仏教について思うこと 大きい文字で見る
須藤恒雄 埼玉県 七十三歳
死後の世界専念しすぎ
我が国では、殆どの人達が生れながらにして仏教徒ということになっていると思うが、それは、家族の一員が亡くなったときの葬儀やその後の法事を、仏式で行う家庭が他の宗教に比べて非常に多いというところからきているもので、自らも、死ねば同じように仏式によって法要が行われるであろうと思われることから、あえて宗教は、と問われれば仏教ということになってくることと思う。
ところが、あえて仏教徒と言ってはみたものの、身近かな人達の葬儀や法事のときに、寺や僧侶との接触があるだけで、それ以外の日常生活の中にあっては全く無縁であって、寺は別世界の場所であり、僧侶は別社会の人間であるという感じになっており、ましてや、寺に足を運んで親しく僧侶に生きる指針を仰ぎに行ったり、人生の諸々について相談に行ったりするようなことは全く考えられない。それを思うと、そのように人々の実生活とは全く係わりをもたずに、死後の世界にしか縁のない仏教というものを考えるとき、果たして、これでも宗教といえるのかと問い質してみたくなってくる。
そもそも宗教とは、常に現世の人々の中にあって、人々をよりよき方向に導いてゆくことが本来の役割のはずだと思うが、現在の仏教界は、現実からは身を避けて、葬儀とか法事という死後の世界にばかり専念しているようにみられる。その為に、相変らず地獄とか極楽とか、霊魂はどうのこうのとか、死んだこともない人には分かるはずがない死後の世界のことを説き続けている。そのような仏教界の思想の背景に対して、その厚顔無恥にはあきれはてるとともに、人々の中にも、いつになってもそれを信じている人が絶えないということについても不思議に思えてくる。そのような虚構の話題でも、それを本気で信じている人々が、いつの時代でも多数派であるというところから、仏教界はオシャカサマの真の教えを、現世の人々に説き伝える労をいとい、死者を仲介として、死後の世界を専門に、人々に接する安易な道を選んで、宗門の繁栄のみを計ってきたものと思う。
昔は、為政者からの迫害を恐れて、それのみか保護を求めて、為政者の手先となって人々を為政者にかしずくように仕向け、たとえ現世では食うや食わずの生活でも、不平不満を言わずにひたすら働いて年貢を納め、それと共に先祖の供養を、寺を通して怠らぬようにしていれば、現世は苦難の連続でも来世は花咲きみだれ蝶の舞う小春日和のような安穏な世界、即ち極楽で安楽に過ごすことができると、無知な人々をだますようにしながら為政者とともに自らの宗門の繁栄を計ってきたもののようである。そのことについては、当時の為政者の居城やお寺の立派な建造物を見ただけでもうなずくことができる。
それにひきかえ、一般の人達は、ムシロをぶら下げたような家に住み、ボロ衣をまとい藁の布団にくるまって雑穀を主食として、食うや食わずの極貧生活に耐えながらも、ひたすら年貢米を納め、寺を通しての供養を続けてきたもので、死後の極楽行きを唯一の生きがいにしてきたもののようである。まことに痛ましい物語で、今の人達が聞いたら理解できないようなことを昔の人達は信じていた、と言いたいところだが、実は、今の人達の間でも未だに死後の世界を信じて極楽行きを本気で願っている人が少なからずいることを思うと、人々の考えるところは今も昔も変りはないということで、昔の人の無知を笑って済ますわけにはいかない。
そのようにして、仏教界はオシャカサマが示した本来の教義の勉強をおろそかにして、儀式や法事という脇道にそれてしまい、それに加えて、各種の学校経営や福祉事業経営、観光業等の収益性のみを重視した事業に専念する傾向にあり、その状況は、どのようにみても宗教というより宗教を隠れ蓑にした事業体としか考えられない。
判りやすい経典を
