人生相談
生老病死を生きる

 会社の定期検診で、すい臓癌と分かりました。患部への抗ガン剤投与のため、三週間ほど入院し、退院した現在は、自宅療養をしながら週に三日間会社に顔を出しています。抗ガン剤投与は一カ月に一週間、病院に行って続けています。そんな毎日を送っているために、死への恐怖や、将来への不安などで夜も寝られません。心を安らかにできる仏教の本とか、やさしい経典を教えてください。
(岩手県水沢市 K・M 会社員 五三歳)

回答 突然医師より病気と診断され、さぞかし驚かれ不安になられたことでしょう。人生には、常に思いもよらぬことが起こるものです。
 私事ですが、私も五十代初めに心筋梗塞を起こしましたが、当時はまだ医療設備も整わず、ただ自然にまかせるしかありませんでした。その時、「これからは人並みの活動ができなくなる。いつ死期がやってくるか分からない」と覚悟しました。そして、それではこれから一体どう生きればよいのかと考えました。そういうある日、「そうだ、体を使う働きはできなくとも、自分には手もあり足もある。眼もあり耳も、そしてものを考える頭脳がある。何の不足があろう」と気付きました。
 病気を私のものとして受けいれた時、心が軽くなったのを覚えています。しかも病気をかかえた人生の深さを知り、生命力の強さを感じ、今では病気になったことに感謝しているほどです。
 病気になった時大切なことは、肉体的病よりも、心をいかに立て直すかということです。病気に対するマイナスイメージだけでは、何一つ解決しないということです。
 肉体の病は不可抗力ですから、病気の治療はすべてお医者さまにまかせる以外にありません。しかし、「心の問題」は、あなた自身の問題です。あなたの心は、あなた自身で対処する以外に、誰が立て直してくれるでしょうか。
 現代の医学でも、身心は相互に影響し合うものだといいますが、仏教では古くから、「身心一如」説に立って生命を考えています。つまり体だけが生命ではありません。心も肉体と共に生命を支えています。ですから「身が病むと心も病み、心が病むと身も病む」のです。もし体が病んでいる時には「心の活力」を大きくすれば、肉体生命を補うものとなり、心が沈んでいる時には、体を動かし、心生命を躍動させることが可能なのです。
 そこであなたに勧めたいことは、読経による身心の立て直しです。空虚になっている身心に、読経によって風を起こすことです。まず『般若心経』を朝夕二回、時間を決めて何回も繰り返し読誦しましょう。体力に合わせて十分二十分と唱えます。慣れるまではゆっくり、しだいに早く読むよう心得ます。読経が終了したら、そのまま五分ほど静坐してください。詳しくはご住職にお尋ねください。
 この読誦行を続けていくと、心が限りなく軽安になります。心が軽くなるということは、そのまま肉体細胞を軽安にし、活溌化することを意味します。悩みは悩みとし、不安は不安として、すべて仏天におまかせし、まず自分でできる読誦行を始めることです。
 最後に仏教書ですが、直接図書館や書店に足を運んで手に取り、興味をひかれた仏教書を読むのがいいでしょう。とにかく、体に見合った行動を起こしてください。そのことによって何かが変わります。
(長崎県・天祐寺住職・須田道輝)


仏事相談

 去年の秋、同居していた九〇歳の実母を亡くしました。父の死後、田舎(北海道)から連れて来たということもあり知人関係は少なく、ごく身近な親族だけで葬儀を済ませました。御骨は暮れに、父の入っている田舎の寺に埋葬しましたが、先日墓地を管理する寺の住職から「初盆はどのようにされますか」という連絡がありました。田舎には母のいとこが数人いますが、普段の付き合いはありません。初盆はどうすれば良いでしょうか。ちなみに私はひとりっこです。
(東京都足立区 Z・O 主婦 五〇歳)

