檀家制度は解体していく
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綱川英治 東京都 五十歳
私は、浄土真宗の一信徒であり、私にとってお寺や教団はとても大切です。しかし残念ながら、このままでは(我が浄土真宗も例外でなく)既成仏教教団はジリ貧となり、衰退の一途をたどるのは間違いないでしょう。
私は、中年期に達してから仏様に出会うご縁に恵まれましたが、それまではお寺というのは、身内に死者が出たときに葬儀会社を通じて僧侶がやってきて、訳のわからんお経をよみ結構なお布施を持って帰るというだけの存在という認識しかありませんでした。これは私が特殊なのではなく、信仰を失った現代の大多数の日本人に共通の認識であろうと思います。
問題は、プロの宗教者側がこのような現実にあまり危機意識を持っていないように見受けられることです。ほとんど完全に社交儀礼の場と化した仏式葬儀の空間は、もはや法に出会う場としての機能をほぼ完璧に喪失している現実をキチンとみつめるべきでありましょう。それを宗教者の側にひきつけて表現すれば、死者儀礼がまちがいなく単なるビジネスの場以外のなにものでもなくなっているということであります。これが危機でなくて何でしょうか。
それでは寺院や僧侶は、どうすればよいのか。この危機を克服する方法論としては様々考えられますが、多分決定打は無いでしょう。確実に言えるのは、これまでの檀家制度は必然的に解体して行く(或いは既に解体しつつある)という厳然たる事実を認め、そこから出発するしかないということです。ひとつの方向性としては、逆転の発想で、寺院機能のうち葬儀をはじめ死者儀礼の部分について、明確に「ビジネス」としての社会的認知を受けることです。戒名(法名)料・読経料・出張料・交通費等々のプライスを明示して、見積書や領収書も発行し、明朗会計とすることでそれは達せられるでしょう。墓地の公募をするときには具体的に値段を呈示するのに、僧侶の無形の専門的技術サービスだけは値段をつけられないというのはもはや通用しません。一般社会の側がビジネスと認識している行為を、宗教活動であると強弁する考えを捨てることです。これは別の視点で言えば、寺院の経営基盤を明朗化し、計画可能なものとするでしょう。税法上の特典を受けられるか否かは、瑣末な事項です。
そのような中においても、死者儀礼の場を布教・伝道の場とすることは不可能ではないはずです。最も簡単には(私は実例を寡聞にして知りませんが)読経する経典の解説パンフレットを配布する程度のことは今すぐにできませんか? 例えばそれが自坊のオリジナルであれば、僧侶の熱意は必ず伝わると思います。
死者儀礼がビジネスとして成立する以上、それにより飯を食って行ける寺院・僧侶は、その経済的基盤に立ち、檀家制度に頼らず、堂々とした新しいプロの宗教家像を確立すべきであると思います。