次に経典(お経)について考えてみたいと思う。仏教は、あらためて言うまでもなくインドの地に於いてオシャカサマによって始められたもので、数多くの経典は、オシャカサマやその弟子達によってつくられたものと思うが、その経典の中には、人々がよりよく生きられるための指針となるような有難い言葉の数々が込められていることと思う。そして、言うまでもなく地元のインドの人達が読んだり聞いたりして理解できるようにと、その地で通用している文字や言葉で言い表わされていたはずである。そのようにして、人々の間に浸透しながらやがて中国へ波及し、その中国では漢字に翻訳されて一般の人々に理解されながら馴染んでいったように思われる。その後、我が国へは中国を経由して伝来して現在に至っているわけだが、我が国では、中国から伝わってきた経典を日本人の言葉に翻訳することなく、中国文字で書かれたそのままを一般に使用して、それが中世の頃から連綿と続けられて現在に至っているということになっている。中国人向けの経典を日本人向けに使っているのだから唱える側の仏教者にも、それを聞く側の一般の人々にも、その文字や言葉の意味・内容は分るはずはなく、お互いに理解されないままに、仏教者側は、音階をつけたりリズムをつけたりして日本語風に音読みしているだけで、それで経典を唱えたことにしている。唱える側の殆どの人に分らないのだから聞く側に理解されるはずはない。その為に、聞く側にとってみれば、外国の音楽を聞いているような感覚で、言葉の内容は分らないままに、きっとオシャカサマの有難い言葉が込められているにちがいない、と想像をめぐらせながら、「有難や有難や」と耳を傾けているわけである。このような非合理なことが中世の昔から連綿と続けられていて、その間、その非合理を変えようとした人がいなかったのではないかと思われるところが不思議である。
オシャカサマの教えに従って生まれた仏教、その仏教を信奉してその教えを人々に伝えようとするはずの仏教者が、折角の経典がよその国の言葉で書かれたまま使われているために、自由に読んだり理解したりすることができないままに唱えられたのでは、耳を傾ける側の一般の人々はたまったものではない。
折角の有難い経典も、唱える側も聞く側も全く理解されないまま通用されてしまっていては、オシャカサマは何を説いているのか、仏教とはどのような宗教なのか分らずじまいで、曖昧のまま人々の間に根付いてしまっている。ぼつぼつこの辺りで、仏教学者と言われる人達の労をわずらわして、完全な日本語訳された経典を普及させて戴きたいものである。このことは、仏教界の興隆のためにも、一般の人々の幸福のためにも有意義なことだと思っている。
たとえて言えば、「南無阿弥陀仏」という念仏も一般的によく普及されているが、それも一般には意味も分らないまま唱えられているので、「今日一日無事に過ごせましたことは阿弥陀様のお加護のお蔭です。ありがとうございました」、あるいはもっと短い言葉では、「阿弥陀様ありがとう」でもよいし、そのように日本語で唱えればそれでよいではないかと思うし、当たり前のことと思う。
又、般若心経も一般的に馴染まれているが、残念ながら一般の人には、その文字や言葉は殆んど理解されないまま通用している。特に、「ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー」などという言葉は印象的だが、この世の言葉とは思えない特異なものとして感じられる。写経などもよく行われているが、これ又意味も分らないままに筆を動かしているだけで、それが日本語に訳されたものだったら今迄よりも一層親しまれるものになるのではないかと思う。
それにつけても、身近かなところでは、キリスト教などは、英語圏に伝われば、バイブルは英訳され、日本に伝来されてくれば、日本語に訳され、誰でも読めて内容が理解されるように整備されている。大変結構のことと思うが、この位のことは当り前のことで問題以前のことであると思う。
そのようにして、仏教界も、これからは日本人を対象とするときは日本語で、誰でも分り易く経典を唱えて貰いたいものである。そうすることによって、オシャカサマも仏教も、寺も僧侶も、人々と親しい関係に近づくことができるし、その時点から仏教は葬式稼業専門から脱皮して、真の宗教として、その原点に近づくことができると思う。