人がアメリカに禅を学びに来る時代がくるかもしれません。そうなるようにみなさん一生懸命修行してください。」冗談交じりで柔らかく話される禅師の言葉に皆の顔がほころんだ。しかし、笑い事ではない。肝に銘じ魂に銘ずる話である。アメリカの大学で仏教を教えるダンカン・ウイリアムズ助教授は指摘する。「日本からアメリカに禅を学びにくるのは何も将来の話ではない、今やもうそういう時代にきている」と。
実際、最近の日本のファッション、インテリア界をはじめとする様々な分野では、モダン彁EN揀Xタイルと呼ばれるシンプルなスタイルが注目を集めているという。戦後資本主義の大量生産、大量消費への反省から欧米で広まった考え方で、1950年代の禅ブームが生んだ文化である。もともと過度の装飾を捨てて自己を見つめるという禅文化が、欧米に伝わり、近年逆輸入された例である。
アメリカの人々の禅に対する意識はどうなのか。授戒についた幾人かの人々にインタビューし、話を聞いてみた。
○日本で生まれ育ち、アメリカに渡ってこられた田内愛子さん
このたび授戒会に参加されてどんな気持ちの変化がありましたか。
田内 アメリカに来て42年になります。もともと実家も嫁ぎ先も曹洞宗でしたが、授戒に参加するまでは法事などの機会になんとなくお寺とかかわるぐらいでした。正直なところ自分の信仰というよりは、自分の親からの慣習を守るというような感覚でした。しかし、授戒会に参加してみて、いままで漠然としていた信仰心がはっきりしました。と同時に、なんだか仏教徒としての責任を感じます。
○日系アメリカ人の林シーエンさん
どうやって今回の授戒会のことを知りましたか
林 いつも坐禅会には出席しており、禅宗寺の先生に薦められて参加しました。
法要に参加なさって3日目ですが、何か気持ちの変化がありましたか。
林 仏教徒という自覚が以前より深まりました。儀式の内容も丁寧に説明してもらえたし、授戒会に参加してとてもよかったです。
○同じく日系アメリカ人の山口アーサーさん
禅宗寺さんとは以前からかかわりがあるのですか
山口 母親が死んだのを機に禅宗寺さんと関わるようになりました。いままでは家族の宗教という感覚でしたが、今回の機会を得て自分の宗教なんだという強い意識に変わりました。
○世木ビビアンさん
今回は誰のすすめで授戒会に参加されましたか。また参加されてどんなことを感じられましたか
世木 母親の薦めで弟と一緒に参加しました。私は小さい頃から禅宗寺に出入りしており、とくに小さいころは自分の遊び場のように思っていました。しかし、正授道場の後暗い場所からでてきた時、見慣れてきたはずの禅宗寺のホール、カーペット、階段すべてのものが新鮮でなんともいえない気持ちになりました。
○生粋のアメリカ人 ケン クレイマーさん
リトル東京の周辺にはたしか6つ程寺院があるはずです。宗派も色々選べたでしょうが、なぜ禅宗寺を選び、またここで授戒を受けられたのですか。
クレイマー 禅宗寺の坐禅会などに出入りするようになって2年ほど経ちます。たしかに、当初はいくつか寺院を廻ってみました。しかし、なぜだか禅宗寺の雰囲気、禅の考え方、禅宗寺の諸先生方に魅力を感じてここを選びました。血脈を手にして今とても嬉しいです。心の奥底に強い自覚が芽生えたのを感じます
中央はケン・クレイマーさん
元總持寺監院・江川辰三老師
彼等と話しているうちにある共通点に気づいた。彼らは満面の笑みで血脈を手にし、授戒会で感じた心境を生き生きと語り、そして「こんなすばらしい機会を与えてくれてありがとう」と口々に感謝の意を表すのだ。
そんな彼等を見ていてふと昔、總持寺安居中に拝登にこられたフランス人信徒さんのことを思い出した。
大祖堂に案内した途端、息を呑み、頭を床にすりつけて何度も礼拝するその目からは、大粒の涙がこぼれていた。ヨーロッパのキリスト教を中心とする文化環境の中、こうして本山に拝登できる日を迎えるまでにどんな苦労があったかを語ったその方の顔は、キリスト教の背景の中で仏教徒として生きることを選んだ強い自覚と信念で満ち溢れていた。
彼等の堂々たる生き方と、学ぼうとする求道心は、彼等に大きな影響ときっかけを与えた何かに育まれたに違いない。人は人に出会うことによって変わるといわれる。優れた出会いはその人の人生を大きく左右する。仏教ではそのような優れた出会いを「勝縁」と呼ぶが、そんな出会いがあったと彼らは言う。それがどんな形の布教にせよ、日本とは180度違う環境の中で己の生活を投げ打って海外に渡り、禅を広めてきた開教師の方々の工夫と努力と忍耐がまさにこの勝縁を生んでいる事実を忘れてはならないと思う。その苦労を想像するとき、祖師たちの築いた伝統の上に安穏とあぐらをかいている自分自身を恥ずかしくさえ思った。
日本を遠く離れた地で、あらためて「禅に惹かれた人々」の生の声を聞くとき、仏弟子である以上はアメリカだとか日本だとかは関係ないことを思い知らされる。彼らに負けないよう、仏弟子であるという自覚をしっかりと持ち歩み続けたいものである。
(取材 高瀬元勝)