回答 結論から申しますならば、貴女様の現在のご事情を正直にお話しになり、その上でご住職のご指導を仰ぎ、最も納得できる可能な方法で営むのが宜しいと思います。
 少し回りくどい説明をお許し下さい。
 改めて申し上げるまでもなく、万国共通のお盆供養の規範がある訳ではありません。むしろ、お盆の行事は日本特有の行事と言えます。だからといって、どうでもいいという事では決してありません。日本においては、意義深い大切な営みと捕らえられて来たが故に、先人達にその存在意義を確認されながら、永い時間現代まで定着してきたのです。
 それでは、ご供養とはなんでしょうか。また、どう勤めることが真のご供養に繋がるのでしょうか。現代は、ややもすると、お盆の行事であれ、お彼岸であれ、ご先祖様の年回法要であれ、儀式のための儀式になっている嫌いがあります。やはり、供養を受ける親先祖が、愛する遺族や親族に何を望んでおられるのかを考えてみる必要があります。それは、親先祖の方々にご安心頂けるような生き方をする、真の意味での幸せや生き甲斐を確立するということではないでしょうか。これはそのまま、我々自身の生きる目的でもあります。ですから、ご供養の目的は我々自身が、本当の意味での幸せを確立していくその生き方にあります。
 南方仏教の在家信者の場合は、毎月の決められた何日かを、出家者と同じような修行を重ね真の幸福の確立を期しました。日本仏教では、身近かな大切な方との命の繋がりや深いご恩を確認し、命の問題を深く見つめるご供養の中で真の幸福を確立してきたのです。
 宗教の真の目的は、我々がいつか成長の過程で行ってきた洗脳から自己を解放し、何が本当に大切なのかに気づくことです。親先祖への報恩の心がなかったら、我々の真の幸福はありえません。その機会を得る最初のお盆供養が、初盆ということです。形は二の次です。
(長野県・常輪寺住職・中野天心)



特別寄稿

中野東禅 曹洞宗総合研究センター講師

 今号の人生相談にありましたように、ガンに苦しまれる方はたくさんおります。そこで、「生命倫理と宗教」について研究されている中野東禅先生に、心を少しでも安心させるにはどうしたらよいか、まとめていただきました。  すい臓癌で抗がん剤治癒を進めておられるとのこと、お見舞い申し上げます。

 「恐怖や不安でよく寝れない」ということはとてもつらいこです。そこで「病気に直面した時の自我の症状の分野」と「解消の分野」について申しあげます。
 それは「A・生理的自我」で、@痛み、だるさ、A苦痛への恐怖、B身体機能を失う恐怖などの症状です。しかし、解消の分野は@病名が分かり対策が決まり病気についての知識を持つと、知を回復してやや安心します。A鎮痛医療についての知識を持つと無益な恐怖が薄らぎます。B病気を治さなくてはならないという大きな目的をはっきり持つと、小さな不安は解消していきます。それは平常心の回復と言えます。
 「B・社会的な自我」は、@仕事を失う恐怖、A経済的な不安、B家族への心配などですが、@大目的を自覚したら仕事をきりかえられます。A人生の意味、つまりお陰様を思い出せたら経済的な不安に勝てます。B病気を契機に家族愛を回復し、家族が役割に気付くと愛を回復して安心します。
 つぎに「C・宗教的・哲学的な自我」です。白己の生命が断絶する(死ぬ)恐怖です。これについては「断絶」という言葉がキーワードになります。あの世が怖いのは、あの世と断絶しているからです。あの世にいる祖父や祖母、亡き父や母に愛や尊敬でつながっていたら、あの世への恐怖はずっと少なくなります。したがって医師は患者が墓参りをしたいと言ったら、できるだけ協力して実現させなさいといいます。仏教のあの世観は、悟りや仏の世界とあの世が重複したら恐怖を安心に変えられるとみています。
 以上の不安はいずれも捨てられないために自縄自縛になっているからです。道元禅師は「無常を観ずる時、吾我の心生ぜず」と言いました。煩悩の自我が壊れて大切なものが見えてくるのです。そのとき、どうでもいいことは捨てられて、渾命の不条理や人への憎しみなどを捨てられるのです。さらに「生死は仏のおんいのち」だと言います。そこが人生修行の場だと言うのです。あるいは「生死は生死にまかす」とも言っています。そのまかす腹の座りが人生修行の仕方だということでしょう。
 ある患者さんは仏教書をよんだら余計に心が混乱したが、ふと縁があって坐禅をしたら心が休まったと言っていました。それは答えの出ないこの不安に言葉で答えようとしたからだろうと思います。その意味では写経や読経などの体でできることがあったら、それを並行してみることも一つの方法かと思います。
 心が休まってから、お経や仏教を理解する読書をすればその人なりに答えを見っけられるものです。取りあえず『修證義』などは生死について分かりやすく説いています。
 なお、参考までに関係する書籍を紹介します。

 修証義読本『生老病死〜運命をどう生きる〜』須田道輝著/仏教企画刊
 『すこやかな死を生きる』中野東禅著/雄山閣出版
 『大安心…最期の幸せ』中野東禅著/雄山閣出版


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