禅に惹かれた人々
6人の里子に家庭のぬくもり―
小林幸子さんを訪ねて
(写真=埼玉県川口市興禅院住職・早船元峰老師と)
川口市安行の古刹・興禅院は季節ごとに違った花や草木が楽しめる花寺である。春には安行桜が門前を彩るこのお寺の檀家で十八年前から里親として六人の里子と関わってきた小林幸子さんを今回は訪ね、早船元峰住職同席の下、お話を伺った。
(写真=埼玉県里親会理事・南児童相談所支部長の小林さん)
里親というと養子縁組を想像するが実際は小林さんのように養育を目的とする養育里親や期間を決めて子どもを預かる短期里親など形態は様々なのだという。小林さんが初めて預かったのは小学一年生の双子の兄弟だった。小林さんは「今となっては苦労した事も忘れちゃう(笑)」といいながらも当時の様子を語ってくれた。それはこちらの想像を越えた、すさまじい話だった。
双子の兄弟のうち、一人は過食で、ご飯をかまないで大量に食べてその場でがーっと吐くんです。あとは掃除です。食事の度に三度三度。今にして思えば子どもの欲求不満や愛情不足の表現だったと思います。もう一人はおねしょ。赤い布団の色が畳の目に染み込んで、拭いても取れない程でした。そのうち私も一緒に一つの布団で抱っこして寝るようになりました。もう私も朝はびしょびしょでしたけど、すぐに着替えておふろを沸かして子どもを入れてから毎朝学校へ送り出しました」その甲斐あってかその子の夜尿は半年ほどで治ったという。しかし、過食の方は長引いた。
でもそのうち、その場で吐いていたのが、今度は庭まで我慢できるようになり次はトイレまで……という風になり二年かけて治りました。これが里親の始まりでしたね」と笑う小林さん。
子ども達が小学二年生のとき、いわゆる赤ちゃん返りということをした。きっかけはかかりつけの病院の受付に置いてあった粉ミルクのサンプルを子どもがじーっと見つめていた事に小林さんが気付いた事。小林さんはミルクを与えるには大きすぎる子どもの体を痛む腕で支えながら、双子に一人ずつミルクを与えた。おむつも(実際におねしょはしないものの)夜、着けた。双子だから母親である小林さんを取り合うこともあった。そういう事を通して小林さんは一人では分からなかったことを子ども達が教えてくれたと感じるようになった。しかし子ども達は小学校高学年になった頃から小林さんのご両親が体を壊し、病院の付き添いなどで忙しい間に近所の子どもを巻き込んで夜遊びを始める。学校中の先生や心当たりの友達全てに電話をかけ、警察へ捜索願を出した事や自宅のある埼玉から夜中に車を飛ばして東京駅まで迎えに行った事が何度もあるという。こういった事態が続き、子ども達はこの家が本当に嫌なのではと小林さんは自信をなくしていく。「当時は本当にその子達が初めてだったし、どうしていう事を分かってくれないんだろうって。子供も悪いかもしれないけど相手を納得させられないような私たちも結局未熟だからきっと親である資格がないのかもしれない。本当に子供を育てる能力のないところへ来たのなら子どもがかわいそうだから施設に帰して専門家に育ててもらった方がいいのかもしれない」
それからは子どもをどうするか葛藤の日々と我慢の日々が長く続いた。だから子ども達が自立したときは本当に里親を止めようと思ったそうだ。しかしやっぱり止められない。喜びともいえる怏スか揩ェそこにはあるからだ。早船住職はここで他と共にある喜びは仏様の教えであり、自分達だけの喜びはいずれむなしくなるのだと教えてくれた。そして小林さんは愛情の意味と形について考えさせられ、虐待児を預かった経験を話してくれた。頭のてっぺんが義理の母親によってむしり取られ、むらになっているその男の子は十六歳で小林家に来た。体中タバコを押し付けられた跡だらけだったそうだ。十八歳を迎えると彼は自立のため職探しを始めた。小林さんと一緒に訪れた店は百軒以上にも上ったが彼を雇ってくれる所はなく、三ヶ月目にやっと一つ見つけることができた。そこで彼が稼いだお金を小林さんが預かり、少しずつ貯めてアパート代に当てて自立させたのだった。
彼は今もある理由で小林さんの所へやってくる。「この子は面白くて「お父さん、叱られに来た」って来るんです。何も悪い事はしていないのに「でも叱ってもらいたい」と言うんです。だから仕方ないから「お前、お金を貯めてるか?―いや、貯めていない―駄目だろう、五千円でもいいから貯めて来い」と言うとぼろぼろと涙を流すんです。本当の涙なんです。その子にとっては叱られる事が愛情なんです。だっこするのも確かに愛情なんですけどね」
先述の双子の里子も毎週のように小林家にやって来るという。早船住職は「いい関係ですね。なかなか本当の親子じゃ味わえない事です。これが仏様のご縁でしょうね」と語った。今はもう里親の家から離れて暮らしている青年たちとは常に繋がっている関係であり、小林さん夫婦の利他行(自分を犠牲にして他人に利益を与える事・他人の幸福を願う事)を通してお互いの縁が深まったのである。そこには苦楽を共に経験した喜びがあり、家庭のぬくもりがある。小林さんは子ども達にとって仏様そのものと言えるかもしれない。
また小林さんは興禅院で仏事があると小さな子供たちを必ず連れて行ったという。「お寺に来て、仏様の前に坐るだけでも私はいいと思うんですよ。自然に何となく頭が下がるでしょ。それがひいては、いろいろなものを大切にし、人でも物でも繋がっていくような気が私はするんです」この一言は多くの子ども達と血縁ではなく、仏縁によって結ばれた小林さんの生き様を表わしているようだった。
(写真=駒澤大学教授の早船住職)